3.


 小一時間、街のいたるところを回ったが何の情報も得られず、ライゼスはセラの元に戻るべく表通りを歩いていた。
 一目見れば忘れない容姿だ。これだけ情報がないということは、意図的に人目を忍んで行動しているのだろう。もしくは、人目につかないように連れ去られたか。
 ふと、ライゼスは足を止めた。
(あのとき、僕が目を離さなければ――)
 リュナは心配していると取ったが、実際のところは心配より後悔がライゼスを動かしていた。もしこのまま彼が戻らなければ、セラがあれほどまでに全てを懸けて戦った意味がなくなってしまう。
 何が嫌かといえば、それをセラに突きつけるのが嫌だった。無意識のうちに足取りが重くなる。その背に、ぬっと黒い影が被さった。はっとしてライゼスが振り返る頃には、どすっと肩に太い腕が落ちている。
「よーう、愚息。何往来でぼーっと突っ立ってんの。かなり邪魔よ〜?」
「……ッ、父上!?」
 逃れようともがけど、びくともしない。やがて腕を外すのを諦めると、ライゼスは不機嫌な声を上げた。
「こんなところで何してるんですか?」
 問われ、ヒューバートがニヤリと意味ありげな笑みを浮かべる。
「ティル殿下を捜してんの。お前もそうなんじゃねぇの?」
「彼に何の用があるんです」
「そりゃまぁ火急の用さ。夜通し馬飛ばしたんだぜ。詳しく知りたい?」
 別に、と撥ねつけたいのを堪えて、ライゼスは頷いた。書状ではなく、しかもわざわざヒューバートが自ら、馬を飛ばして来るなど、どう考えてもただ事ではない。意地を張っている場合ではないだろう。ヒューバートは腕を話すと、人を避けるように路地裏にライゼスを引っ張り込んだ。
「リルドシア王が失踪した」
 勿体ぶっていたのは最初だけで、ヒューバートが端的に答える。サッと血の気が引くのをライゼスは感じていた。嫌な予感が的中してしまった――と考えそうになって、まだ断定はできないと首を振る。
「危篤状態が続いていると聞いていました。動き回れる体力があるとは思えません」
「そう。二年間一度もベッドを降りられなかった老人が、突然の失踪。レイオス王子殿下が必死に行方を追ったところ、なんとこのレアノルトに向かった可能性が濃厚なんだとよ。どう思う?」
「まさか……何のために……?」
 愕然として呟くライゼスの問いに、ヒューバートは黙したままだった。わかっているからだ。答えなど一つしかない。
 リルドシア王が臥せったのは、最愛の娘の――ティルフィア姫の死を受け入れられなかったからだ。わざわざレアノルトを訪れたとなると、目的はティルだとしか思えない。つまり、誰かが秘密を洩らしたのだ。ティルフィア姫は生きてランドエバーにいると。
 だがそれを知る者は、ごく限られている。
「……貴方ですね? 貴方が彼の消息を王に伝えたのではないですか?」
「おいおい、なんでそうなる」
「あの人にデムナント卿の暗殺をけしかけたのは貴方でしょう。それをうやむやにするため――違いますか」
 睨みつけられて、ヒューバートは顔に手を当てて空を仰いだ。
「あー……オレ信用なさすぎだろ。てかそんなことしてオレになんのメリットがあるわけ」
「元老院は他国を歓迎しない。レミィのことだって知ってたんじゃないですか?」
「……オレを元老院の人間だと思うなよな。ちょっと落ち着け、お前は色々勘違いをしている」
 顔から手を離すと、ヒューバートは睨みつけてくる息子の頭をガッシと掴んだ。
「だったらお前に王の失踪を伝えたりはしねえだろ。レミィ・エルベールの件もオレは知らなかった。知ってたらあいつにゃ頼まなかった」
「暗殺を依頼したことは認めるんですね?」
「それだけな。けどそれは邪魔だからじゃねぇ。オレは殿下をそこそこ気に入ってんだ」
「利用できるからでしょう?」
「まぁ、お前よりは使えるよな」
「もう係わらないで下さい。僕も彼も貴方の道具じゃない」
 だから落ち着けって、とヒューバートは繰り返した。それから息を吸い、止めて、吐き出す。言おうとしていたことをやめて、ヒューバートは改めて息子を見下ろした。
「てか何ムキになってんの? お前殿下のこと嫌いでしょ」
「嫌いですよ。けど、セラは……」
 ふ、とライゼスの視線が外れる。それを見て、ヒューバートは「ああ」と声を上げた。そして不可解そうにしていた表情を消し、いつものニヤニヤ笑いを貼り付ける。
「わかった、お前、チビ姫が殿下を好きだと思ってんだ。そんでキューピッドしちゃってんだ? あいっかわらずだなァお前は。いつまでも模範的優等生で恐れ入るよ」
「…………ッ」
 カッとしてライゼスは顔を上げた。喉元までこみあげた怒号をどうにか飲み込んで、冷静になるように努める。父の挑発気味な物言いは今に始まったことではない。それでも癇に障るのだけはどうしようもない。
 ヒューバートとて、息子のそんな心情など手に取るようにわかっているから、敢えて笑みを消す。
「まー親子のよしみで教えといてやる。姫のあれは恋なんかじゃない。捨て猫を可哀想だと無責任に拾ってくる子供と一緒だ。おまけに懐かれて増長して、お前はさしずめ手に負えなくなったら押し付けられる母親だな」
「黙れッ! わかったような口を利くなッ!!」
 とうとうライゼスは叫び声を上げた。挑発だとわかっていても止められなかったが、父はそれを聞いてもいつものように笑ったりはしなかった。
「少なくとも恋のイロハはお前よりわかるさ。……殿下だってわかってる。だったらせめて利用価値でも与えてやらなきゃ、惨めになるばかりだろ?」
「だから暗殺を依頼したと? ……話になりません。本当にあの人がそんなことを望んでるなら、僕は見つけ出して吹っ飛ばすまでだ。何度でも」
 父の溜息が降ってくる。挑発ではなくきっと忠告だと、気が付いたから余計に聞く気はなくなった。
「価値なんて人から与えてもらうものじゃない。自分の価値は自分で決めるものだ」
 自分に言い聞かせるように呟くと、ライゼスは踵を返した。