2.


 ドンドン、と立て続けに上がる花火の音と、それに伴う喧噪が遠くに聞こえる。剣術大会が終了した今日この日に、レアノルト祭もフィナーレを迎える――その最後を飾る花火だ。しかしセラが未だ眠りから醒めず、医務室で安らかな寝息を立てていた。力を全て出し切り、やりきったからだろう――、セラの寝顔は酷く満足気であるが、それに付きそうライゼスの顔はいつにも増して険しかった。眉間の皺はいつもより多く、更には苛立ったようにブーツの底が何度も床を叩いている。
 決勝の終了と共にセラが気を失ってしまい、優勝挨拶も表彰式もやむなくライゼスが代理として出ることになっていた。ただでさえライゼスは衆目に晒されるのは苦手であるし、自分が優勝したわけでもなければ出場すらしていないのに、滑稽なことこの上ない。だが彼を苛立たせているのはそんなことが理由ではない。
 カチャ、とドアノブが鳴って、弾かれたようにライゼスは立ち上がった。
「今まで何を――」
 怒鳴りかけて口を噤んだのは、現れた人物が予想と違ったからである。軽く首を横に振ると、ライゼスは改めて入ってきた人物を見下ろした。
「……リュナ」
 蒼色の隻眼がライゼスの姿を捉えてニコリと微笑む。
「来てくれたんですか」
「はい、お姉様に一言お祝いを言いたくて! すっごくかっこよくて感激しちゃいました〜!!」
 自分の頬を両手で挟み、リュナがうっとりとした声を上げる。だがベッドの上で眠っているセラを見て、はっとして口を押さえた。
「あ……、まだ気が付いていなかったんですね」
「ええ……、でも幸い軽症で済みましたし、ただ緊張が解けただけでしょう」
「そっか、良かった。リュナはお姉様が勝つって信じてましたけど、相手も凄く強かったですもんね。リルドシア王子っていうことは、ティルちゃんのお兄さんなのかな?」
 リュナの疑問に、ライゼスが頷きだけで返す。すると会話が途切れてしまい、リュナはためらいがちにおずおずと切り出した。
「えっと、そのぅ……、ティルちゃんは? 一緒じゃないんです?」
 はあ、とライゼスが長い溜息をつく。どのみちはぐらかせることではないし、リュナが信用に足る相手だということはわかっている。むしろ、もしもこの状況を相談して誰かを頼るなら一番適役だとも言える。見た目は幼いが、リュナはセラよりは余程冷静に物事を考えるし、ティルよりもずっと大人だ。
「決勝までは一緒でしたよ。でも、セラが気を失ってから表彰式だの挨拶だのとゴタゴタして……気が付いたら姿が見えなくなっていました」
「はあ……、迷子になったとかではないですか? けっこう盛り上がって人でごったがえしていましたし」
 そう答えを返すリュナの顔は至って真剣で、ライゼスは半眼で彼女を見下ろした。いくらなんでも子ども扱いしすぎである。
「そこまで子供じゃあないでしょう……さすがに」
「そ、そうですよね。えっと、お兄さんに会いに行っているということはないでしょうか?」
 その線は考えておらず、ライゼスは首を捻った。家族と確執のあるティルが自らそちらへ行くとは考えづらい。しかもセラを差し置いてである。
 しかし最近の彼はいつにも増して何を考えているかわからないし、行動も予測がつかない。ラディアスの元にいたり、その辺をフラフラしているならまだいいのだが――
「リュナ、すみませんがセラを任せてもいいですか?」
「それはもちろん構いませんけど……ティルちゃんを捜しに行くんですか?」
 渋面でライゼスは頷いた。リュナが少し意外そうな顔をしているのに気が付いて、ライゼスは少し迷ったが補足した。
「……あの人、最近少しおかしいんです」
「ティルちゃんはいつもおかしかったですけど」
「え、ええまあ否定しませんが。そうではなく……おそらく、記憶があやふやになってるところがあると思います」
「え……?」
 リュナが眉を顰める。
 ライゼスも最初は気のせいかとも思っていた。だが名前を呼んだときの反応がまるきりあの夜と同じだったのを見て確信した。こうなると、ティルがあの夜のことを尋ねたのはレミィを気にしたのではなく、あやふやな記憶を少しでも補完するためだったのではないかと思う。
「本人は薄々わかってて、誤魔化しているつもりでしょう。だからセラは気が付いていないと思います」
「そうですか……」
 彼女にあまり動じた様子がないのを見て取り、ライゼスは言葉を続けた。
「その――、そういうのは、貴方の力でどうにかできたりはしないのでしょうか」
「……ごめんなさい……、できたらいいんですが……」
 しゅんと肩をすぼめるリュナを見て、ライゼスは慌てて笑みを取り繕った。
「いえ、無茶を言いました。貴方の気持ちも考えず、すみません」
「……」
 リュナは首を横に振ると、少しためらいながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「……、あまり大きな声では言えないんですが。精神と記憶は深く繋がっているものです。眼帯を外せば記憶を弄ることもできると思います。でも、記憶を修繕したところでその原因を取り除かなければ無意味です」
「原因……」
 ふい、とライゼスが目を逸らす。それを見て、リュナも視線を落とした。
「初めて会ったときからティルちゃんの心は酷く不安定だった。例えば些細な失敗でくよくよしてしまうなら、その失敗を忘れさせてあげるくらいならそれほど影響はないかもしれません。でもきっと彼を苦しめてるのはそんな些細なことじゃない……ですよね」
 会話が途切れて訪れた沈黙を、セラのうめき声が縫う。二人共が彼女に目を向けるが、セラは寝返りを打っただけで再び寝息が零れ始める。
「……大丈夫ですよ、ティルちゃんは。お姉様とライゼスさんがいれば」
「それ、僕要ります?」
 どう考えても逆効果にしかならないと思うのだが、リュナは首を横に振った。
「だって今だって、ティルちゃんのこと心配だから捜しに行こうとしてるんですよね?」
「違いますよ。ただ、セラが心配するだろうから――」
「ふふ、そういうことにしておきます。あ、ティルちゃんにはライゼスさんが心配していたことは内緒にしといてあげますからね!」
 そういうことになってない、とライゼスは突っ込みかけてやめた。ムキになっては肯定しているようになってしまう。空気を読めているようで読めていないリュナには一言物申したい気持ちはあるのだが、今は時間も惜しかった。