12.


「済まない。本当に済まない」
 部屋に入って間もなく、単身訪れ謝罪を繰り返すセラに、ティルは苦笑した。
「もういいって。兄上には俺から謝っておくから」
「しかし……ティルの立場を益々悪くしてしまったのでは……」
「大丈夫だから。もう顔上げてよ」
 これ以上悪くなり様がないのだが、あまりにセラが恐縮するのでそれを言うのはやめる。その代わりに、ティルは違うことを口にした。
「こんな形で帰ることになるとは思わなかったけどね」
「お前、私が負けると思ってるのか」
「本気で勝つつもりだったの? ……強いよ兄上は」
「見ればわかる。だが負けるつもりはないぞ」
 揺らがないセラの瞳を見て、ティルは嘆息した。嘆いたのはセラの負けん気ではなく、自分自身である。
「……なんで、俺にはその強さがないんだろうな……」
 ティルがベッドに腰を下ろし、俯く。セラは彼を見下ろすと、その言葉を否定した。
「ティルは充分強いよ」
「内乱のときも今も、自分じゃ何も言えなかった。そんな俺のどこが強いんだよ」
「なんでも言えばいいってものじゃない。耐えるのも強さだろう? それを私は……」
「いや。嬉しかったよ」
 ティルは顔を上げなかったが、返ってきた言葉に、セラはいくらか表情を和ませた。
「私も嬉しい。やっと、ちゃんと話せたし」
 俯いたまま、ティルは肩を震わせた。
「それに、帰らないって言ってくれて、ほっとした……」
「……セラちゃんはさ……」
 俯き、床を見つめたままで、ティルはずっと気になっていたことを口にした。
「どうして、そんなに俺に優しくしてくれるのさ。俺は何も返せるものがないのに」
 ランドエバーから見ればリルドシアなど取るに足らない国である。その中でもティルは継承順も低くさしたる権力を持たない。剣の腕ではセラに負けるし、ライゼスのように支えになることもできない。いつも縋って甘えて、さもなくば自分の気持ちを押し付けて傷つけている。
 いなくなったところで何の問題もないどころか、いない方がいい――そんな答えはとっくに出ているから、傍にいればいるほど惨めになる。それなのに引き止めてくれるセラにその理由を尋ねると、彼女はいとも簡単に答えた。
「私は何か返して欲しくて一緒にいるんじゃない。一緒にいたいからいるだけだ」
 セラらしい、酷く裏表のない眩しい答だ。ティルにとっては残酷なほどに。
「でも俺は……理由が欲しいよ……」
「理由がなければ一緒にいてはいけないのか?」
「……難しいな。父上は俺が姫であれば必要としてくれた」
 それは苦痛ではあったが、極めて単純明快だった。
 セラの傍にいるためにはどうすればいいのだろう。
 想いを殺して都合のいい自分を演じることか。
 ライゼスのようになることか。
 結局それらはできはしない。想いを殺せるなら傍を離れられたし、ライゼス自身が傍にいるのだから彼のようになったところで意味はない。
 ティルがぼんやりとそんなことを考えていると、不意に腕をつかまれた。
「ティル、それは違うよ」
「……違う?」
 ティルは顔を上げると問い返した。
 窓の外からは絶えず街の喧噪が聞こえてくる。他には誰もいない、見覚えのない部屋。まるで白昼夢を見ているような気分になるが、強く腕を掴まれる感触と翠の双眸が現実を伝えてくる。
「ティルが言う『理由』は、条件を満たさなければ必要じゃなくなってしまう。そんなものが欲しいのか?」
 再び項垂れたティルを見下ろして、セラは続けた。
「わかったよ……お前は、相手に利益がないと傍にいてはいけないと思ってる。だからすぐに自分を蔑ろにするし、簡単に嘘をつくんだ。……もう少し私を信じて欲しい」
「……疑ったことなんてない……」
「でも信じてない。嘘じゃなくても本当のことも言ってない」
 掴まれた腕に力がこもる。ギシリと骨が鳴りそうなくらいに握りしめられたその痛みよりもずっと心が痛くて、ティルはシーツを握り締めた。
「本当のことなんて……知ってどうするんだ。知られたくない。俺はきっと、貴女が思うような人間じゃない」
 セラが眉を潜めたのはその言葉自体にではない。それは黙ったまま、セラは反論しようと口を開いた。 「そんなの、私だって――」
 しかし、ふと気が付いて手を離す。ティルが掴んでいるシーツには、微かではあるが、血の染みがあった。
「その手……」
 触れようとすると、パシン、と軽い衝撃を受けてセラは目を見開いた。その視線から逃れるように、ティルが目を逸らす。
「……ごめん。でも、もう一人にして。少し眠りたい」
「わかった……けどそれ、ちゃんと手当てしろよ」
 溜息と共に言葉を吐き出すと、セラは部屋を出て扉を閉めた。その扉に寄り掛かかり、片付かない思いを無理にも片付けようとすれば、さっき言えなかった言葉の続きが滑っていった。
「私だって、お前が思うような……、お前に想われるような人間じゃないさ……」
 零れた弱音を飲み込んで、熱くなりそうな目をこする。今は、そうする前にやることがある。
「だけど――だから、せめて勝つ。私には、それしかできないから……」
 剣を振るうことでしか守れない。それ以外の方法を、セラはまだ知らない。