5.


 レゼクトラ邸を出ると、セラは大きく伸びをした。
「ああ、ドレス着てると疲れる。今日はもういいかな……」
「まだ午後にもなっていませんが?」
 呆れた顔でライゼスは突っ込んだ。それを見て、セラがむっとしたように眉間に皺を寄せる。
「じゃあお前もドレスで過ごしてみろよ。私の気持ちがわかるぞ」
「嫌ですよ。どこぞの姫じゃあるまいし」
 同様にしかめっ面でライゼスがそう返すと、セラは「はは」と笑った。だがその笑顔はどこか寂し気だった。
「……なんだかんだで、あいつは凄いな。ドレス着てても平気そうだし、それに意外と頭もいい」
「姫として育ったんですから、そりゃそうでしょう。一国の王女たるものの義務です」
 含んだ言い方をされて、セラはそちらにジト目を向けた。
「それは済まないな、出来の悪い姫で」
「ええ。教育係の顔が見てみたいものですね」
 ライゼスが口にしたのはまたも皮肉だったが、それが向かう相手は変わっていた。ふとセラが表情を変える。その瞳を底抜けに蒼い空へと向けて、独白のように彼女は呟いた。
「私は、ずっとお前に守られてきたんだな……。それがどれだけ幸せなことだったのか、今ならわかるよ」
「セラ……」
 時折、セラはこうしてやけに大人びたことを口にするようになった。確かに最初の任務以来色々なことがあったが、結局は大人びているのではなく、大人になったのだろう。そう考えると同時に、ライゼスは未だ変われずにいる自分をもどかしく思った。あのセラが、瞬く間に大人になってしまったというのにだ。
「……そう言ってもらえれば、僕の苦労も多少は報われますね」
「多少か」
「ええ、多少」
 少し不満そうなセラに、ライゼスは敢えて同じ言葉を返す。不満顔はすぐに溶けて、やがてどちらからともなく笑い出す。そのセラの笑顔に裏表がないのに対して、ライゼスは口の奥に苦みを隠していた。
 守っているようで、守られていたのはずっと自分の方なのだと――自覚した上で、思う。
(……あの人にも)
「あいつにも――」
 同じタイミングで、セラが呟く。その続きはなく、中途半端に途切れて空に流れたその続きを、ライゼスが口にする。
「そういう誰かがいれば良かったのに――ですか?」
 ざっと風が吹いて、セラの金髪を巻き上げる。その向こうで、セラが目を見開いた。風が収まって、乱れた髪を撫でつけながら、セラがぼそぼそとつぶやく。
「……そこまで顔に出てるのか?」
「いえ、別に。ただ、僕も思わないわけじゃないからですよ」
 心底意外そうな顔をしたセラに、ライゼスは苦笑した。
「まぁ、同情はしませんよ。求めてもいないだろうし」
「……お前らのことはよくわからないな……」
 額に手を当てて、セラが溜息を吐く。実際のところ、ライゼスにもよくわかってはいない。ただ、彼ほど特殊ではないにせよ、自分もセラに会っていなければどうなっていたかわからないところはあった。
 セラも――恐らくティルも勘違いしていると、ライゼスは思う。自分もそう強い人間ではない。
(きっとなれますよ、貴方なら。僕を救ってくれたように)
 だからそれを実際には口にしない。それもまた弱さだ。
 きっとそれでもセラは大丈夫だと――そう信じていたから。黙したままライゼスは歩き出した。
「あ、待ってくれラス。差し支えなければエルベール家に寄りたい。まだあの子に謝っていない」
「レミィですか? 別に気にしてはいないと思いますが……いえ、むしろレミィがセラに対して失礼ではなかったかと、そういう意味では気にしていましたね」
「ならなおさらちゃんと詫びておきたい」
「でしたら……馬車を手配しましょうか」
 城下の貴族街までそう距離があるわけではないが、今のセラには徒歩で向かうには酷だろう。セラは少し顔を赤らめ、「頼む」と答えた。そのままセラをレゼクトラ邸に待たせ、ライゼスは小走りに城へと向かった。
 セラに言われるまで忘れていたが、そろそろレミィもレアノルトへ帰る頃かもしれない。それまでに自分もちゃんと話しておかなければならないことがあるのを思い出し、ライゼスは少し苦い気分を噛みしめたのだった。

■ □ ■ □ ■

「こ、これは姫様!」
 エルベール邸にて。
 使用人に用向きを告げると、すぐにレミィは姿を現した。その焦ったような顔を見て、ライゼスが口を開く。
「レミィ、急に済みませ――」
 だが彼を制して、セラはレミィの前に進み出た。そして跪こうとする彼女を両手で止める。
「セリエラ・ルミエル・レーシェル=ランドエバーだ。先日は邪魔をした上に挨拶もせず、済まなかった」
「そ、そんな勿体ない! どうかお顔を上げて下さい!」
 恐縮するあまり悲鳴のような声を上げるレミィに、セラは少し困ったような顔をした。
「済まない、逆に困らせてしまったな」
「いえ、そのようなことは……その……」
 おろおろするばかりのレミィだったが、セラの表情に寂しさも混じったのを見て、思い立ったように声をかけた。
「そ、そうです! 今丁度ケーキを焼いていたので、良かったら召し上がっていきませんか!?」
 レミィと打ち解けるのをあきらめかけていたセラが、きょとんとして顔を上げた。
「ああっその私姫様になんてことを! どうかお許しを!」
「いや、迷惑でなければ喜んで。だがこれでは詫びにはならないなと……」
「構いません! 姫様に足を運んで頂けただけで勿体ないことです。さぁ、中へどうぞ。ライゼス様も」
 レミィに促され、セラとライゼスはエルベール邸へと足を踏み入れた。

 慣れた手つきで、レミィはケーキを切り分け、茶葉を蒸らして人数分のカップを温めていく。それをセラは感心したように見つめた。
「レミィは凄いな。まるでラスみたいだ」
 引き合いに出す相手がおかしいと言いかけて、ライゼスはそれを飲み込んだ。そういえば昔は拗ねたセラを菓子で懐柔したことがよくあったと思い出す。
「それは、焼き菓子の作り方はライゼス様に教わりましたから」
「そ、そうでしたっけ?」
 覚えのないことにライゼスは首を捻った。だがケーキに口をつけてみれば味が自分の作るものとまるで同じだから、そうなのだろう。
「レミィはラスと親しいんだったな」
「し、親しいという程では! そ、その、すみません!」
「? 何がだ?」
 突然謝りだしたレミィに、セラが怪訝な顔をする。ライゼスは理由のわからない気まずさに、今更ながら自分は遠慮すべきだったと後悔し始めていた。
「ラスがいつも世話になっている礼も言わなくてはと思って」
「あ……いえ、お世話になっているのはわたしの方で……」
 レミィがもごもごと呟く。そのまま、場に沈黙が訪れた。なんとなく気まずい空気なのはわかったのだろう。セラはフォークを置くと、ティーカップを手に取り、不自然に微笑んだ。
「あー……その。ラスにガールフレンドがいるとは知らなかった。なかなかどうして隅に置けない」
 同様にカップに口をつけていたライゼスとレミィが、危うくそれを噴き出しかけてどうにか堪える。だが二人ともゲホゴホと激しくむせた。セラが紅茶を飲みながら不思議そうにそんな二人を見る。
 先に咳の収まったレミィが、言い出しにくそうに声を上げた。
「お、恐れながら……姫様はライゼス様とご婚約なさった……のですよね?」
「……ああ、そうだが」
 紅茶に口をつけ、セラが目を逸らして答える。逆にずっと恐縮しきりでうつむいていたレミィは、確りとセラを見据えた。
「でしたら、そういうことを言うのは失礼かと存じます」
 いままでどもっていたレミィが、はっきりとそう意見する。セラはカップを置くと驚いたように彼女を見た。それから、罰が悪そうに目を伏せた。
「そうか、済まない……私の思慮が足りなかったようだ」
「いえ!! わたしの方こそ出過ぎたことを。どうかお許し下さい」
 飲み下した紅茶の味がわからない。どんどん息苦しくなってきた場に、ライゼスは重い口を開いた。
「その……レミィはいつレアノルトに戻るんですか?」
 レミィがこちらに視線を向ける。その目が傷ついたように見開かれるのを見て、やっと気が付く。この言い方はまるで帰れと言っているようだ。
「いえ、あの、そうではなくて」
 何がだと自分で突っ込みながら、ライゼスは忘れそうになった用件を手繰り寄せた。
「実は、僕らも公務でレアノルトに向かうことになりまして」
「あ……そうでしたか。出立はいつですか?」
「三日後の予定です」
「もしかしてレアノルト祭へ行かれます?」
 日程で察したのだろう。レミィの問いに、頷くと、レミィは「まあ」と両手を合わせた。
「実は私もそれに合わせて王都を発つ予定でした」
「それは丁度良かった。だったらぜひ一緒に行こう」
 にこにこと微笑むレミィの顔が一瞬強張る。
(――今のこの空気を、レアノルト行きの馬車にまで引きずるんですか?)
 などという不平を口にできるはずもなく。
 そしてセラの申し出をレミィが断れるはずもなく。
 すぐに笑顔を浮かべ、レミィは「喜んで」と答えた。