九人の王子 4


「お帰り、ラディアス。今日も黒いね」
 陽気な声をかけられて、ラディアスは自室へ向かう足を止めた。
「貴方の臓物ほどではありませんよ、レイオス兄上」
 一瞥をくれてやりながら皮肉を言う。漆黒の長髪をした細身の男は、それを受けて面白そうに笑った。
「君もそんな冗談を言うようになったのか」
 ラディアスにしてみれば冗談のつもりは毛頭なかったのだが、次兄は面白そうに、まだ笑い声を上げ続けている。
「笑い事ではありませんぞ、兄上。港の件では」
「ああ、港の封鎖ご苦労だったな」
 ラディアスが『港』の単語を出すと、さすがにレイオスも笑いをおさめた。
「封鎖自体は、そこまで手間取りませんでしたが。これからが問題です。旅人や商人は、幾日も足止めを食らっては黙っておりますまい」
「そう思うなら、さっさと賊を掃討してくれると嬉しいんだがな」
 探るようなレイオスの瞳に、フン、とラディアスは鼻を鳴らした。
「兄上らしくもない、まわりくどい言い方ですな。そんな単純な問題でないことなどお解りでしょうに」
 ようやくラディアスは身体ごとレイオスに向き直った。相変わらず無表情ではあるが、内心は僅かに苛立ちを感じていた。無駄な問答は好むところではない。
「この時期に賊など、間違いなくティルフィアの足止めを狙ったものでしょう。乗ればそのまま殺せるし、乗らねば国内に足止めしてその間に消す。それだけではない、賊の討伐に私が 向かえば陛下の暗殺も狙える。王位が欲しいならティルフィアを狙うよりその方が早い」
 率直に言うと、レイオスは笑いながら手を叩いた。
「よくできたシナリオだ。ディルフレッドが思いつくには、少しできすぎだな?」
「滅多なことを笑顔で言うものではありません、兄上」
 咎める言葉とは裏腹に、口調は淡々としていた。その中に、レイオスが肯定を見る。
「わかっているなら、私が口出しするまでもないようだな。ああ、だが、このところ城に鼠がうろついてるようだ。ぬかるなよ」
「鼠ごとき、恐れることもないでしょう。夜中に猫が徘徊しているようですし」
 しれっと言われ、レイオスは苦笑した。
「番をするのは狗(いぬ)の仕事だろう」
「狗は飼い主さえ守れればそれで良いのです」
 レイオスの切り返しにも、ラディアスは動じなかった。
「そうか。では兄上とティルフィアのどちらにつくか――などという問いは」
「愚問ですな」
 口癖で答えるだろうと予測して、レイオスが振る。間髪いれずに、ラディアスは予想通りの答えを返してきた。
 ――彼は王命でしか動かない。
 極めて解りやすく助かることだと胸のうちで呟いて、レイオスは弟の隣を行過ぎる。御しにくいが、利用はしやすい。
「――しかし、心配せずともティルフィアは、そう易々とはやられんでしょう」
 反対方向に歩き出すレイオスを、振り返るでもなくラディアスは呟いた。レイオスもまた、歩みは止めたが振り返るまでには至らない。
「なかなかどうして、彼女は相当な狸ですぞ」
「鼠に猫に、狗に狸か。賑やかなことだ」
 レイオスがくくっと笑う。
「彼女も玩具が欲しくて村正を持っていったわけではあるまい。ああも命を狙われれば、女の身とて強くもなろうよ」
「もうひとつ」
 大して気に留めた風でもないレイオスに、そこで初めてラディアスは彼の方を振り返った。
「ランドエバーから来た騎士。彼もあまり舐めてかからない方がよろしいかと」
「ほう。君の目に留まるとは、平和ボケしていてもさすがはランドエバーということか。肝に銘じておくよ」
 振り返らないまま立ち去っていくレイオスを、ほんの少しだけ見送ってから、ラディアスは自室へ向かう歩みを再開した。

■ □ ■ □ ■

 人に紛れて港を出た三人だったが、往来の人混みにふと視線を感じ、セラは足を止めた。
「セラ?」
 ライゼスの怪訝な声も意識の外に弾いて、セラは目を閉じ集中した。喧騒が消える。人が消える。闇の中に自分だけが存在するイメージの中に、異物が混じる。
 ――殺気。
 後方から矢のように、こちらに向けて突き進んでくるそれに向けて、セラは目を見開いて腰を落とし、もう一度鋭く息を吸った。その呼吸に合わせて右手を動かす。

 ガギィン!!

 甲高い金属音がして、セラの足元にナイフが落ちた。それが襲撃者の凶器であることに気付いて、ティルが顔色を変えた。
「走れ!!」
 剣を持つ手とは反対の手でティルの手を掴み、セラが走り出す。こんな大通りで襲われては一般人を巻き込んでしまう。しかし立ち止まっていては恰好の的だ。
「建物の中に!」
 ライゼズが手近な店に二人を誘導する。
「わかった!」
 店の中に飛び込んで、三人は大きく息をついた。
「……二人が喧嘩するから、見つかってしまっただろうが」
 セラがぎろりと二人を睨みつける。それを受けて、罰が悪そうにライゼスは謝罪を口にした。
「すみません。ですがあれはこの人が」
「手を握ったくらいで大げさなんだよ、お前は」
「ほっといたらそれだけですまないでしょう、貴方は」
「そりゃーそうだ!」
「……否定するところですよ?」
 二人とも罰が悪そうだったのは当初だけである。すぐに口論へと発展し、ライゼスが手をかざして、ティルが刀に手をかける。だが、二人ともそのまま、凍り付いたように動けなくなった。
 ――ひっ。という悲鳴をティルが飲み込む。それは、セラから何かオーラのようなものが立ち上っているのが見えたからだ。いや、実際には何も見えないのだが、ライゼスとティルの二人には確かに見えた。怒りのオーラ、と名を付けるべきものの姿が。
「いい加減にしろよ、お前ら?」
 静かなセラの声に、二人は構えを解いて、従順に頷いた。
「すみません。僕が大人気なかったです」
「いや、すべて俺が悪いんです。すみません」
 詫びる二人を満足そうに見て、ようやくセラから立ち上る怒りのオーラが消える。
「次に喧嘩したら、遊撃者ごと叩き斬るからな?」
 にこっと笑ったセラに、震えながら二人は頷いたのだった。
「それにしても、往来で襲ってくるとは思いませんでしたね」
「俺やボーヤは気が付かなかった。セラちゃんだけが殺気を読み取れるくらいの位置から正確に俺を狙ったなら、相当な腕だな」
 自分の長い髪をいじりながら、ティルが唸る。
「……そんな凄腕の駒をディルフレッドが持っていると思えない。港の件もヤツにしてはできすぎたシナリオだ。他に暗躍してるヤツがいる」
 誰だ――とティルは思考をめぐらせた。しかし、兄弟、家臣、民、全てから恨みを買っている以上、誰が敵でもおかしくない。
「ティル。今犯人を突き止めても意味はない。生き延びることだけ考えろ」
 セラの声が、ティルを思考の渦から引き上げる。
「誰が敵でも、私達は味方だ」
「セラちゃん……」
 だけど、という否定を、ティルは胸の中だけに留めた。セラの気持ちを汲んだのだ。
「僕は敵側にカウントしてくれてもいいですよ」
「上等だぜ」
「また、お前達は……」
 刺々しい会話を交わす二人に、セラがまた苦言を呈する。だが、それは途中で消えた。