8.



 シャン、と剣を振り下ろすセラは、ドレスを着て疲れていた面影はどこにも見られない。水を得た魚のようにいきいきとした目に溜息を隠したのは、ライゼスだけではない。ティルとリーゼアもだ。
「活き活きしちゃってまあ……」
「あれでこそ姫様という気はしますけどね……」
 呆れを含んだ声で囁きあう二人の声に、ライゼスは渋面になった。
 どうしていつもこういう事態になってしまうのだろう。今日は慣れない社交の場に疲れた体を休め、明日には王都に戻れるはずだったのに。
「こちらです」
 ライゼスの苦悩など欠片も知らない顔をして、クルトが館を案内する。重い石の扉を開けると、ひやりとした空気が一同の肌を撫でた。
「ここは……王座?」
 ランプをかざし、セラが呟く。言葉どおり、開けた部屋には玉座があった。
「そうです。ここはとくに曰くつきの部屋になりますね。アトラスはこの玉座に座ることなく散ったと伝えられます」
 部屋の入口から動かないクルトの横を通り過ぎ、臆することなくセラは玉座に歩み寄る。
「ラス、何か感じるか?」
「……微かに魔力の流れは感じますが。異常なほどではないですね。ランドエバー城の方が強いくらいです」
 ランドエバーは光に守護されるといわれる国だ。その城は一度も崩されることがなく、古い時代から今に続いている。それに比べればどうということのない力ではある。クルトには悪いが、ライゼスはほっとした思いを禁じ得なかった。このまま何も起こらず夜が明ければ王都に帰れる。ブレイズベルク城の謎を解き明かすには、追って城の騎士や学士が向かえばそれでいいことだ。
「ここの内装は遺跡をそのまま使ったとのこと。細工が細かく、アトラスが気に入っていたということです」
 ――それはそれとして。
 一学士として、ライゼスも遺跡には興味がある。クルトの説明にランプを翳すと、たしかに凝った装飾がそこいらに見られた。
「興味深いですね。この様相は大陸歴1800年頃によく見られたものです。これほど古い遺跡がここまで綺麗に遺されているのは非常に珍しいですよ」
「学者もそう申しておりました。アトラスが遺跡を城にすると言ったときは揉めたでしょうね」
 とはいえ、アトラスはランドエバーすら征服しようとしたほどの野心家だ。学者の諫めなど聞くような男ではなかっただろう。
「見事な玉座だ」
「それは遺跡に据えられた石板を切り出して作られたと言われています。よく見ると文字が残っていますよ」
 クルトの声に、セラはランプを玉座に近づけた。
「本当だ。だが、見たことのない文字だな。読めない」
 セラの声に、比較的近くにいたティルが玉座に近づく。
「古代文字ですね」
「読めるのか?」
「少しですが。ライゼス様ほどではありませんよ」
 ティルが答える。敬語なのは、近くにクルトがいるからだろう。しかしそれでもセラにすれば、ティルに敬語を使われるのは妙な気分である。しかしこうして彼が立ち回りを気にするのはセラが公務として来ているからであるため、文句を言えるはずもない。セラは彼から目を背けると、再び玉座の文字を見た。
「……少しでも、読めるだけすごいよ。私には全く――」
 わからない、と言いかけて、セラは押し黙った。そして灯りをさらに玉座に近づける。見たことのある文字が目に飛び込んできたからだった。
「――いや、ここだけ読める」
 セラが玉座に手をつき、顔を近づける。

「る、み、え、る。ルミエル――光、だ」

 ――その瞬間だった。
 セラが手をついた場所を核にして、まばゆい光の奔流が辺りを包み込む。
「セラ!!」
 ライゼスがランプを放り出し、玉座へと駆ける。だがその頃には光は消え去り、セラの姿は忽然と消え去っていた――その傍にいたティルまでも。
「セリエラ王女!?」
「ティル!」
 クルトとリーゼアが叫び、二人も玉座へと走り寄る。動転しそうになる自分を律しながら、ライゼスは魔法で明かりを出すと、改めて玉座を調べた。
「……『我に光を与え給え』。セラが読んだのはこの一節ですね」
 セラのフルネームはセリエラ・ルミエル・レーシェル=ランドエバーである。ルミエルは古い言葉で『光』を差す。セラは古代語を読めないが、その単語だけならば由来を聞いて知っていても不思議ではないとライゼスは考えた。
「セラは光に守護されるランドエバー王家の血筋。彼女の秘める光の力が、遺跡を起こしたのかもしれません」
「それなら――ティルは?」
 リーゼアの上げた疑問の声に、ライゼスは考え込むように口元に手を当てた。
「近くにいたから巻き込まれのでしょうが……そういえば彼も特異魔力の持ち主です。もしかしたら何か関係しているかもしれませんね」
 セラは特異魔力の持ち主故に、ライゼスはその居所を感知できる。ティルもリルドシアの内乱で、魔法を使う親族から居所を探知されていた節があったのを今更のようにライゼスは思い出した。しかし、その感知能力を使っても、近くにセラの気配は感じられない。しかし、消えてはいない。
「わたし達では姫様の後を追えないということ……?」
「招かれずとも、こじ開けて見せます」
 言うなり、ライゼスは印を切った。
「リズ、夜が明けても僕らが戻らなければ、王都に戻ってこのことを陛下に!」
 巻き起こる光がライゼスの手へと収束していく。その手を、ライゼスは玉座に打ち据えた。
『我が名を持って命ず! 光よ、我に従い閉ざされた道を拓け!!』
 再び玉座から先ほどの光が巻き起こり、ライゼスの起こした光と溶け合った。それを見て、咄嗟にリーゼアはライゼスに飛びついた。
「嫌です! リズもお兄様と一緒に行きます!!」
「!」
 光が一際激しくスパークする。そしてそれが収まったときには――玉座の間にはブレイズベルク卿クルトだけが残されたいた。