6.



 その夜は領主の館で休むことになった。ブレイズベルク領主邸はまるで城のように大きく、回廊にはずらりと扉が並んでいる。そのうちの一つをライゼスはノックした。名を告げると無視されたが、構わず扉を押し開ける。
「一応礼を言っておきます」
「一応かよ。てかセラちゃんのためにやったことでお前に礼を言われるのムカつく」
 要件だけを手短に告げると、ティルはこちらを見もせずに肩をすくめた。そんな彼の態度は予想していたことではあったが、彼が手にしているものを見てライゼスは眉間に皺を寄せた。
「まだ飲む気なんですか?」
 ティルはあれからも勧められるまま飲み続けていたが、今また酒の瓶を開けている。呆れを含んだライゼスの声に、ティルはうるさそうに顔を歪めた。
 さてどんな嫌味か皮肉が返ってくるかとライゼスは身構えたが、彼が口にしたのはそのどちらでもなかった。
「……レグラスワインといえば向こうでも有名なんだぜ。ボーヤももらっておけば? 隊長あたり土産にしたら喜ぶんじゃないの」
「酒乱ばかりの家に酒なんておけませんよ」
 やや拍子抜けしながら答えると「お前も含めてな」ティルが揶揄する。剣を持つと人格が豹変するライゼスは、酒が入っても同様の現象が起きたことがある。
「む、昔の話です!」
「じゃー飲むか?」
 酒が注がれたグラスを差し出されて、ライゼスは怪訝な顔をした。馬鹿にされているのかとも思ったが、ティルの表情からは真意が読めない。それもいつものことと言えばそうなのだが。
「なんで貴方と飲まなきゃならないんですか。酔ってるでしょう?」
「さー……どうだろうね」
 もう一つグラスを出して酒を注ぎながら、ティルは曖昧な返事をした。
「人生で一度くらい、嫌いなヤツと酒飲むのも悪くないかと思っただけさ。酔ってるかもな」
「……この歳で、人生で一度くらいのことをわざわざしなくていいんじゃないですか」
「お前はぶれねーなあ」
「あなたがぶれすぎなだけですよ」
「違いない」
 珍しく、ティルはそれ以上言い返してこなかった。そんなティルの態度に調子を狂わされながらも――いや、狂わされたからこそ、だろうか。ライゼスも少しくらいなら飲んでもいいかもしれないという気分になっていた。城を離れて、この場にセラがいないので気が抜けているのもあるかもしれない。そして、彼も同じなのかもしれないと思った。
 しかし、ライゼスがグラスに手を伸ばしたそのときである――突然、部屋の灯りが全て消えた。シャンデリアも、テーブルの上のランプも、壁に掛かった燭台の火も、一度に全てである。
『……光よ。我が前に集いてその姿を示せ』
 違和感を感じながらも、ライゼスは明かりを出すための呪文を紡いだ。真夜中の、光源がない場所で無理やり作った魔法の光はひどく頼りないものだったが、蝋燭の火程度には周囲を照らす。
 ティルはこの暗闇の中でも既にグラスを置き、火打石を手にしていたがいつになく真面目な顔で首を横に振った。
「つかねーな。火花すら出ない」
 一瞬だけ顔を見合わせて、それから二人は同時に同じ場所へと動いていた。
 セラにあてがわれた部屋まで駆ける。廊下の灯りも全て落ちて闇はどこまでも続いていた。確実に異変が起きている。
「セラ!」
 名を呼びながら、ライゼスは迷わずその扉を開けた。同じく闇に塗りつぶされた部屋の中をライゼスの魔法の光が照らしだす。その光の中には、ドレスを脱ぎ下着一枚でベッドに座っているセラと、その脇に立つリーゼアの二人がいた。
「きゃあああああ!!! お兄様だめえええ!!!」
 リーゼアは普通に親衛隊の制服のままだったが、なぜか悲鳴を上げたのはリーゼアの方だった。ライゼスに突進していくリーゼアが辿り着く前に、ライゼスは反射的に明かりを消していた。再び辺りに闇が広がる。
「きゃあ!?」
「リズちゃん危な――」
 ゴスッと鈍い音がして、それから静寂が訪れる。
「ラス、明かり」
「は、はい……」
 一人冷静なセラの声に、ライゼスが再び明かりを出す。ライゼスの魔法を強化する体質のセラが傍にいるためか、さっきよりも煌々と魔法の灯りが部屋を照らした。シーツを羽織ったセラがベッドを降りたところで、彼女とライゼスの間には、ティルを下敷きにしてリーゼアが倒れていた。
 急に明かりが消え躓いてしまったリーゼアは、それを支えようとしたティルを巻き込んで転んでしまったのだが、明かりが戻るなり彼女はティルの胸倉を掴み上げた。
「貴様!! 見たな!! いますぐ記憶を消せ!! 脳味噌を引きずり出してくれる!!」
「いやだね!! 死んでも忘れんわ!!」
 子供のような喧嘩をする二人をしばしセラとライゼスは半眼になって見下ろしていたが、ティルの上に乗ったままのリーゼアがティルの首を絞め始めたところでライゼスはその首根っこをつかんだ。
「リズ、その辺にしときなさい。今のは僕が悪かったです。大体他に言うことがあるでしょう」
「う……」
 手を放し立ち上がると、リーゼアは蚊のなくような声で「ありがとう……」と呟いた。頭をさすりながらティルが起き上がり、溜息をつく。
「ノックもせずにすみませんでした、セラ。異変はありませんでしたか?」
「急に灯りが消えて真っ暗になった。何も見えないし、無暗に動かない方がいいかと思ってじっとしてた。殺気とかはとくに感じなかったな」
 言いながら、セラはティルに視線を走らせた。一番夜目が利いて殺気に鋭敏なのはティルだ。
「そーだな……誰もいなかったし殺気もなかった」
 顎に手を当て、思い出すようにティル。しばし考え込むように誰もしゃべらなかったが、足音が聞こえて皆我に返った。
「敵?」
「だったら足音くらい消すだろ。館の誰かだ」
「ここに来られてはこまります! お兄様、ティル、外で応対して下さい!」
 リーゼアにぐいぐいと背を押され、二人が部屋の外に出される。扉が閉まってまもなく、姿を現したのはブレイズベルク領主だった。手にはランプを持っている。さっきは点かなかったのに、とティルが呟いた。
「おお、お二方」
「ブレイズベルク卿。今、突然灯りが――」
「やはりこちらもでしたか……」
 ライゼスの言葉を聞くなり、クルトはうなだれた。その様子に驚きはあまりなく、ライゼスは瞳に剣呑な色を宿す。
「どういうことですか?」
「じ、実は――」
 言い淀みながらもクルトが口を開いたとき、扉の向こうからセラの声がそれを阻む。
「ブレイズベルク卿、私も話を聞かせて欲しい。支度をするので少し時間を頂けないだろうか」
 そう言いだしたセラに、何となく嫌な予感がするライゼスだった。