SUMMER ROMANCE 10



 ――ねえ、わたしはもう気が済んだから逝くけれど、

 頭の中にはそんな声が響いたが、戻りつつある平衡感覚と、そこに伴う重力の圧力に、それはなんとなく察しがついた。

 ――あなたは、わたしみたいになっちゃダメよ?

 忠告に、ふっと笑う。実際に笑えたのかどうかわからないし、今体を支配しているのが彼女と自分のどちらが大きいのかもはっきりしないが、笑ったのは伝わったらしい。そして、向こうが怪訝に思ったこともまた、こちらへと伝わってきた。
「……なるのかも、しれない」
 言葉は何処かに流れていってしまう。
 唇が震える感覚はなかったし声にもならなかったその言葉を聞いて、彼女が顔をしかめた――ような気がした。
 全てが曖昧な空間だけれど、感情だけははっきりと胸に届く。現実世界もそうであれば便利なのかもしれないが、それは捉え方の問題で、場合によっては恐ろしく不便であろうことはリュナを見ていても解る。
「伝えられないままになるかもしれない。でも、後悔はしないと思う。どんな報いが来たとしても、私はこのまま……、今はこのまま、傍にいたいんだ。せめてそれが許されなくなるまでは。そこにどんな未来があったとしても……、私はそれよりも今の方が大事だ」

 ――でも、今は過去に、未来はいつか今になるわ。

「詭弁だな」

 あくまで忠告を取り下げる気のない彼女の言葉を、笑い飛ばして一蹴する。
 すると、意外にも彼女も笑ったようだった。

 ――でも、あなたはわたしのようにはならないわね。わたしよりもずっと強いみたいだもの。

 頭に響く言葉は、どんどん薄れていく。それは少しずつ彼女の存在が消えていくことを意味しているのだろう。
 何か言おうとしたのだが、言葉にはならなかった。だが言葉を探していると、向こうも何か言おうとしていたのにそれを閉ざした。間近に感じていた存在は急速に遠くなり、逆に自分へと帰ってくる意識は滝のように頭に流れ込んでくる。

「さよなら」

 どちらが流した言葉かは解らない。だけど、もう肌を焼く真夏の光と、聞きなれた幼馴染の小言はすぐそこにある。
 早く起きないと、このままではリュナがあの長い説教を食らうことになるだろう。それはしのびないと、セラは小さく笑った。


「――動くなとは言いませんが。何かするなら行き先と落ち合う場所くらい言ってくれないと、心配するじゃないですか!」
「はーいごめんなさーい」
 ツインテールをしょんぼりさせて、リュナは何度目かの謝罪を口にした。
 言わなくても、ライゼスはセラの居場所を魔力で探知できるじゃないかとか、そういうことは言わない方が良いのだろう。
とにかくライゼスの気がおさまるまで謝罪を繰り返すことにする。セラの意識はまだ戻っていないが、顔色も良いし、心地よい寝息を立てているから心配ないだろう。ただ、せめて屋内に移動したいなと思いちらりとティルの方を窺い見るが、助けてくれる気配がないところをみると、ティルも怒っているようだった。
「ライゼスさんはともかく、なんでティルちゃんまで怒ってるんですか?」
「……いやあの、本気で言ってる?」
 ジト目で見下ろされたので心当たりを探ってみる。ティルは結果オーライだったことについては、過ぎたことをあまりとやかく根に持つ性格ではないと思うのだが、それを抜きにするとリュナに特に心当たりはなかった。
「で、セラ。何笑ってるんですか。気がついてたんですね?」
「ああ。いや、今気がついた」
 考え込んでいるうちに、いつの間にか気がついたらしいセラが起き上がる。ライゼスの突っ込んだ通り、セラは笑っていて、やはり体調には特に問題なさそうだ。
「大丈夫ですか? 気分が悪いとかは」
「問題ないけど、暑い。お前の小言に付き合ってたら熱射病になる」
 それでも安否を気遣うライゼスに皮肉を返しながら、セラが立ちあがる。その言い様にリュナも笑いながら立ち上がった。だが、すたすたと歩き出したセラの後を小走りに追いながら、一応フォローを入れておく。
「でもお姉様。ライゼスさんもティルちゃんも、すごーく心配してたんですよ?」
「知ってる」
 セラは短く答えると、歩くのをやめて振り返った。追いかけてくるリュナの後を、さらに追ってくる仏頂面のライゼスと、苦笑しているティルの方へ視線を向けると、急に立ち止った所為だろう、少し驚いたようにその二人も歩みを止める。そちらへちゃんと向き直ってから、セラは笑った。

「心配かけてごめん。ありがとう」

 ぱちぱちと目を瞬かせる二人を見てもう一度くすりと笑い、またセラが歩き出す。
「……お姉様、もしかして、意識はずっとあったりしました?」
「さあね。それより、ラスは城に遅れるって書簡出したんだろ? だったらもう1日くらい遊んで行くかな」
 こちらを見下ろしてウインクするセラを見、リュナは一瞬ふと苦笑したが、すぐに苦みを消して、声を上げて笑ったのだった。