SUMMER ROMANCE 1



 固いブーツの底が回廊の床をけたたましく叩く音に使用人達が驚いて顔を上げた頃、アッシュブロンドの尻尾はもう目の前を通り過ぎて行く。うららかな昼下がりの平穏を乱す正体など皆知りすぎる程に知っていて、彼らは溜息をつくのだった。だが、嫌な顔をする者はいない。
 日常茶飯事だったそんな事象も最近めっきり見ることがなくなっており、久々の厄介ごとに誰もがどこかでほっとしているのだった。

「任務って本当ですか父上!!」
 ズバーンと執務室の扉を開け放ち、息を切らしながら駆け込んできた娘を見て、父は苦笑した。こうなることは予想していたが、あまりにも予想通りで苦笑が零れた。
「ああ。まあ、任務というほどじゃないけどね」
「でも、外に出ても良いということですよね!?」
「ああ、まあ――」
 セラが開け放したままの扉にもう二つの人影を見て、アルフェスは言葉を止めた。そして、そちらに視線を延ばしてまた苦笑する。
「そんなに睨むな、ラス」
「に、睨むなど、そんなことは。ただ――」
「チビ姫が出かけるといつも大事になるからねー。外に出さない方が無難だよねー」
 アルフェスの横でに立つヒューバートが、きししと笑いながら揶揄すれば、今度こそライゼスは彼を睨みつけた。親子喧嘩勃発の気配を感じて、アルフェスがコホンと咳払いをする。
「まあ確かに、今まで色々厄介なことは起きたけれど。でもセラが悪いわけじゃなかったし、結果的にそれによって良い方向に物事も流れている。それに、最近講義やレッスンをサボったり、城を抜け出すこともないそうじゃないか」
 穏やかな声にやんわりと仲裁され、ライゼスは喉元にまできた怒号を引っ込め、アルフェスの方に視線を戻した。まだ渋面は解けないが、アルフェスの言葉に対してはライゼスも肯定するしかない。
「ええ、それはそうですが」
 だがそもそもそれは当たり前のことではないのかと、それもまた飲み込んでおく。セラにお姫様の常識など通用しないし、その変化を素直に喜ぶ父の前では失礼に当たるだろう。
「……それで、それはどんな任務なのですか」
 そんなわけで、仕方なくライゼスは話を促した。セラはもう外に出すなと、城中からきつく言われているのは周知の事実だ。その上で国王が言うのだから、安心できる内容だと信じるしかない。任務の内容を促す発言をした途端、セラが期待と興奮で目をきらきらさせたのが、見てないけれどなんとなく判った。
「よく聞いてくれた。護衛をね、頼みたいんだ。お姫様のね」
 瞬間、さーっとライゼスの顔色が変わる。それを横目で見ていたティルが、そこで初めて閉ざしていた口を開いた。
「ライゼスさん、顔色が悪いですけど、姫の護衛に何かトラウマでもおありなんですか?」
「おおありですね」
 さっきよりもさらに鋭く、ライゼスは隣の人物を睨んだ。冗談かというほど整った美貌がこちらを見て微笑んでいる。一体猫を何十枚着てますかと突っ込みたくなる衝動をこらえて、短く答える。いつもはボーヤと呼んで小馬鹿にしてくるくせに、国王や王妃の前ではこうなのだ。見事な二重人格には毎度呆れるが、公私の分別がなってない父とどちらがマシなのだろうと考えるとそれも難しい問題だ。
「そのお姫様が実はお姫様でなくてついでに腹黒で性格悪くて内乱に巻き込まれて面倒なことになって疲れたあげく城に居座ってさらに僕を疲れさせてくれたりしたらと思うと恐ろしい任務ですね」
「ラス、いつそんな任務に行ったんだ?」
 一息に吐きだしたセリフを全て聞き取ったらしいセラが、こちらを向いてきょとんとする。その彼女を半眼でまじまじと見つめてから、ライゼスは再びアルフェスへと向き直った。
「陛下、恐れながら申し上げますが、やはりその任務なかったことに……」
「まあまあ、ラス。君も色々苦労があるだろうが、とりあえず聞いてくれ。任務というのは建前で、有体に言えば迎えに行って欲しいんだ。スティンのお姫様が遊びに来たがっていてね」
 真剣に任務の撤回を求めてくるライゼスを諌めながら、アルフェスはにっこりと笑った。そしてまだ意味をわかっていないらしいセラに、意味ありげな視線を送る。
「セラ、お前にとても会いたがっているそうだ」
「……もしかして」
 ようやくピンときたらしいセラが、顔を輝かせる。ライゼスとティルにも、もう国王の意図は解っている。
「リュナですか!?」
「ああそうだ。スティンのアミルフィルド陛下から書状が届いた。リュナは毎日お前の話ばかりしているそうだ。だったら遊びに来れば良い、近くなのだからセラを迎えに行かせると言ったら、リュナの喜びようったらなかったらしくてな」
「……あー、なんか目に浮かぶねー」
「ですね……」
 セラとアルフェスが会話をする後ろで、ティルとライゼスがそんな囁きを交わす。二人の脳裏には、ツインテールを跳ねさせて両頬を押さえ、きゃーきゃー言うリュナの姿が同時に浮かんだ。
「行ってやってくれるか?」
「勿論、喜んで! すぐに行って参ります!」
 いや、そうすぐでなくともと、アルフェスの呟きは誰もいない空間に吸い込まれて消えた。鉄砲玉とはよく言ったものだ。やや呆れてため息をつきながら、アルフェスは残る二人の方を見た。
「悪いけれど、ラス、ティル。セラを宜しく頼むよ」
 苦笑するアルフェスに、二人も苦笑を隠して返事をするのだった。