九人の王子 1


 もうすぐ夜が明ける。
 辺りはまだ暗いながらも、その闇は明らかに薄まりつつある。そろそろ白みはじめてくるだろう空を忌々しげに睨みながら、男はチッ、と舌打ちをした。
「遅い……よもやしくじったか?」
 苛立ちまぎれに男から呟きが漏れる。その様子から人を待っているようだった。
「――これ以上は危険か」
 もう一言呟き、焦れた様子で男が踵を返した、そのとき。
「おや。こんな時間にこんなところで何をしておいでですか? ディルフレッド兄上」
 背中に掛かった声に、男はさきほどの呟きが甚だしい誤算だと知った。これ以上は危険――即ち夜が明けるまでは安全と楽観視していたが、そこが誤算だったのだ。
「……レイオス」
 憎々しげに呻きながら、男、ディルフレッドは振り向いた。まだ離れた相手の顔を即座に識別できるほど、闇は薄らいでいない。だが、声だけでディルフレッドはその主を断定した。 「それを問うなら、貴様こそこんな時間にこんなところへ何をしに来たか、言ってみたらどうだ?」
 レイオスが、失笑したのが気配で伝わり、さらにディルフレッドを苛立たせる。
「別に、たまたま通りかかっただけですよ。私は夜中の散歩が趣味ですので」
「そうか。なら私も散歩だ」
 しれっと言うレイオスに、してやったりとばかりに答えてやる。だがレイオスは相変わらず涼しい声で返してきた。
「そうですか。すると、夕べ一緒にいらっしゃった方々は散歩仲間というわけですね?」
 刻一刻と闇は薄まり、二人の姿を次第に露わにしてゆく。
 短髪で、がっしりした体つきのディルフレッド。長髪で細身のレイオス。
 対照的ないでたちの二人だが、髪の色は共に闇よりも濃い漆黒だった。ようやく読み取れるようになったレイオスの表情は、どうということはない、いつもと同じ不敵な笑顔だった。だが決して目は笑わない。
このレイオスの笑顔が、ディルフレッドは昔から嫌いだった。なんでも見透かしているのだと、見下されているようで。
「私はまた、てっきり夕べの散歩仲間をお待ちなのかと思っていましたよ」
 そう、今も。
「……くっ」
 ばさり、と羽織った外套を翻して、ディルフレッドはその場を立ち去らんと踵を返した。レイオスは特に呼び止めなかった。愚兄の考えや行動など、手に取るようにわかっていた。
「しかし、わかり易いのは助かるが、こうも軽率だと困るな。ラディアスに警備を強化するよう打診しておかねばなるまい」
 自らもまた城に引き返しながら独白する。
「さて……兄上とティルフィア、どちらにつくのが得策かね」

■ □ ■ □ ■

「長兄がディルフレッド。こいつは明らかに王位を狙ってる。が、はっきり言って器じゃないな。さっきの襲撃、あんな杜撰なことするのもこいつくらいさ。次兄がレイオス。王位が欲しいのかどうかは知らないが、人徳もあるし頭も切れる。敵に回ったら一番厄介なのは彼だ。三番目がアルシオス。気さくで争いを好まない人だから、俺を殺してまで王位をとは考えにくいかな。四番目、ラディアス。もう一つの宝刀正宗を持つリルドシアの騎士団長だ。根っからの武人だから王位には興味なさそうだけど、もしものことがあっても絶対に戦うな。リルドシアはたいした戦力を持ってないが、こいつだけは化け物だ。で、五番目のティリオル。内向的な上病弱で滅多に姿を見せないから、何考えてるかわかんねーな。六番目がフィーリアス。それ以上に何を考えてるかわかんねーヤツで、いっつも部屋に籠って怪しい研究してる。七番目のセルヴィルスは、兄弟が多いのをいいことに城に帰らず遊び呆けてて、ほとんど会ったことない。八番目のエラルドだけが唯一信用できる相手だ。歳も近いし、兄弟みたいに育ってきた――ってああ、全員兄弟だっけ。歳で言えば一番近いのは当然九番目のセデルスなんだが……仲は悪くないけど心底俺をどう思ってるかっていうと、わかんないな」
夜が明けるまでにはまだ少し時間があるが、そう長い時間ではない。三人は路地裏から場所を移すことなく、ティルの話を聞いていた。彼の説明はごくかいつまんだものではあったが、何しろ九人もいるものだからそれでも情報量が多い。
「つまり、当面の敵は第一王子ディルフレッドで、はっきりと敵じゃないと言えるのは、第八王子エラルドだけ。あとはグレー。注意すべきなのが第二王子レイオスで、第四王子ラディアスとは戦ってはいけない。こんなところでしょうか?」
「まあ、そうだが……」
 ライゼスが報を簡潔に整理するのを聞きながら、ティルが言い淀む。
「当面の敵はディルフレッドだけでも、この先誰がいつ敵になるかわからない。それでも帰る気にはならない?」
 くどいようだけれど、とティルが問う。それにセラが答える前に、
「帰りますよ」
 ライゼスが短い答えを返す。責めるように見てくる視線だけで制して、彼は自らの言葉を補足した。
「貴方も一緒に来るんですよ、リルドシアのお姫様? 僕たちの任務は、貴方をランドエバーへお連れすることなんですから」
「ああ、そーゆーことね」
 ティルは苦笑すると立ち上がった。そろそろ、辺りも明るくなりはじめている。
「……俺が原因で、祖国に内乱が起ころうとしているんだ。その俺が、安全圏に逃げるわけにはいかないだろ」
 それはセラとライゼスが初めて聞く、茶化しもふざけもしていない真剣なティルの声だった。その瞳に潜む意志に、だがセラはいち早く気付いていた。彼は父を憎んでいる。王家を疎んじている。だが同時に、捨てきれない王家の人間としての強い誇りを感じたのだ。それはセラが同じような想いを持っているから気付けたことだった。
「気持ちは……わかる」
「ええ、わかります。でも、だからこそ」
 思わず呟いたセラを、少し哀しげに見ながらライゼスは続ける。
「味方が圧倒的に少ないこの状況で、僕らだけで内乱を収めるのは無理です。貴方が原因だからこそ、貴方は今この国にいるべきでないのではありませんか?」
 筋の通ったライゼスの言い分に、さすがにティルもすぐには反論できない。その間に、セラもまたライゼスの言葉を後押しした。
「ティル、私もそう思う。今はひとまず身の安全を確保する方が先だ。リルドシア国王ですら、君をランドエバーへ逃がすしか道がなくなってしまったんだ。君や私の力では、今はどうにもできないだろう」
「……そうだ、な」
 そのことはティル自身が、一番よくわかっているのだろう。力ない肯定を返す。
 その頃には朝日が昇り、すっかり闇を払いきっていた。