ハロウィン編

(2011年10月掲載)



「とりっくおあとりーとぉ!!」
 スパーンッ、と引き戸を景気良く開けて姉ちゃんがそんなことを叫び、俺は目を合わせないようにしてため息を噛み殺した。
「なんだよ、いきなり」
 ここは姉ちゃんの部屋でもなければ俺の部屋ですらない、エドワードの部屋なわけである。人の部屋を何の前触れなくいきなり開け放つのはいかがなものか――なんていう文句を、当然声にできるわけはなく。
 姉ちゃんは戸口に寄りかかって腕を組み、そう言うだけで精いっぱいの俺を見下ろして口を開く。
「弟がいかがわしい真似してないか抜き打ちチェック?」
「すッ、するか馬鹿!」
 エドワードの部屋であるこの場には、当然本人もいるわけである。そんな中、声を潜めることすらなく馬鹿なことを言われて思わず本音が滑り出た。直後右ストレートの洗礼を受けて吹っ飛んだ後、追い打ちのヘッドロックをかけられる。
「いやね、ホントは町内会の催しでハロウィンやるらしくて、その用意を手伝ってって言われてるからあんたも手伝いにきなさいよって言いにきたの」
 ていうか本気で首が締まって死にそうである。俺の必死のギブは当然のごとくスルーされ、のんびりと説明された後にやっとのことで解放される。
「というわけでヨロシクねー」
 咳き込む俺に軽い言葉を残して、嵐は去った。
「大丈夫か?」
 エドワードに声をかけられても答えることもできない。が、俺に対してこそ心配そうにしてくれてても、エドワードだってライオネルには平然と本投げつけたりしてたよな……。姉ってオソロシイ。
 ともあれやっとのことで咳と苦しさが治まって、姉ちゃんの言葉が脳裏に蘇ってくる。……ハロウィンか。
「それでトリックオアトリートとか言ってたんだな」
 選ぶまでもなくイタズラしかされなかった気がするが。
「それは、どういう意味だ?」
 呟く俺に、エドワードが疑問の声を上げる。エドワードが言葉を覚えていた頃は、よくそんな問いかけをされたものだが、すっかり日本語が上達した最近ではあまり聞かなくなった。けど、ハロウィンなんて日本じゃそうメジャーなイベントでもないし、トリック云々はそもそも日本語じゃない。彼女が知らないのも当然のことだ。
「えっと、日本語じゃないからね。日本語だと、『お菓子かイタズラか』ってこと。それならわかる?」
「意味は、わかったが……」
「そういうイベントなんだ。ハロウィンって言って、まぁこれも日本の行事じゃないけど。魔女とか悪魔とかに仮装して、お菓子くれないとイタズラするぞって言ってお菓子をもらうんだ」
「魔女とか悪魔、か」
 含みがある彼女の声に、俺も思わず苦笑してしまった。
 俺は赤い目の魔女と言われていたし、エドワードは黒の悪魔と言われていた。もう随分昔のことに思えるけど、そんな言葉を聞けば否応なしに思いだすというものだ。
「なんだか縁を感じるな」
「うーん、縁があるかは分からないけど。お菓子もらうのがメインだし」
「それも中々魅力的だ」
 そういえばエドワードは甘いものが好きだ。見た目からはあまり想像がつかないが、ケーキやチョコレートなどを食べているときはとても幸せそうである。彼女はこちらの世界を好きだと言ってくれてるが、それは俺がいるからじゃなく菓子があるからじゃないかと勘繰ってしまうほどだ。ちなみに菓子に嫉妬する俺も大概大人げないという自覚はある。
「でも、貰えるのは子供だけだよ」
 だからというわけではないが、嬉しそうなエドワードに俺はそう付け加えた。姉ちゃんが言ってた町内会イベントも対象は小学生だろうし、俺達が貰えるわけじゃない。けどそう言った途端、彼女からすっと笑みが消えた。一瞬、険呑な空気を感じてびくりとするが、改めて見たエドワードはいつも通りの笑顔だった。
「そう言われても、欲しくなってしまったんだがな」
「……菓子が?」
「甘いものであればいい」
 エドワードの声はまた何かを含んで聞こえたけれど、今度はそれが何なのかわからない。さっき一瞬感じた険呑な空気の正体も気になる。でも今いちばん気になるのは、彼女の笑顔がいつも俺をからかうときの、あれと同じ質のものだということである。
「えっと……、じゃあでかけるついでに何か……」
「今がいい」
 けれど、そう言われても今すぐに菓子の持ち合わせなんてない。そんなこと彼女もわかっているだろうに、そんな我儘めいたことを言う彼女が何を考えているのかわからない。
「今は無理だよ。何も持ってない」
 そう答えるしかない俺に、エドワードがくすっと笑って、いよいよ俺は身構えた。
 けど構えたところで、あまりにも無意味だった。
「ならば、勝手に貰う」
 彼女の両手が首に絡んで、俺の思考も行動もその時点で停止する。そして動けない俺の唇を、柔らかな感触が這う。それは、唇……と、それよりもう少し柔らかくて、温かい……。
 ……。
「〜〜〜ッ!?」
 理解した瞬間、顔が燃えた。
 それは本当にほんの一瞬のことで、すぐにエドワードは腕を外して、体を離す。
「うん、甘かった。ご馳走様」
 彼女は小さく舌舐めずりすると、硬直している俺を部屋の外まで引き摺っていく。
「こちらの法律では、十七はまだ子供だぞ?」
 そういえばエドワードの前で歳の話は禁句だった。だがこのときはそれに気付くような余裕もなく。
 何も言えないままに、ぴしゃりと鼻先で戸が閉められた。


 結局、俺は町内会の手伝いに盛大に遅刻した上に一日中上の空で、姉ちゃんに使いものにならないとしばかれた。