ここしばらく、エドワードがろくに話をしてくれないので、俺はなんとなく気まずい日々を過ごしていた。
 丁度、俺が酒を飲まされて、ぶっ倒れた日からだ。
 愛想を尽かされたのかとも思ったのだが、過保護なのは相変わらずで、部屋を空けることはあまりない。だけど、一緒にいる分だけ、このどこか気まずい空気に俺は耐えきれなくなってきた。
 間がもたなくて続けていた素振りが本日一万回を数えたあたりで、刀を下ろして汗を拭う。
「……あのさ、エドワード」
 意を決して、窓辺で本を読んでいたエドワードに声をかける。……いや、多分読んではいないんだけど。視線はずっと窓の外に向いていたし。と思って、素振りしながらずっと彼女を見ていた自分に気付いて、何か恥ずかしくなる。だが、その視線が外から俺に向くのを見て、俺は慌てて言葉を継いだ。
「あー、あの。何か怒らせたならゴメン」
 とにかく、あの日からエドワードの様子が変わったことには間違いない。恐らく俺が原因なのだろうから謝ったのだが、彼女は怪訝そうな顔をしただけだった。
「何故、そんなことを?」
「だ、だって。怒ってるだろ? 最近あんまり口きいてくれないから……」
 おずおずとそう言うと、エドワードは小さく息を吐いて、読んでもいない本を閉じた。
「別に、怒ってはいない」
「ならいいんだけどさ……」
 だけど、やっぱりそれきり会話は途絶えてしまう。いや、前だって四六時中話していたわけではないから、気にする俺がおかしいのかもしれないけれど。それでもやっぱり気まずいと感じてしまって、俺は無意識のうちに話題を探していた。
「そういえば、いつも何読んでるの?」
 俺が素振りをしている間、エドワードは本を読んでいることが多い。ふと気になって聞いてみると、エドワードはそのとき初めて本の存在を思い出したように、膝の上に目を落とした。
「……ああ。別に何ってほどでもない。ただの大衆本だ」
「そうなんだ。てっきり戦術書とかかと思った」
「期待に添えなくて悪いな。これは今本国の貴族の間で流行っている恋愛小説」
 それは意外。意表を突かれた俺が目を丸くしていると、エドワードはふっと声を立てて笑った。
「似合わぬか?」
「あ、いや。そんなことは」
「戦術書の方がお似合いだと顔に書いてあるぞ」
「……そんなことないってば」
 弱々しい俺の反論に、またエドワードは笑った。似合わないとまでは思わないけど、意外だったのは本当だから何も言い返せない。でも、とにかくエドワードが笑ってくれたので、それには少しほっとしていた。
「……面白いの?」
 聞いてみると、エドワードは笑いをおさめて、少し困ったような顔をした。ああ、そういえば読んでなかったっけ……。
「まあ、興味はあったから読んでみようと思ったが、今一つ頭に入らぬ」
「あ、そう……」
「……咲良はきっと、もといた世界に可愛い恋人の一人もいるのであろうな」
 突然のエドワードのそんな言葉に、は、と俺は間の抜けた声を上げてしまった。
「な、何だよ急に。いないよ、そんなん」
 だから失恋したばかりなんだって、言わなかったっけ俺。
 それも告って即フラれたから、恋人なんていたこともない。
 即答した俺を、今度はエドワードが意外そうな目で見る。
「そうなのか? 咲良、可愛いのに」
 ちょっと待て、何かおかしくないか?
「……男に可愛いっての褒め言葉じゃないって、知ってる?」
「ああ。あ、いや済まん。悪気はない」
 申し訳なさそうに頬を掻くエドワードを見て、俺はため息をついた。まあ悪気ないってことは、それがエドワードの率直な感想なんだろう。ちなみに、俺が好きだった先輩の率直な感想もそんなとこだろう。可愛いってことはイコール、男としては見ていないってことだろうから。
 女の子が男に求めることって普通、かっこよさとか逞しさだろうし。
「……エドワードは?」
「ん?」
「恋人いるの?」
 あまり俺にとって嬉しくない会話をはぐらかそうと、とっさに話題を変えたけど。すぐに返ってくると思っていた返事はなかなか無かった。またエドワードが困ったような表情をして、胸に何かおかしな疼きが走る。
「えーと。俺、この世界に来た日に振られたんだよね」
 その瞬間、何故か俺ははぐらかしたかった話題に戻していた。いや、戻したかったわけじゃないんだけど。それ以上に、さっきの話を続けたくなかった。エドワードは自分のことを聞かれるといつも辛そうだったし、それに、その答えを聞いて俺はどうしたいんだって話だ。
 ……知らなくていいし、知りたくない。どうしてか、そう思ってしまう。
「……どんな人?」
 ふと、エドワードが小さく呟く。よく聞き取れなくて首を傾げていると、すぐに彼女ははっきりした声で聞き直してきた。
「君の想い人は、どんな人だったんだ?」
 問われて、ちょっと前までの日々に思いを馳せる。
 ……学校での日常生活が、もう随分昔のことのように感じた。
「どんな人って言われても……、うーん、年上で、気が強くて、なんていうか……」
 学校とか部活って言ってもエドワードはわからないだろうから、説明しづらい。
 先輩は、中学校のときの部活の先輩だった。
 剣道部の、女子の主将で、大会で何度も優勝してて、まあ俺より余裕で強かった。パワフルで、明るくて、でも優しくて美人で、はっきり言ってモテた。所謂高嶺の花というやつで、手が届くなんて思ったことはないんだけど。
 でも先輩は俺を可愛がってくれて……文字通り可愛い可愛いと可愛がってくれた。髪を伸ばした方が可愛いとか、セーラー服の方が似合うとか……、要するに遊ばれていた。俺はそんな先輩を追いかけて同じ高校に行ったものの、剣道は苦手でやめてしまった。苦手意識の理由は、いつまでも先輩に勝てないから。勝てない限り男扱いなんかして貰えなそうだけど、勝てる自信なんか全くなくて放り出してしまったんだ。そんなヘタレな俺だから、想いが届くわけがない。
 ああ、なんかこうして思い返せば返すほど……
「……エドワードに似てるよ、少し」
 ぽつりと、そんな言葉を零してしまう。
 エドワードは少し驚いたような顔をした後に、複雑そうに目を逸らした。それから、また俺へと視線を戻す。
「……それなら、まだ振られたと思うのは早計かもな」
「え?」
「とりあえず振っておいて様子をみようという腹かもしれんぞ」
「……エドワード、そんなことすんの?」
「さぁ、私は女を棄てた身ゆえ、色恋沙汰など無縁だからな。だが、似てるというから私ならどうするか考えてみた」
 面白そうに笑う彼女を見て、改めて女って怖ぇ、などと思う。こっちは必死だっていうのに。
 でもそれより、色恋沙汰は無縁って聞いてなんかほっとした。いや、なんでほっとしてるんだ俺? 答えの出ない自問をして唸っている間に、エドワードが椅子から腰を上げる。
「咲良が想いを遂げる為にも、早く元の世界に戻れるといいな」
 穏やかに微笑みながら、エドワードがすぐ傍まできて俺の頭を撫でる。……こういうことをされると、どう考えても身長が負けているという事実を突きつけられて、セツナイ。
「いいよ、もう……。どっちかって言えば、好きってより憧れだったし。周りが悪乗りして無理やり告らされただけで、それがなかったら言うつもりなかったし。所詮そんくらいのことだから」
「……そうか」
 エドワードは励まそうとしてくれてるんだろうけど、なんか喜べない。自分でも理由のわからない苛立ちと共に吐き出すと、エドワードは髪を撫でる手を止めた。
「ならば、そんな見る目のない女のことなど、さっさと忘れろ」
「……!?」
 ふわりと体を包んだ温かさに、俺は呼吸を忘れて息を飲んだ。
「君は強くて優しい。それを解ってくれる、もっと相応しい人がいずれ現れるさ。……だから、いつか元の世界に戻っても変わらずにいてくれ」
 優しく俺を抱く彼女の腕の中で、聞こえてきた言葉は少し苦いものだった。
 俺の一体どこが強いというのか。俺よりずっと強い彼女に言われると、皮肉にしか聞こえない。だけど、その声も、この腕も、温かくて優しいから、何も言えない。熱くなる頭で必死に平静を保ちながら、照れを隠すように俺は言葉を探した。
「……えっと。エドワードって、なんかお母さんみたいだよね」
 間違っても俺の母はこんなに優しくはないが、過保護なところとか、こうやって力づけてくれるところとかが、なんかザ・おかあさんという感じがする。そう思って呟くと、何故かぴしりと空気が凍った。
 そんな状況に抱く既視感。
 これは、姉ちゃんの気に入りの服を汚しちまったときとか、部室にあった先輩の菓子をそれと知らず食っちまったときとか、エドワードの前で老け顔って言ってしまったときとかの――――あの空気。
「……あ、いやその」
 取り繕おうとするものの、何が彼女を怒らせたのかがわからない。……どちらにしろ時すでに遅しというやつで。

 結局それから数日間、エドワードは口を聞いてくれなかった。  



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