今日も、とくに変わり映えのない一日が終わろうとしている。毎日の習慣である就寝前の素振りをしていたら、珍しくエドワードが話しかけてきた。いや、話かけてくること自体は珍しくないが、素振りの最中で、ということはあまりない。
「見れば見るほど、咲良の剣は珍しいな。構えも型も私が知っているどれとも全く違うし」
 俺の刀に視線を当てながらそう言うエドワードに、俺も改めて自分の刀を見た。なぜ異世界に日本刀があるのかというのは、俺もかねてから不思議だった。けれど異世界といっても、建造物も植物も、それに人間も、俺がいた世界とさほど変わりないところを見ると、エドワードが知らないだけで、この世界にも日本のような国があるのかもしれない。
「実は前から気になっていたんだ。咲良の知っている剣術を私に教えてくれないか?」
 俺のすぐ隣まで来て、なぜか恥ずかしそうにエドワードがそんなことを言う。エドワードに頼みごとをされるなんて滅多にないので、俺は二つ返事で応じた。ついでに、女の子がもじもじしながら頼みごとをしてきたなんて経験も俺にはないので余計テンションが上がった。内容的には、もじもじされるようなことじゃないとしてもだ。
 やっぱり軍人として、見たことない剣術などは気になったりするんだろうな。俺も武道家の端くれとして気になる気持ちはわかるので、エドワードに刀を渡すと、彼女は嬉々としてそれを構えた。
「こうか?」
 持ち方も構えもいきなり様になっているので驚いた。見るだけで同じことができてしまうような天才タイプだな。
「うん。あとはもう少しこんな感じで――」
 ほとんど申し分なかったが、ここまで優秀だと完璧を求めたくなる。それでつい、俺は後輩に教えてる気分でエドワードの手に触れてしまった。だが、ふと彼女の視線を感じて我に返れば、その距離の近さに硬直してしまう。
 唐突に部屋の扉が開いたのは、丁度そんな瞬間だった。
「エド――」
 エドワードを呼びかけた声が、途中で消える。間髪入れずに爆発するどす黒い殺気に俺は咄嗟に手を離したが、もう遅いのはわかっている。
 振り向くと、ライオネルが凄まじい形相でこちらを睨んでいた。……こいつは、なんでこうタイミングが悪いのか。
「くッ、ついに正体を現したなこのま男が! 姉さんから離れろぉぉッぅごふッ!?」
 全くの誤解、とんでもない勘違いで、ライオネルが懐から出した短剣を振りかぶり、俺めがけて突っ込んでくる。だが俺がそれをどうこうする前に、エドワードが俺の刀でライオネルの足を払っていた。
 足元を掬われて勢い良く転がっていくライオネルを見ていると、自業自得とはいえなんだか少し哀れだった。
「ノックをしろ、姉と呼ぶな。何度言えばわかるんだ」
 ため息と共に吐き出しながら、エドワードが俺に刀を返してくれる。それを受け取った頃には、よろめきながらもライオネルは立ち上がっていた。
「用件は?」
 まだ何か言いたげに俺を睨むライオネルを、エドワードがそんな言葉で黙らせる。彼は不満気に顔を歪めたが、しぶしぶと問いに答えた。
「……ノザ砦の守備に当たっていた小隊からの連絡が途絶えた。交戦の報せはないからフレンシアの線は薄いが、どうする?」
 ふっとエドワードが真顔に戻る。元々ふざけていた訳ではないが、彼女を包む空気のようなものがふっと変わった。
「北か。確かに妙だな。フレンシアならまずヴェザを突破しないとあそこを攻めるのは難しいだろう」
「ああ、だから対応に迷っている。様子を見にいかせようかと思うが、“帰らずの地”からの連絡が途絶えたとあれば、皆行きたがらないだろうな」
「そんな迷信を――」
 ふっとエドワードが鼻で笑い、そう口にして、途中で止めた。そんなエドワードをライオネルが不思議そうに見て、会話が止まる。
「……帰らずの地って?」
 沈黙が続いたのでなんとなく聞いてみると、ライオネルがまた険しい顔で俺を睨んだ。
「北には冥界だか異界だかへ続く道があると言われる。ノザは大陸最北の地だから、よく人が消えるだの、帰らずの地だの言われるんだ。いっそお前がノザで消えてしまえばいいのにな」
 丁寧に答えてくれたのは、最後のが言いたかっただけか。半眼で半笑いしつつ、だが俺は唐突にはっとした。
 ――異界だって?
「ただの迷信だ。視察隊を編成しろ。誰も行かねば私が行く」
「……それくらいなら僕が行くが、それを聞けばどいつも喜んで志願するだろうな。わかった、早速向かわせる」
 答えて、ライオネルは退室していった――俺を睨みながら。けど俺にはもうそれに構っている暇はなかった。
「エドワード、俺、そこ行ってみたい」
「……言うと思った」
「え?」
 ぼそりとエドワードが呟く。よく聞こえなかったので聞き返すと、エドワードは何も答えずに俺を見た。その深い青の瞳が少し悲しげに見えて、どきりとする。
「いや。……そうだな。異界を迷信と言えば、君の存在を否定することになるか」
 俺の頭に優しく手をおいて、エドワードがそんなことを言う。俺も、冥界だの異界だの、そんなよくわかんないものは信じていなかったから、エドワードが迷信だと言う気持ちは解る。けど実際違う世界に来てしまって、頭の中で変な声がする今となっては、不本意でも迷信と切り捨てるのは難しいというものだ。
 異界に近いと言われる北の地。その異界が俺の世界かどうかはわからないけど、ここでじっとしているよりは、帰り道に近づける気がした。
 でも何故だろう。嬉しい情報を得た筈なのに、ちっとも胸がはずまない。
 それどころか、頭の上のエドワードの手を、子供扱いするなと振り払う気力すらない。
 どこか悲しげなエドワードの目を直視することもできなかったけど、外した視線の先のエドワードの顔色が悪い気がして、俺は喉の奥に引っ込んだ声を引き摺り出した。
「……エドワード? 顔色悪いよ。疲れてるんじゃないか?」
「いや……、ああ、そうだな。そうかもしれない」
 一度は否定したものの、エドワードは俺の頭に置いていた手を自分の顔に当て、力無い声を出した。つい先日まで、倒れたライオネルの代わりにエドワードが奔走していたのだ。疲れていておかしくないと思う。
「忙しいのに我儘言ってごめん。休んだ方がいいよ」
 ただでさえ、エドワードは俺に気を回しっぱなしだ。それなのに自分のことばかり考えていたのが恥ずかしくなった。
 いつもなら、そんなことはないって突っぱねるのに、そうする、と答えていやに素直に寝室に向かうエドワードは、やっぱり元気がないように見える。のろのろと奥の部屋へ引っ込んでいくエドワードを見ていると心配になってきて、思わず俺はその後を追った。
「熱とかない? 俺もライオネルも倒れたばかりだし、感染ったかも……」
「そうかもな。なんだか寒気がしてきた」
「ええ? 大丈夫――」
「一緒に寝てくれれば温かいんだがな」
 予想外の返しに、俺はひきつった声を上げてしまった。それを聞いたエドワードが、くすっと笑い声を漏らす。
「か、からかうなよ? 俺本気で心配してんだから」
「からかっていないさ」
 嘘だ、と言おうとしたが、見上げたエドワードの顔は全然笑っていなかった。ランプの灯りが頼りないせいか、彼女の表情まで弱々しく見える。俺が何か言う前に、彼女はついと顔を背けて、ベッドに入ると毛布を被った。
 取り残された俺はどうしていいか分からずにただ立ちすくむ。
 ――もし、その帰らずの地に、俺の世界へと続く道があったなら。
 当然だけど、俺はここからいなくなる。
 突然、一人の夜が寂しいって言ってたエドワードの声が蘇った。
 ……俺は、戦争なんてできないし、そんなことに関わりたくないし、元の世界に帰りたいって思ってる。けどそうしたら、エドワードには会えなくなる。まだ、助けてもらった恩返しも、何一つできていないのに。
 俺にできることなんて、未だに何も思いつかないけど。もし、一人が寂しいっていうエドワードの言葉が本当なら。俺をからかっていないっていうのが本当なら。ここにいるだけで、俺は少しでもエドワードに何か返せているのだろうか。
 ためらいながらもそっとベッドに近づくと、毛布が小刻みに震えて見えた。
「……寒いの?」
 返事はなかったけど、俺は覚悟を決めてベッドに上った。
 もちろん、断じて、やましいことなんか考えていない。
 彼女に背を向けて、落ちそうなほど端っこにしがみつく。いや、これじゃ寒さ対策にはならないから意味はない。かといって、これ以上は限界だ。と、俺が葛藤を続けていると、急にふわりと毛布がかかり、背中に温かな体温を感じた。
「……ッ」
「温かい」
 危うく転がり落ちそうになるのを、すんでのところで堪える。けど次の瞬間にはどうして堪えたのかと後悔した。素直に落ちておけば良かった。こんなところをライオネルに見られたら、確実に命がない。
「……前はよくこうして、ライと一緒に寝たな」
 今しがた浮かべた名前を、エドワードが口にする。っていやまて、それ一体幾つまでやってたんだあいつ?
「咲良も、こんな風に家族と寝ていたか?」
「いやまぁ……そりゃ物凄く小さな頃はそうだったろうけど……」
「……そうか。なら、家族のところに帰らなければな」
 ぎゅ、と服を掴まれたのがわかった。とにかく、女の子とひとつのベッドで寝ているという非常事態を忘れ去る為にも、俺は思考することに没頭する。そうすると、なんとなく分かったことがあった。
「エドワードは、家族が好きなんだな」
「ああ。母上と兄上はいなくなってしまったけれど……いつも私達のことを一番に考えていてくれた。父上は厳しいけれど本当は優しい人で……、妹はしっかり者だけど甘えん坊で、弟は私がいないと駄目な癖に意地っ張りだ」
 エドワードの家族について俺はライオネル以外知らないけれど、少なくとも弟はその通りだな。でも、彼女が自分のことを話してくれたのは初めてだった。それがなんだか少し……嬉しい。
「咲良の家族は?」
「え? 俺は……普通だよ。父さんは仕事で今は一緒に住んでないけど、母さんと姉ちゃんと……。うーん、別に家族について改めて考えたことないから、うまく言えないけど……、今にして思えば幸せだったんだなって思うよ」
 向こうの世界で俺がいなくなってたりしたら、母さんは心配するだろうな。姉ちゃんは心配かけてって、怒るだろう。そう考えたら、やっぱり早く帰らなきゃって思う。だけど。
 ――だけど。
「咲良。夜が明けたら、北へ行ってみよう。君が帰れる手がかりがあるかもしれない」
 だけど、エドワードがそう言ってくれても、俺には返事ができなかった。
 帰りたいとは、思う。
 でも、なんとなくわかってしまったんだ。エドワードは本当は、家族と一緒に穏やかな時を過ごしたいんじゃないかって。それを押し殺して戦っているんじゃないかって。
「……やっぱりいいよ。俺もそれ、迷信だと思うし」
 え、とエドワードが小さく呟く。
 背中を掴む手が、それと合わせて小さく震えた。
 帰りたいのは嘘じゃない。でも、もし――、もしも、自惚れかもしれないけど、もしも。俺がいることで、少しでもエドワードの寂しさが拭えるなら。
 もう少しだけ、ここにいたい。そう思うのも嘘じゃない。
「だから、もうしばらくここにいさせて」
「咲良……」
 俺の名を呼ぶ声が、どこかほっとして聞こえるのは、自意識過剰というやつだろうか。
 でも、そのあと彼女が小さくありがとうと呟いたのは、空耳ではない――と思う。

 翌朝、件の砦から連絡があったとライオネルが伝えにきた……らしい。
 昨夜一睡もできなかった俺は部屋の隅っこで爆睡していて、それを知ったのは昼過ぎのことだった。



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