29.真実の桜



 痛む頭をさすりながら、父さんにエドワードを紹介した五分後には、俺は彼女を連れて家を出ていた。
 曰く、通学許可を貰うのに使ったコネは父さんではなく爺ちゃんのものらしいので、爺ちゃんに礼を言ってこいとのことで。爺ちゃんは、もう少し若い頃は国内外問わず飛びまわっていたような人で、物凄く顔が広い。どこにコネがあってもおかしくないが、まさかうちの高校の学長とまで知り合いとは驚いた。もしかして俺が入学できたのも――なんてちょっと穿ったことを考えてしまったが、うちは私立だし、別にそこまで入学が難しいわけじゃない。
 私立なのに学ランとセーラー服で、でもオーソドックスなものとは違って少しアレンジが入ったようなデザインが人気といえば人気で、あとは剣道が強いということで有名だけど、有名大学を目指す連中は見向きもしないような学校だ。
 まぁ、その、セーラー服を着たエドワードに興味がないと言えば盛大に嘘だが、今はそれよりも少し気になることがあった。それを、エドワードが先に口にする。
「咲良の家族は、皆変わっているな。それとも、この世界では違う世界から人がやってくるというのはさほど珍しいことではないのか?」
 いや、少なくとも俺は聞いたことないし、かなり有り得ないことだと思う。けど、やっぱそう思うよな。
 いくらなんでも、うちの家族は少しなんでも簡単に受け入れすぎる。姉ちゃんは何も考えてないにしろ、今日帰ってきたばかりの父さんのあの調子には驚いた。しかも、一時凌ぎにしろ通学の許可まで貰うなんて、手際が良すぎるんじゃないか。
「……やっぱり不自然だよなぁ……」
「ああ。私の父上なら、胡散臭いという理由さえあれば迷わず異端裁判に送るだろうからな」
 腕を組みながらエドワードが唸り、俺は思わず身震いした。エドワードの父さんのことはまったく知らないけど、国王ともなれば国を守るために非情になるのも仕方ないのかもしれない。それでもエドワードにとっては家族なんだから、嫌な感情は持ちたくない。それで、俺は誤魔化すように苦笑した。
「あはは……、じゃあ挨拶に行くときは気をつけるよ」
 冗談めかしてそう言うと、ふとエドワードが足を止める。もしかして、俺何か気分を害するようなことを言ってしまったのだろうか。そう心配して彼女を振り返ると、何故かエドワードは顔を赤らめていた。
 それを見て、俺も一気に顔に血がのぼる。挨拶ってなんだよ俺。エドワードの父さんに、何の挨拶をするつもりなんだ俺。
「いっ、いや別に、挨拶ってもその、そういうのでは! えっと、別にプロポーズとかじゃないわけで……!」
 駄目だ、余計に墓穴を掘った。もう駄目だ。自分が何を言ってるのかわからない。
 咄嗟に俺は彼女の手を取ると、無理やり引っ張るようにして歩き始めた。そして、彼女が何も言わずついてきてくれることにほっとする。 昨夜といい、どうも最近俺はテンパりすぎだ。これから発言の度に五分は内容を吟味する時間を設けよう。
 そんなアホなことを考えていた俺は、黙って後をついてくるエドワードが複雑な表情をしていることに気付けなかった。

■ □ ■ □ ■

 一昨日来たときは結局すぐに帰ってしまったので、爺ちゃんに会うのは久しぶりだ。
 そんなわけで、今日は剣道場ではなく、合気道の道場の敷居をまたぐ。畳の匂いと、小気味良い掛け声が なんだか懐かしい。
 爺ちゃんは道場で稽古を着けていたが、すぐに俺に気付いてこちらへと近寄ってきた。
「おお、待っとったよ咲良。それからお嬢さん。ゆっくり話がしたいから、先に奥に行っといてくれ」
 俺達を待っていたということは、爺ちゃんもある程度話を聞いてるってことだろうか。爺ちゃんまでがあっさり異世界云々とか受け入れているというなら、異世界があるだなんて今まで考えもしなかった俺の認識が間違っていたような気がしてくる。
 とにかくエドワードを伴って道場を通り過ぎ、奥にある住居部分の茶の間で待っていると、すぐに爺ちゃんが現れた。道着姿だが、袴は脱いでおり、正座する俺とエドワードの向かいに爺ちゃんは胡坐をかいた。
 何からどう話せばいいのか迷う俺の先手を取って、いきなり爺ちゃんが確信に触れることを話し出す。
「良春とすみれさんから、大体のことは聞いとる。別の世界から来たというのは、そのお嬢さんで間違いないのかね」
「は、はい……」
 戸惑いながらもエドワードが返事をすると、爺ちゃんはずい、とエドワードの方へ身を乗り出した。
「実は、あんたに聞きたいことがある。……フレンシアという国を、あんたは知ってはおらんかね?」
 爺ちゃんが口にした単語に、驚いたのはエドワードだけじゃない。いやむしろ、彼女より俺の方がずっとずっと驚いていた。エドワードが返事をする前に、思わず俺は叫び声を上げていた。
「なんで、爺ちゃんがフレンシアを知ってるんだよ……!?」
 勢い余って立ち上がった俺を見上げ、爺ちゃんもまた驚いたように目を見開いていた。しばらく時が止まったように静寂が流れ、ややあって静かにエドワードが口を開く。
「……存じています。正し、私は敵側の人間ですが」
「では、ヴァルグランドの?」
 爺ちゃんの口から出たのは、フレンシアという言葉だけではなかった。まさか、この世界の人間から祖国の名前を聞くなど、エドワードも思っていなかっただろう。郷愁にかられたような目をして頷くエドワードに、けれどそれを見る爺ちゃんの表情も、何故か同じようなものだった。そして、ああ、と感極まったような声を落とし、爺ちゃんが片手で顔を覆う。
「長い間……色んなところを巡って探し続けていたが、まさか、こんなに近くで見つかるとは……!」
「どういうことだよ、爺ちゃん。探してたって、もしかして爺ちゃんが全国巡ってたのって……」
「……まあ、座れ、咲良」
 はやる気を押さえられない俺に、逆に幾分か落ち着きを取り戻した爺ちゃんは俺に座布団を勧めると、自分は逆に立ち上がって戸棚の引き出しを探った。
「その通りだ。儂は、違う世界に行ったことがあるという話を聞きつける度、どこであろうとそこに向かった。大半は胡散臭いものだったが、その中にはごくまれに、本当のように思える話もあった。だが、儂が行ったことがある世界に行ったものは、誰もおらなんだ」
 爺ちゃんが言葉を紡ぐ度、いちいち仰天する。もう何に驚けばいいのかも良く分からなくなってきたけど、俺自身が異世界に行っているのだ。もしその前なら、俺は爺ちゃんがボケてしまったと本気で思っただろう。
 でも今は思えない。
「爺ちゃんも……行った?」
「ああ。もう随分昔、日本も戦争のさなかだった。一緒に戦っていた友が、突然光に包まれた。爆発でも起こったのかと思ったよ。周囲に居た者もそう思っただろうな。だが、儂は咄嗟に友人を助けようと、彼の服を掴んでいた。そして光が収まったときには、周囲の景色は一変していた」
 目的のものを見つけたのか、爺ちゃんは引き出しを締めると、俺達の前に再び座り、手にした写真を畳の上に置いた。
 そのときこそ――俺は絶句したのだ。
「その後、儂はこの世界に戻されてしまったが、彼は戻らなかった。――彼の名は、真咲。儂の唯一無二の親友で、戦友だ。あれからずっと、儂は奴の消息を追っていた」
 爺ちゃんの声が、どこか遠くの方で聞こえる。
 古ぼけた写真の中で、軍服姿の爺ちゃんの隣には――見覚えのある顔の人物が、同じ軍服を着て立っていた。
「……オーギュス爺ちゃん……」
 掠れた声が、無意識に喉を滑った。