異変


「西側って、東とは全然違うんですね!」
 魔物に襲撃される心配がなくなり、のんびりと歩きながらアリーシアが興奮したような声を上げる。そして、舗装された道を、ブーツの爪先で二・三度叩いた。彼女の言う通り西と東ではがらりと様相が異なる。西側では、主要都市へと続く道は全て舗装され、交通機関も整っている。
 道と並行に走るパイプにすぐにアリーシアも気付いて、不思議そうな声を上げた。
「ねえ、ヴァイ。これはなんですか?」
「……魔法車(トランティエ)。線路だよ。クラフトキングダムにはなかったのか」
「魔法車! 見たことはありますが、この上を走っていたんですね」
 感激したように叫び、それからアリーシアは物珍しそうにぺたぺたと線路を触りだした。
「轢かれても知らんぞ」
「どこから乗るんですか?」
「こんな何もないところには止まらないだろう。街までは歩きだな」
 西側の地図など持っていないし、地理に明るいわけでもない。だが線路に沿っていけば街には着く筈だった。しかし、線路も知らなかったアリーシアは、果たしてどうやってエ・タンセルに向かうつもりだったのかと、ふと気になる。だが恐らく聞くまでもなく、何も考えてなかったに違いない。
「線路に沿っていけば街に着くだろうから、そこから魔法車に乗ってエタンセルに向かえばいい」
「はい! 実はどうやって行けばいいのかわからなかったんです。ヴァイがいてくれて良かったです」
 屈託のない笑みを浮かべるアリーシアを見て、ヴァイトは嘆息した。予想通りだった。

 しかし、街についてみれば見事にアテが外れた。
「動いてない?」
 アリーシアが目を丸くして、こちらの言葉を反芻する。
「ああ。ここ数日相次いで魔法車の運行に異常があったため、西側全ての魔法車が停止しているそうだ」
 淡々と答えながらも、ヴァイトも驚いていた。かつて西側にいたときに、こんな事態は一度もなかったのだ。
 説明すると、アリーシアは沈痛な表情で頷いた。
「魔法車に乗れなかったら、エタンセルまでどれくらいかかりますか?」
「地図を見せてもらったが、結構距離があるな。まあ魔物はいないから十日くらいか」
「十日!」
 アリーシアが弾かれたように顔を上げ、叫ぶ。その顔には焦燥があった。
「なんだ。世界の危機とやらはそんなに切羽詰まっているのか」
「はい……」
 揶揄のつもりだったが、アリーシアの声も顔も深刻だった。世界の危機などヴァイトには想像もつかないが、アリーシアが嘘を言っているようには見えない。ただ、あまりにも彼女が風変わりなので、信憑性があるようにも思えなかったが。
「魔法車は、乗り場にあるんですか?」
「ああ、あったが……」
「見てみたいです」
 言うなり、アリーシアは駅へと迷わず歩き出した。慌ててヴァイトもそれを追う。
「おい、アリー」
 呼び止めたが、聞こえていないようだった。どちらにしろ、ヴァイトがそうだったように、係員に行く手を阻まれる。
「魔法車は動いていないよ」
「でも、とても急いでいるんです。世界の――」
 危機、と言いかけたアリーシアの口をヴァイトが塞ぐ。連れになっている以上、頭がおかしいと一緒に笑われるのはごめんだ。
「こいつは、どうしてもエタンセルが見たいとはるばる東から来たそうだ。どうにかならないか」
「東から? こんな小さい子が?」
 あまりにアリーシアの様子が切羽詰まって見えたので、ヴァイトは係員に交渉を試みた。彼はまじまじとアリーシアを見たが、すぐに首を横に振る。
「いや、でもどうしようもないんだ。今日になって、完全に動かなくなってしまった。混乱を招くから、あまり大きな声では言えないけど」
 混乱を招くとわかっているなら、旅人にほいほいと告げる事実ではないとヴァイトは思ったが、ここはエ・タンセルからだいぶ離れているようだし、田舎だからそう大きな影響はないのだろう。それよりも、魔法車が停止してしまったという異常事態の方が引っかかった。アリーシアの手におちたカードと、世界の危機、という言葉が頭を過ぎる。やはり現実味はないと感じたが、どこか空寒かった。
「見せてくれませんか? 私はクラフトキングダムから来たんです。魔法のことなら詳しいです」
「クラフト……?」
 その間にも、アリーシアが必死で係員に訴える。その言葉を聞いて、ヴァイトは頭に手をあてた。案の定、係員が面くらったような顔をしている。だがアリーシアはその隙に彼の横をすり抜け、駅の中に向かって走り出していた。
「済まない。すぐに連れ戻す」
 係員の視線が刺さって、ヴァイトは彼女の背を追った。その耳に、アリーシアの詠唱が聞こえてくる。

『我、アリーシア・クラフトキングダムが盟約により力を行使する。我が呼びかけに応えよ!!』

 ざわり、と風が騒ぐ。
「アリー、待て!!」
 嫌な予感にヴァイトが叫んだときには、線路が輝いていた。



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