異変


 陽が落ちる頃には、ヴァイトはすっかり疲労しきっていた。
 慣れない子供の相手をしたせいだと言いたいところではあったが、実のところ、魔物に苦戦していた。
(おかしい……)
 胸の中にそんな独白を零しながら、魔物に突き立てた剣を握り直し、気合と共にそのまま魔物の体を切り裂く。
 西までの護衛は、何もこれが初めてではない。
 行き来が難しいだけに、東では西の、西では東の品は貴重だ。商人たちが食いつかないわけがない。是が非でも、新天地での商売を考える命知らずな商人たちから、ヴァイトは高い金を巻き上げては幾度となく彼らを護衛した。
 腕には覚えがある。一般人や、並みの冒険者には命取りな瘴気の森も、ヴァイトにしてみれば準備運動のようなものだった。それがどうだろう。今は一匹魔物を倒すだけでも息切れする。
(魔物が、強くなっている?)
 体を引き裂かれてなお、魔物が起き上がる。
 さっき首を跳ねた魔獣にしたってそうだ。いくら魔性のものでも、生物には違いない。首を跳ねたり、心臓を突けばひとたまりもない筈だ。
 それだけではない。知能などほぼ持たぬ筈の魔物が、突然こちらの意図を読んで、攻撃を避けたりする。
 疲労で重く感じる腕を持ちあげて剣を構え、臓器を撒き散らしながらこちらに突っ込んでくる魔物の攻撃に備えていると、アリーシアの高らかに魔法を唱える声がして、光が魔物を包んで掻き消した。
 溜め息を吐きながら彼女の方を見やるが、確かに声の方を見たのに、アリーシアの姿が消えている。
「……アリー!?」
 消えたのではなく、倒れたのだと気付くのはすぐだった。
 草の上にあおむけに倒れたアリーシアの金色の目が、不思議そうに森の木々の間をさまよう。
「あれ……? どうしてかな。力が入らない……」
「疲れたんじゃないか。結構歩いたからな」
 そっけない声を落としながら、内心でヴァイトは、それに気付かなかった自分に舌打ちしていた。
 こんな少女と旅をしたのは初めてだから失念していた。自分ですら疲労しているのに、この小さな少女が疲れていないわけはなかった。魔法というのが体力を消耗するのかどうか、魔法を使わないヴァイトに知る術はないが、魔物を警戒しながら長時間瘴気の森を歩くだけでも相当に消耗する理由になる。
「疲れ……?」
「ああ。少し休もう」
「でも、魔物が来ます」
「俺がなんとかするから、お前は休むんだ。先はまだ長い」
 剣を抜いたまま、ヴァイトは注意深く辺りを警戒した。今のところ、魔物の気配は近くにない。
「疲れると、歩けなくなるんですね」
「……? 当たり前だろう」
「ヴァイも疲れてるんじゃないですか?」
「大丈夫だ」
 強がりのはったりを呟くと、アリーシアは仰向けに倒れたまま、両手を真上に突き出した。

『我、アリーシア・クラフトキングダムが盟約の元、大地に命ずる。汝、不浄なるものより我らを護れ』

 アリーシアがそう口ずさむと、彼女の体の下から行く筋も光が地面を走り、アリーシアとヴァイトを包み込むように光が陣を描いた。
「結界を作りました。これで……、魔物は近づけません……」
「おい、アリー?」
 アリーシアの声はどんどん小さくなっていき、聞き取れないくらいに掠れていく。
「結界魔法まで使えるのか。……俺の護衛なんて必要ないじゃないか」
「そんなことは……ありません。一人では詠唱する時間がないし……、常に結界を張ったまま歩いて、あの街で私は三日くらい眠っていました。きっと、それも……、『疲れた』んですよね……」
 金色の目が閉じられ、声はさらに弱々しくなって、切れていた息は規則正しくなっていく。
「私、こんなにたくさん、歩いたことなかったから……知らな…………った」
 それきり言葉は続かず、すうすうと寝息が漏れた。
「おい。この結界、いつまで……」
 そう問いかけて、途中でやめる。地面に描かれた光の陣は、淡い緑色に輝いている。起こすなら、それが消えてからでもいいだろう。
 ヴァイトは短い溜め息をつくと、抜きっぱなしだった剣をおさめ、眠るアリーシアの隣に腰を下ろした。
「……一体何者なんだ」
 予知能力は、エ・タンセルの神子(ディーユ)だけが持つ力。結界魔法は、クラフトキングダムの者しか扱えない力。
 その双方を扱う少女は、安らかな顔をして、隣で寝息を立てていた。



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