予言


 男が少女の依頼を断ったのは、実のところ彼女が嫌だったのではなく、その依頼内容にあった。
 エタンセルは“輝きの王国”、“光の国”、“守護の王国”など様々な別名を持つ、西側(ウエストエリア)で最も大きな国である。その別称の通り、西側一帯を守護し、魔物を産むという瘴気を押さえ、平和と秩序を維持している。
 今、男がいるこの町は、その加護の範囲外――東側(イーストエリア)にある。加護の外にいる人間にとって、エタンセルなどという楽園は雲の上より遠い場所だ。西側にすら手の届かない者達が溢れかえる中、そんな神の国のような場所を本気で目指す人間など、ここでは気が触れていると思われても仕方ない。
 とはいえ、子供相手に随分な対応をしてしまったと思う。
 そう、相手はほんの子供だったのだ。東ではそう聞くこともなく、聞かずに済んでほっとしていた国の名を聞いてしまったからとて、それを口にしたというだけで少女に八つ当たりしたのはあまりに大人げなかった。少女の姿が霧の向こうに消えてしまってから、すぐにそれに気付いた。
「……おい」
 陽が随分高い場所に差し掛かるまで、男は街の門で粘っていた。
 魔物対策として、塀は街の周囲をぐるりと囲んでいる。街を出たければここを通るよりほかになく、待っていれば会える可能性は高かった。ましてや、あの目立つ格好である。再会は男が思った以上に容易だった。
 声をかけられて、少女も男に気付く。気付いた途端、二歩ほど後ずさる。
「逃げるなよ。……朝は済まなかった」
「わざわざそれを言うために待っててくれたんですか?」
 後ずさるのをやめ、瞳から警戒の色を消して、少女がそんなことを言う。事実少女の言う通りだったが、それに素直に頷くのも何か気恥かしく、男は目を逸らした。
 陽が高く上りつつあり、霧はほとんど消えていた。行商の馬車が出入りするようになり、突っ立っている少女に野次が飛ぶ。だが少女はそれが自分へのものと気付いていないのかぽかんと突っ立ったままで、男は嘆息してその腕を引いた。
「で、どうするつもりなんだ?」
「へ?」
「だから……」
 頭の螺子が緩んでいるのではないかと本気で疑いたくなるほど、ぼんやりとこちらを見る少女を見ているうち、男はまた面倒になってきた。
 護衛を断ったばかりに、一人でエタンセルに向かって魔物にやられては寝覚めが悪いと思ったのだが、だとしてもそれは自業自得ではないか。そう思いなおしそうになるが、相手は子供だと、男はまた自分に言い聞かせた。
「……エタンセルまで、一人で行く気か?」
「はい。護衛してくれそうな人探したんですが、いなくて」
「? いないことはないだろう」
 護衛で生計を立てるものは、東側では珍しくない。酒場にでもいけば、朝でも昼でもそういう者達がたむろしているだろうにと思って、その辺りで男は首を横に振る。
 この子供が酒場に入れるように思えないし、そんな連中が子供を相手にするとも思えない。
「まあ、いい。とにかく、一人で外に出るのは自殺行為だ。エタンセルまでは無理だが、加護の及ぶ西側までなら付き合ってもいい」
「でも……」
 男は、引き受けてやると言えば少女は喜ぶだろうと思っていた。だが実際には、逆に彼女は表情を曇らせた。
「私、道中また気を悪くさせてしまうかもしれないし……、それに……」
「仕事としてやるだけだから構わない。勿論、金は払って貰う……、……払えるか?」
 言葉を濁す少女に淡々と答え、だが喋っているうちに不意に不安になって、男はそう問いかけた。この頭の螺子の危うい子供が、金を持っていそうな気がとてもしなかったのである。
 だが意外にも少女は頷くと、腰のポーチを探った。
「そういうことなら。ええと……これくらいで足ります?」
 手を出すよう促されて、男が片手を差し出すと、少女は取りだした白の革袋を無造作にひっくり返した。そこから溢れだした金貨に、男は目を剥いてもう片手を差し出す。片手では受け切れない量だった。
 金貨をお手玉するという前代未聞の状況の後、それを革袋にすべて叩き返した後、改めて男は少女を見た。
 何度見ても旅人には見えず、大金を持ち、それをほいほいと他人に見せるところ、価値を知るようにも思えない。
「いらないんですか? それとも足りない……」
「そんなわけあるか。お前、何しにエタンセルへ?」
「伝えなければいけないことがあるから」
 ふっと、子供っぽい少女の風貌に変化が起こる。どこか憂いにも似た色が宿ると、途端彼女は大人びて見えた。
「伝えなければいけないこと?」
「ええ」
 答えて少女は金貨の詰まった革袋を仕舞い、入れ換わりにカードの束をポーチから取り出す。そして、突然それを宙に放る。
 反射的に、受け止めようと手を伸ばした男の手の上で、だがカードは落ちずに金色の淡い光を纏って浮いた。
「…………!?」
 絶句する男の目の前で、少女が呪文のような言葉を囁き、カードの下に両手を差し出す。するとカードはひとつにまとまり、少女の手に綺麗におさまった。ただ一枚を覗いて。
 カードの束を片手におさめ、そして空いた手で浮いたままのカードを少女が摘む。
「世界の危機」
 囁かれた言葉はあまりに馬鹿げていたが、男にそれを笑う余裕はなかった。
「――なんでお前がそれを使える?」
 吐かれた言葉に、少女が首を傾げる。
「それ?」
「それはエタンセルの神聖術(エクラ・ソーセリ)じゃないのか」
「?」
 少女がぽかんとした顔で男を見上げ、その瞬間ふっとカードがまとう光は消えた。
「お前、何者だ?」
 警戒のこもった男の言葉に、そんなことを歯牙にもかけず少女は答える。
「何者? 名前なら、アリーシア。アリーシア・クラフトキングダムです」
 再び男は絶句した。  



前の話 / 目次に戻る / 次の話

Copyright (C) 2011 kou hadori, All rights reserved.