外伝4 女神に誓う 3


 ランドエバー教会大聖堂は、真夜中でも閉鎖されることはない。曰く、光に清められている為、悪意を持った侵入が阻まれる為と言う――
 実際のところは、光の属性が強いこの国の特色により、結界が強化されていると言ったところだろうか。元々、治安の良い国というのも相乗効果になっているだろう。
 とはいえ、さすがに真夜中に教会を訪れる者もそうはいない。聖堂はガランとしていて、神父やシスターの姿すらなかった。
「いくら結界の力が強いと言っても、さすがにこうも無人なのは物騒じゃねぇのかなぁ」
 聖堂に足を踏み入れ、エスティは軽口を叩いた。そんな無駄口でも言ってなければ気恥ずかしくて堪らない。
 一方のラルフィリエルは、無言だった。元々饒舌な方ではないが、いつも通りの黒いワンピースを纏っただけで、憂いの混じる表情と合わせてみれば、目的とはまるで正反対のことをしに来た様に見えた。
「なんか、来たはいいけどアレだよな。やっぱオレのガラじゃないというか」
 照れ隠しに軽口を言い続けるエスティに、ラルフィリエルが微笑みかける。その笑顔は、憂いこそ消しきれないが、心底幸せそうで、エスティは言葉を切った。ラルフィリエルに笑みを返し、その長い髪を優しく撫でる。
 普段素直になれない心が、彼女の笑みを見るだけで驚くほど紐解かれてしまう。隠したままの言葉も簡単に引き出されてしまう。そんな事実に今更のように驚きながらも、エスティはゆっくりと語り出していた。
「……戦が終わって……みんなが今の世界で、自分の道を見つけていく。それはきっと、喜ぶべきことなんだよな。この平和になった世界で、戦う意外の道を選べること、それがきっとオレ達があの聖戦で望んだことだったから。でも……聖戦が終わってお前がオレ達の元を去っていったとき、どうしてもオレはそれでいいと思えなかったんだ」
 静かな聖堂に、エスティの穏やかな声が響く。静寂の中、耳を澄まさずともエスティの声ははっきりと聞き取れるのだが、ラルフィリエルはそれでも息をするのも煩わしいと感じていた。一字一句でも、聞き逃したくはなかったから。
「お前が望む行動ならオレが止めることじゃない、そう思いながら、何度も後悔した。……お前が騎士の道を選んでランドエバー城に行ったことも、正直オレは喜べなかった……オレは、さ」
 ふと、真摯にこちらを見つめる翠の瞳から、エスティは目を逸らした。その向こうには、美しいステンドグラスと、荘厳な十字架と、そしてそのサイドには細緻な絵画の数々。それらに何かを誓うつもりも意味もエスティには見出せなかったが、この場所が――例え歪曲したものでも――愛の女神(ラルフィリエル)を祭り讃える場所であるなら、ここで誓い、契ることも悪くないと思った。
「歴史が流れても、何もかもが変わっていっても。お前だけには傍に居て欲しいし、お前だけはオレが幸せにしたい」
 実際に、それは誓いでも契りでもなく、何かといえば懺悔に近かったかもしれない。
 それでもラルフィリエルは微笑んだ。
「ありがとう。エス。私を救ってくれて――」
 優しく微笑むラルフィリエルに、エスティははっとして視線を戻した。
 自分が彼女を救えたと思えたことなどない。だけど、ラルフィリエルはそう言った。
 問いかける真紅の瞳を、少女の翠の瞳は柔らかく受け流し、ラルフィリエルは十字架へと視線を向ける。
「――何だったかな。『汝、病めるときも健やかなるときも――]』」
 ラルフィリエルの言葉は、式で神父が誓いを求めるときに口にする文言だったが、彼女は途中で言葉を止めた。
「……思い出せないな。これじゃラルフィリエルの名が泣く……」
「汝、病めるときも健やかなるときも」
 小さなラルフィリエルの独白と苦笑を掻き消すように、大聖堂に少女の声が闖入する。
 驚いて顔を上げたエスティとラルフィリエルに、少女は天使の笑顔で微笑みかける。
「死が2人を分つまで、共に愛し続けることを誓いますか?」
 かつん、と澄んだ足音を立てながら、ピンクベージュの髪を揺らして、その瞳は月明かりの夜のよう。
「――シレア!?」
 エスティが面食らった声を上げる――無理もないが。
「なんでお前がここに――」
 多分に狼狽して詰め寄るエスティに、シレアはにこっと邪気のない笑顔を見せた。
「どうせ真似事するなら、リアルな方がいいでしょ?」
「ッ、てめぇまさか……」
 シレアの言葉で、夕方のラルフィリエルとの会話を聞かれていたことを察し、エスティが半眼で睨む。
 恥ずかしさもあってかなり本気で睨んだのだが、シレアも負けてはいない。彼女もまた同じく半眼になって、エスティへと詰め寄り返した。
「まぁまぁ……じゃあエスは見たくないの? ラルフィのウエディングドレス♪」
 思いがけない言葉にエスティが面食らって身を引いたのと、バタンと聖堂の扉が開いたのにさほど時間差はなかった。
「エスティ! ラルフィリエル!」
 華やいだ声を上げて飛び込んできた闖入者達の顔ぶれに、今度はラルフィリエルまでも驚愕の表情を示した。
 それもそのはずである――2人の名を呼んだのは、フェア・ブロンドにセルリアンブルーの瞳を持つこの国の王妃、ミルディンだった。あまつさえ、その後に続いたのはランドエバー現国王であるアルフェスである。2人を主君とし、この国に仕えるラルフィリエルが驚かない訳がない。
「姫、それに陛下――!? ど、どうして」
「それだけじゃないぜ」
 続く声の闖入に、2人の混乱にはますます拍車がかかる。
「ルオ!」
 声で思い描いた通りの人物が姿を現したときには、エスティの思考回路は考えることを放棄しつつあった。
「なんかめでたいイベントがあるっていうじゃねぇか?」
「ぼくはあんまりおめでたくないんだけどね」
 最後に、リューンが1人沈んだ声を出しながら、聖堂の扉を閉めた。サプライズゲストは彼で最後らしい――だがエスティにしてみれば、最も警戒していた人物が最後に現れてしまったので、思考回路を再稼動させざるを得なくなってしまった。
「リューン……」
「黙って人の妹をかっさらうとは、いい度胸だね」
 唸るエスティに、リューンがさらっと微笑みながらドス黒いことを囁く。
 そんなリューンを窘めるかのように、ごほん、とシレアがわざとらしい咳払いをした。そのままリューンを押しのけて、もう一度エスティに近づく。
「エス、立ち聞きしてごめんね。でも、どうしても、ちゃんとお祝いしたくって。皆にも集まってもらったんだよ」
 憮然とするエスティに、シレアが謝罪の言葉を述べる。それでもエスティが何か言いたげにしていると、ミルディンがシレアに助け舟を出した。
「エスティ、シレアを怒らないであげて。シレアはね……どうしてもラルフィに、これを着て欲しかったんだと思うの」
 そう言うと、ミルディンは肩にかけていた大きなショルダーケースを降ろした。そして、ラルフィリエルの方を向けて、そのケースの蓋を開けてみせる。
 そこから現れた純白のシルクに、ラルフィリエルは目を見開いた。
「――これは」
「ウエディングドレス。って言っても、急だったから、わたしが去年使ったのを急いでサイズ直ししただけのものだけど…… 着てもらえる……かな。嫌じゃなければ、ですけど……」
 恐る恐る尋ねるミルディンに、ラルフィリエルは膝をつくと、食い入るようにドレスを見つめた。だが、しばらくあって、激しく首を横に振った。
「嫌だなんて……そんなわけない。でも、私は……着れない。私に、これを着ることなんて、許される訳がない……」
「ラルフィ……」
 かがみこんで呟く彼女の瞳には涙が溢れていた。そんな彼女の隣に、ミルディンがそっと膝をつく。
「わたしは、貴方にこれを着て欲しいの。そして幸せになって欲しい。わたしは――そしてここにいる皆は、同じことを貴方に望んでいるわ。……大丈夫、ここには貴方と罪を分け合った者しかいない」
 顔を上げたラルフィリエルに、その涙に濡れた顔に、ミルディンが微笑みかける。
「……着てくれますよね?」
 優しく尋ねるミルディンに、ラルフィリエルは小さく、頷いた――。