外伝3 暁に消える 9


 突如として現れた大男は、魔法などよりも遥かな威力で、次々と合成獣(キメラ)を吹き飛ばしていった。身の丈程もあるかという大剣を片手でやすやすと振り回して周囲を牽制し、その合間に飛び掛ってきたキメラの頭を、空いた片手で迎撃して粉砕する。動きを止めることなく右足を軸に振り返って、体格に合わずしなやかにのびた左足が、背後の獣の胴を薙ぎ、ついでにヒューバートに切り払われた獣が体勢を立て直そうとしているところを、剣を振り下ろして止めを刺した。
「はやや〜、何者、あのおっさん」
 とりあえず自分の周りにいるキメラを一掃し、手持ち無沙汰になったヒューバートが、感嘆の声――間延びしていてそうは聞こえないが恐らくはそうなのであろう――を上げる。
 男の正体を知っているエスティは、嬉々としてその名を呼んだ。
「ルオ!!」
「ようエスティ、久しぶりだな」
 キメラの大群の中にいるという状況などまるで意に介してもいないように、屈強の大男は軽く片手をあげて、エスティの呼びかけに答えた。
 先の聖戦を共に戦った流浪の傭兵、しかしてその正体は、スティン王国の王弟にして騎士団長ルオフォンデルス。剣の腕は折り紙つきだ。
 これ以上ないほど強力な助っ人の登場で、押されていた現状はあっという間にその形勢が逆転してしまった。それを確認したエスティは、瞬間的にではあるが――何故ここにルオが現れたのかという疑問の方が、頭の中でのウエイトを占めた。
「なんでここに?」
 戦いの手は休めずにだが、エスティがその疑問をそのままぶつけてみると、ルオは少し怪訝な顔をしたようだった。何を今更、とでも言いたげな顔である。
「なんでって、兄ちゃんと姫さんを祝いにに決まってるじゃねぇか。まぁ兄貴の護衛ってのもあるけどな」
「いや、それは解るけどなんで城下町に?」
 さらに質問を投げかけるエスティに、ルオは片手で大剣を操りながら空いた片手で頭を掻いた。
「嬢ちゃんを迎えにだよ。……んなことより、何とかしろよエスティ。いつまでもこいつらと遊んでる程、俺も暇じゃねぇんだけどな」
 苦笑されて、ようやくエスティははっとした。いきなり余裕ができたためについ和んでしまったが、明らかにそんな場合ではない。ついでに、ルオの言葉にシレアがびくりと身を震わせたのも――偶然――見えたのだが、それも今はどうしてやることもできないだろう。いや、それについては元々自分の出る幕などないのかもしれないが。
「悪ぃ悪ぃ。じゃ、リューン……後頼んだ」
「はいはい」
 言外にシレアのことも含めて頼んだのだが、呆れ混じりのリューンの声はそれに気付いたのか気付いてないのか。小さく嘆息してエスティは駆け出した。戦況の方は、リューン、ルオ、ヒューバートの面子ならば、何の心配もないだろう。

 封鎖の為に立ちふさがる騎士を、訳を説明するのももどかしく押しのけて、エスティは手近な建物に駆け込んだ。
 エインシェンティアの気配は、常に上空からしていた。飛翔呪(フライト・スペル)などで一気に上空へ飛べれば良いのだが、飛翔呪(フライト・スペル)とて精霊魔法から派生したものだ――エインシェンティアに影響を与えかねない魔法を使うのは抵抗があった。それに既に滅びた高位魔法であるそれは、幾分かは魔力を消耗してしまう。ユーヴィルというあの少女が持つエインシェンティアがどれ程のものか、はっきりとはわからない今、できるだけ力は温存しておきたい。
 そうなると、自分の足で登るしかなかった。
「わりぃ、ちょっと通るぜ!!」
 勢いよくとびこんできたエスティを、その建物の住人達は驚いたように見やった。
「にいちゃん、外は何の騒ぎなんだい?」
 階段を目指してまっしぐらに走っていくエスティに、中年男性が声をかけたが、悠長に説明している時間はない。
「いいから、外に出たり顔を出したりするんじゃねぇぞ!!」
 そちらを見る暇も惜しく、それだけ言い残してエスティはダッシュで階段を駆け上った。"気配"に動く様子はなかったが、急に消えないとも限らない。2段飛ばしで屋上までたどり着き、乱暴に扉を開け放つ。
「ユーヴィル!!」
 その向こうに見える"気配"に向かって、エスティは呼びかけた。
 あの黒髪、赤目の少女の姿が見えたわけではない。そこにあったのは、紫と赤が入り混じった(もや)のような固まりだった。だが、間違いない。あの少女の――エインシェンティアの、気配だ。
「あのキメラの大群は、お前が具現しているな? 何故こんなことを――」
「来ないで!!」
 靄にむけて歩み寄ろうとすると、その中心から少女の鋭い声がした。
 ゆらり――と、靄が動き、人の形を模る。その濃い紫の合間に、微かに赤目が覗いた。
「近寄らないでっ……!」
 更に、少女――ユーヴィルに間違いないだろう、彼女が拒絶の言葉を発する。その声は苦悶に掠れており、エスティは眉をひそめた。だが何より気になるのは、今にも暴発しそうな程、不安定なエインシェンティアの力だった。
「――お前、エインシェンティアを制御しきれていないな――? そのままじゃ暴発する」
 固い声で呟いて、エスティが一歩ユーヴィルへの距離を詰める――
「ッ、来ないでぇッ」
 悲痛とも言えるユーヴィルの絶叫が響いたその途端に、紫色の靄は飛散した。その固まりが、次々にキメラへと転じて行く。
「……ッ!!」
 慌てて剣を構える。だがみるみる内に、エスティの周りはグロテスクな獣で埋め尽くされ、あっという間に取り囲まれていた。
(切り抜けられるか!?)
 自問するが、既に退路はない。最も近くまで詰め寄ってきたキメラが、(よだれ)を散らして飛び掛ってきた瞬間、エスティは覚悟を決めた。――が、その牙をエスティの剣が弾くより一瞬早く。

「エスティ――」

 誰かに呼ばれた、と思った直後、エスティの視界は金と銀の輝きに塗りつぶされた。