外伝3 暁に消える 1


 快晴の下でも、涼やかな風にとりどりの花が揺れても、いつもそこは何か物寂しかった。
 華々しい城下町の喧騒が遠く聞こえる、それすらある種の寂寥(せきりょう)を感じる。
 
 これほど自分に似つかわしく、そして相応しくない場所もないだろうと、彼女は自負していた。

 リルステル大陸西方に位置する大国、ランドエバー。
 その城下町の外れにある、共同墓地。
 どこかの町に流れ着くたび、墓地を訪れるのは彼女の習慣とも言えた。
 そして、長い睫を伏せて、手を組むのである。
 勿論、祈りを捧げるのは神にではない。彼女に信じる神などいないからだ。
 神を信じていないのではない。ただ少なくとも、祈りや信仰の対象になるようなものは、彼女の内に存在しなかった。
 それでも手を組むのは、他に死者に対する謝罪と弔いを、どう表現すればいいのかわかりかねたから。

 「……ラルフィリエル?」
 唐突に呼ばれて、少女は瞳を開いた。
 明るい済んだ海のグリーンが露わになる。振り返れば、緩やかに波打つ亜麻色の髪が空に流れた。
 白皙の美貌と小柄な体には、不釣合いなまでに漆黒な闇色のドレス。
 この場所が墓地であるためか、まるで喪服だ。
 とにかく振り向いた少女に、声の主は彼女が名前の通りの人物であることを確信した。
 「参拝ですか?」
 問いかける女性は、黒の少女とは対照的に、純白の質素なドレスに身を包んでいる。肩に流れるのは、目も眩むようなフェア・ブロンド。瞳の色は空を映したようなセルリアンブルー。
 問われて≪慈愛の女神(ラルフィリエル)≫と呼ばれた少女は笑みとも泣き顔ともつかぬ複雑な表情を彼女に返した。
 「……久しぶりだな、王女。いや……女王陛下」
 鈴の音のような細い声に合わぬ固い口調。不釣合いを多々纏う少女には、もうひとつ絶対的に不釣合いなものがあった。――腰に下がる長剣。
 だが一切のものには触れることなく、ブロンドの少女は花かごを抱えたまま彼女へと歩をつめる。自らもまた参拝だったのだろう。
 「エスティやリューンは……」
 「一緒にはいない」
 彼女の問いに含まれた名に、ラルフィリエルは一瞬表情を懐かしそうに和らげた。
 「え……どうして」
 返した答えが意外だったのだろう――少女は立ち止まり、驚きの混じる瞳でこちらを見つめてくる。

 「……2人と一緒にいたら、幸せすぎて恐ろしくなる。だから」

 ラルフィリエル――彼女には3つの名があった。勿論、ラルフィリエルというのは本名ではない。
 シェオリオ・A・リージア。それが彼女の正しい名だ。だが、彼女はただ1人を除き、誰にもその名で呼ぶことを許しはしない。
 そしてもうひとつ――≪混沌を統べるもの(カオスロード)≫。  先の戦で列強の頂点に立ったセルティ帝国、その混沌の軍団を統べ、多くの国を滅ぼし、数々の命を殺めた、無敗将軍の異名である。
 彼女は誰よりも多く人を殺め、誰よりも多く人を救い、誰よりも消滅を望み、そして誰よりも生を渇望した。だからこそ、誰よりも幸福を恐れた。
 
 ブロンドの少女が吐き出した小さな息を風がながして溶かす。
 彼女にとってラルフィリエルは敵であり、仲間であった。
 その数え切れない矛盾と答えの出ないもどかしさに嘆息したのである。

 「戦の終わった今、あなたを縛るものはないはず。銀髪も紫の瞳も無くし、あなたはそれでも剣も過去も捨てない」

 呟きは、問いかけだった。
 ふ、とラルフィリエルは哀しい笑みを零す。

 「生きる為に、私は"カオスロード"の名を捨てた。だからこそ、"シェオリオ"の名も捨てる。他は捨てない。私が奪った全ての命と、断末魔を忘れない為に」

 ひときわ強い風が空を撫でゆき、少女の持つ花かごから花を奪って宙に散らす。

 「捨てられないんだ……」

 涙がひとつ、おちる。

 敵の筈の彼女の、それでも幸せを願わずにいられない。
 きっと、彼らも同じ気持ちだったろう。だけどその想いすら、彼女を縛る枷になるのだ――

 「――それなら」

 少女は――大国ランドエバーの女王は、ひとつの道を提示した。

 聖戦からおよそ半年、大陸歴3023年、晩夏。