外伝2 蒼天に契る 7


 若い――と言っても、さすがに自分よりは年上だろう。この歳で一国の女王として収まっている自分が年齢のことをどうこう言えたものではないのだが、それにしても。
 立場柄面識があったのだが、ブレイズベルク公主は確か初老の男性だった筈だ。
 このタイミングで現れたことと、その高圧的な態度で、彼がブレイズベルク――この件の黒幕だろうということは察しがついたが、公主というのにはいささか驚いた。
 先の戦の混乱で、ブレイズベルクの嫡男が公主を亡き者とし、その座についたという様な噂が流れたことがあったが、それがいよいよ信憑性を増した。
 そして、目の前のこの男が危険だということも――
(迂闊には、動けないわ)
 この待遇を見るに、とりあえず自分をここで殺すつもりはないだろう。どのみち、食ってかかることは簡単だった。だがそれにメリットがあるようにも思えない。
 考えあぐねて、咄嗟に何も言えないでいる彼女を、だが若き公主は畏怖しているととったようだった。
「そんなに脅えなくて大丈夫だよ。とって食おうっていうわけじゃない、貴女に危害を加えるつもりはないから。ただここで、大人しくしていてくれればいいんだ。不自由はさせない」
 脅えている――そう思っていてくれるなら、好都合だ。油断を誘うことができるだろう。
 慎重に言葉を選びながら、ミルディンは唇を湿らせた。
「――わ、わたくしを捕らえても、ランドエバーには元老院という執政機関があるわ。力を削ごうと考えているなら、無駄よ」
 震え方が少しわざとらしいかしら――
 そんなことを危惧していたが、実際恐怖したときは面白いくらい震えるものだ。公主にも、かわいそうなくらい脅えていると映ったに相違なかった。哀れむような目でこちらを見てくる。
「そんなことは解っているよ。誰も、君がその歳で国を背負っているとは思わない。君も自分がお飾りだってことは解ってるだろう?」
 見下したような、癪に障る笑みで、公主がこちらとの距離を縮める。
 手を伸ばせば触れるような距離まできて、ミルディンは体を固くした。彼にはそれも恐怖の類に移るだろうが、実際は嫌悪意外の何ものでもない。
 他国が、自分をお飾りとしてしか見ていないことは重々承知だ。それも無理はないだろう。
 永きに渡って繁栄を極めた軍事大国。そこに残されたのが、こんな歳端もいかぬ少女一人だ。
 元老院は未だ王家に忠誠を誓い、王家に重きを置いているため表舞台に立つのはミルディンだが、それでも他国が相手取るのは元老院だろう。
 胸の中だけで溜め息をつく。
 だがこの場合、お飾りの無力なお姫様だと思われていたほうが、後々動き易いというものだ。
 小刻みに震えながら、泣き出しそうな顔でじっとする――こんなしおらしい素振りなど、元老院の面々が見たらなんと白々しいと失笑するに違いない。
 だが跳ねっ返りで頑固者の彼女の実態を知らないこの男には通じる筈。
 案の定、彼の笑みはますます、優越に満ちる。
「わざわざ窮屈なところに帰らなくてもいいだろう? どのみち、ランドエバーも終わりだ。先の戦で、王も英雄も死んだ。有能な騎士も剣を置いた。どの大国も痛手を負った――だが、ブレイズベルク(この国)は違う。エインシェンティアも軍事力も持たぬ小国ゆえ、戦火を免れ、力をたくわえた。これからは、この国が大国に成り代わるんだ」
 憑かれたように語りながら、公主がこちらに触れようと手を伸ばす――だが、思わずミルディンはそれを振り払っていた。
 そこに、考えなどなかった。
 
 ――アルフェスは、アルフェは死んでなんかないわッ!!

 そう激昂するのだけは、それでも、どうにか堪えた。
 平静はすぐに戻ってきたが、それが手遅れでないか再び危惧したそのとき、物凄い力でベッドに押し倒される。
「――!!」
「君は、知らないだろう」
 高圧的な笑みなどまだ可愛いものだった、とその凍りつくような表情を見て思う。その瞬間だけは、本物の恐怖が彼女を襲った。
 反射的にスペルを詠もうと魔力を放出するが、魔具によって押さえ込まれ、変わりに訪れるのは脱力感だけだ。だがそんな彼女の挙動を公主は意にかけてすらいないようだった。
「こんな暴挙に出る前に、私はランドエバーに王女との縁談を申し出ていた。だが門前払いだ。今回だけではない、戦が激化する前、ランドエバーが君の花婿を捜していたときでさえ、そうだ。この話は恐らく君へ辿りつくことはなかっただろう。小国風情がと、馬鹿にした目をしやがった……!!」
 振り払おうともがくミルディンの細い腕を、だが公主アトラスはいよいよ力を込めて押さえつける。
 どちらかといえば彼は華奢に見えたが、それでも男と女では力の差は歴然だった。
 身動きの取れない彼女を見下ろし、だが彼に今までどおりの高圧的な笑みが戻る。
「だが、もう小国とは言わせない。もうスティンを越え、ランドエバーにも匹敵する力を手に入れた。だから、そんな風に私を振り払うことは許さない。わかったな……!!」
 震えながら何度も頷くと、ようやく手が離される。
 起き上がれないでいるミルディンを残したまま、彼が退室して扉がしまると、カチャリと錠の下りる冷たい音が部屋に響いた。