外伝2 蒼天に契る 19


 ――夜更け。
 遠くで戦の喧騒が聞こえる。
 聞き慣れたくもなかったそれが日常になって、久しい。
 終わらせても終わらせても、なくなることはない争い。
 だから、神は愚かだと言ったのだろうか。自らもまた憎み、争い合う道を選びながらも、全てに終わりを齎そうとしたのだろうか。だとしたら、神は正しかったのだろうか。
 先導するリアの背を見つめながら、そして戦の音を聞きながら、ぼんやりとミルディンはそんなことを考えていた。だが、すぐに軽く頭を振る。
 
 否。違う。
 
 繰り返される過ちを、戦を、だがその渦中にあって必ず終わらせようとする誰かがいる。
 あの燃えるような紅い瞳をした少年のように。目の前を行く少女のように。
 
 ぎゅ、と拳を握り締める。

 闇に紛れて走り、直に国境の門へとたどり着く。
 早口に詠んだフィセアのスペルが、ブレイズベルク城へ侵入したときのように、門番の兵を眠らせ、あっけなく道が開く。
「……あたし達ができるのはここまでだ」
 いつもの笑顔でリアがこちらを見上げ、呟く。
「世話になった。ありがとう、リア、フィセア」
 そんな彼女に、アルフェスもまた笑顔を返す。名残惜しいが時間もまた惜しい。
 だが、フィセアは俯いたままで、そんな彼女をそのままに立ち去ることができず、ミルディンが名を呼び手を伸ばす。
「フィア。ごめんね。この服……お気に入りなのよね? また、返しに来るから。……泣かないで」
 触れた頬が濡れていて、ミルディンもまた涙が溢れそうになった。かすれる声で告げると、フィセアがようやく涙に濡れた顔を上げる。
「……あげるわ。だって、ミラの方がよく似合うもの。ミラになら、あげてもいいよ」
 しゃくりあげるフィセアを、思わず抱きしめる。まるで、本当に妹のようだった。
「ありがとう。フィア」
 もう会えないかもしれない。少なくとも、ミラとはもう呼べない。それを解っていての言葉だと、ミルディンにも解るから、いたたまれない。
 そっと体を離す。
「……やっぱり……あげない。取りに行く。もうお別れなんて、ヤダ……」
「……フィア。時間がないよ。もうごねるのはやめな」
 まだ尚泣きじゃくるフィセアを、見かねてリアが窘める。
 それを遮って、ミルディンは微笑んだ。
「ええ、待っているわ。でも、ひとつ約束して。……そのときも、わたしをミラと呼んでね」
 彼女の笑みと言葉に、ようやくフィセアも微笑んだ。

 ――その刹那。

 彼女らの笑みと対象的な、どす黒い感情の塊を、――アルフェスは感じ取っていた。
 何度もそれを向けられて、肌が覚えている――その名前は、
 ――殺気。
 
 真っ直ぐにミルディンに向けて突き刺さるそれに向けて、アルフェスが剣を抜く。
 ギィィン――!!
 重い音と共に、ミルディンの表情からは血の気が引いた。
 表情には出さないが、アルフェスの頬にも冷や汗が伝う。

 その剣の向こうにいるのは――
 ブレイズベルクの中庭で対峙した、あの漆黒の青年だった。
 咄嗟にミルディンの手を引いてリア達の側に回り、2人を背にして青年に剣を向ける。
 (まずいな……)
 あの夜、誰かを護りながらの戦闘では分が悪いと引いた相手だ。
 だが今はミルディンだけならいざ知らず、リアとフィセアがいる。彼女らも相手が彼でなければ、自分の身くらい護れただろう。だけど、この青年に関しては、僅かな力など意味を成さない。
 ミルディンもまた、緊張に体を固くする。
 青年の殺気が自分に、そしてリアやフィセアに向けられているのが解る。
 青年もまた、アルフェスの力を恐れている。その力を削ぐ為ならば、容赦なく自分やリア達にも手をかけてくるだろうと、直感した。アルフェスにもそれが解っているから動けずにいるのだろう、だが―― 解っていても、自分にはどうする術もない。歯噛みしながら、手首を押さえる。魔封じの腕輪は、どうしても外すことはできなかった。誰よりも強い光の力を持つアルフェスでも、それなりに魔法には精通しているフィセアでも。
 しかし、魔法が使えたところでどうにもならなかったかもしれない。余計な真似をして邪魔をしただけかもしれない。だが少なくとも召喚を使えれば、自分やリア達の身を護ること位はできたかもしれないのにと思うとやはり悔しかった。考えても詮無いことではあるが。
 膠着は続く。
「――ミルディン王女を、渡してもらえまいか」
 静寂を破ったのは、青年の抑揚のない声だった。
「愚問だ」
 アルフェスのよく通る声が、青年の問いを間髪入れずに切って捨てる。それは笑ってしまうほどの愚問だった。
「ならば、力づくでも頂く。後の娘2人が無駄な命を落としても知らぬぞ」
 じり、と青年が一歩踏み込み、その威圧を受けてアルフェスが目を細める。
 その後で、ミルディンが蒼ざめる。
 幾度となく感じてきた非力に、またも潰されそうになる。
 またも自分の為に、大事な人たちの命が危険にさらされる。
 だが脅迫を受けても、リアやフィセアが怯むことはなかった。逆に、ミルディンを庇うように2人がその周りを固める。
「ダメ……!」
 思わず叫んだミルディンに、だがリアもフィセアも笑顔を向けた。
「あたし達が助かってもどうしようもないよ。だけど、あんたには皆を救う力があるんだ」
「ミラだけの為じゃない。私たちは皆を護りたいから、あなたを護るわ」
 ギギィン――!!
 瞬間、アルフェスが地を蹴って、青年の剣を弾く。
 「誰も死なせやしない!」
 後に跳んだ青年に追随しようと体勢を立て直した正にそのとき。
 もうひとつの気配の闖入に気付いたのは、ほぼ同時だったのか、アルフェスも青年も、2人の動きが同時に止まる。
 それは、感じた気配が強大な力を持つことに気付いた為に。
 アルフェスが剣を握りなおす。――これ以上敵が増えれば、3人を護りぬくことは格段に難しくなる。 だが、アルフェスの危惧に反して、聞き覚えのある声が、闇を縫って届いた。
「ああ……誰も死なせやしない」
 敵であるはずはない、その声が。
 悲愴だった、ミルディンの表情がみる間に輝く。
 長い亜麻色の髪も、紅い軍服も、全てが闇によく映えるその人物は、絶世の美貌に不敵な笑みを浮かべた。

「お迎えにあがりました、姫」