外伝1 宵に出会う 2


「待てよ!」
 暗闇の街角によく映えるフラックスを目に留めて、彼は叫んだ。声が届いたのか、彼女が立ち止まる。
「……おどろいた」
 振り向いた、その月明かりに照らされた彼女の表情は本当に驚いたようだった。
「ぼくの魔法、効かなかったんだ」
「話には聞いたことがある。お前、マインドソーサラーか」
「そうだよ」
 案外あっさりと、彼女は応えて来た。
「それで、ぼくに何か用?」
「何か用、だと? いきなり酒ぶっかけたあげくに精神魔法で攻撃してきて、随分な態度じゃねぇか。本当、失礼なヤツだな」
「失礼? 失礼なのは君のほうでしょ」
 心外だ、とでも言いたげに、少女が肩をすくめて苦笑する。
「ぼくがロクでもない女だって?」
「その態度が、誠実でまっとうな人間のつもりかよ」
「そうじゃない」
 彼の皮肉をすっぱりと否定して首を振る。その声には少し苛立ちが見えた。
「……まあロクでもないっていうのは認めるよ。ぼくが言ってるのはその後」
「後だぁ?」
『ろくでもない女』の後に何か言っただろうか。そんなことを彼が考えている間に、ついに少女は業を煮やしたようだった。不快さをいっぱいに声と顔に表して、怒鳴る。
「ぼくは女じゃないッ! 男だ!」
「…………」
 しばし、少年は呆けたように彼女……いや、彼を見た。
 そんな嘘を言ったところでどうなるものでもないだろうが、彼の言葉はその容姿からすると疑わしいものだった。しかし、それならさっきから耳に障る男言葉も納得が行く。
 ――だが。
「わかるかッ、そんなもん! 自分で鏡見てみろよ!」
 相手が男なら容赦する必要もないだろう。少年が怒鳴り返すと、彼は顔をしかめた。
「ああ、わかったって。わかったから叫ばないでよ、こんな夜中に」
 うるさそうに耳を塞ぐ彼の態度に、ついに少年の頭の中でプツン、と何かが切れる。
「……ケンカ売ってるなら、買うぜ……?」
「三流悪役と同じセリフ」
 クス、と天使の顔に小悪魔的な笑みを浮かべ、少女のような少年は身構えた。

『焔よ!』

 深紅の瞳に危険な光を灯して少年が叫ぶ。そのスペルに導かれて、燃え盛る炎が美貌の少年に向かって迸る。
「そんなに省略したスペルでぼくをどうにかできるとでも思った? ……随分軽く見られたもんだね」
 うそぶき、かすめてゆく炎をかわす、その片手間に彼は印を結ぶ。

『安寧の夜に堕つもの! 此処に寄りて等しく滅びをもたらさん!』

 集束する暗黒の力に、少年は感嘆の口笛を吹いた。
 精霊魔法の中では最高の破壊力を持つが、扱いの難しさゆえ使い手のほとんどいない闇の魔法――、それを完全にこの美貌の少年は使いこなしているのだ。
「……軽く見てるだって? オレは充分重く見てるぜ。だが、お前こそオレを軽んじてる」
 ふっ、と何の前触れもなく闇の威圧が消える。
 それだけのことだが、その少女のような端正な顔には動揺が浮かんだ。
 一度術者によって成された具現を強制的に解除した――それも、精霊による干渉なしに。
 スペルもなく、印をきることもせずにだ。それは魔法の原理において不可能な現象だった。
「今、何をした?」
 その表情には畏怖に近いものすらあって、少年は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「世界は広いってことさ」
「ふーん……」
 曖昧な返事を返すと、突然相手の瞳から敵意が消えて、少年はいささか拍子抜けした。
「やっぱり君、只者じゃないね。実は用があったのはぼくの方なんだ」
 亜麻色の髪を手で後に払いながら、彼は真意のよくわからない笑みを見せる。
「君、古代秘宝について何か知ってそうだったから」
「……まさかお前、オレをおびき出すつもりで……?」
 最初から自分が精神魔法を解いて追って来るのを予測の上での一連の行動だったのか――暗にそのことを問いかける。
「ごめんごめん。そのジャケットのクリーニング代、払うから」
 明らかに肯定を含んだ声で応えが返って来た。だがそれに続く問いには、それまでの茶化すような響きは消え去る。
「君は、古代秘宝について何か知ってるんだよね。……戦争が始まってからもう長い、列強が古代秘宝をの力を欲しがっているっていうのはわかる。でも、未だに古代秘宝がなんなのか、どうやってその力を使うか、ぼく達には知る由もない。アレは、本当は何なの?」
「……クリーニング代だけじゃ安すぎる情報だな」
「いくら?」
 率直な問いに、だが少年は答えることはせず、腕を組んでふんぞり返った。
「オレだって、用があるから追ってきた。ここはフェアにギブ・アンド・テイクといこうじゃないか?」
 腕を組んだ姿勢のまま、視線だけを投げかける。すると少年は美貌に笑みを浮かべた。
「成る程ね。で、ぼくは何をすればいい?」
「オレはトレジャーハントの途中だ」
「協力しろってこと?」
 聞くと少年は視線を彼ではないところへ彷徨わせた。
「カン違いするなよ。オレはつるむのは嫌いだ。この仕事が終わればお前が望む情報くらいはくれてやる、だがそれで金輪際お別れだ」
 深紅の瞳が威嚇するようにすっと細まる。だがその威圧はせせらぐジェードグリーン・アイに通用しない――いっそ涼しい顔で美貌の少年は応えた。
「それを聞いて安心したよ。ぼくも他人と関わるのは苦手なんだ」
 微笑む瞳は互いに少しも笑っていない。
「ぼくはリューン。妹を宿に待たせてるんだ。行くなら早めにお願いするよ」
 彼――リューンの言葉に、少年は返事もせずに歩き出した。

 それは、月は出ているが、月明かりだけでは足元も覚束無い、濃い闇の夜だった。