7.王家の軌跡

 ぎぃ、と重い扉を押し開けると、回廊よりもすこし冷たい空気が肌を撫でた。
 高い天井とだだっぴろい空間。そこに所狭しとおしこめられた書物の数々は、だがそれでもきちんと整頓は成されている。
「あれ、隊長ぉ」
 間延びした声に、アルフェスは呆れの表情でそちらを振り仰いだ。
「ヒュー……お前城下に行ったんじゃなかったのか」
「うーん、やっぱり面倒だし〜」
 茶髪に鳶色の瞳をした騎士、ヒューバートはサラリとそうのたまい、アルフェスは頭を抑えて軽い溜め息をついた。だが、彼の抱える書物に目を留めると、神妙な顔になる。
「……それ」
「ん、ああ、コレ? ふふん、オレもただサボってるわけじゃないんだよ〜ん」
 おどけて言うと、ヒューバートは手近な机に持っていた書物をドサリと乗せて無造作に椅子を引いた。高い天井に大げさなほどその音がこだました。
「もしかして隊長もこれ調べにきたりした?」
 図書館に人気はなかったが、少し声を潜めてヒューバートは机に散乱した書物を差した。見やると、そこには家系図がびっしりと書き込まれている。ランドエバー王家の家系を記した書に相違ない。
「お前もあのレガシスって青年がランドエバー王家の血を引いてるって聞いてたのか」
 何気なく言ったアルフェスに、彼は鳶色の瞳に少し驚きを見せた。
「え、そーなの? いやオレは、ウォーハイドって家名に聞き覚えがあっただけ」
 言いつつヒューバートは軍服の内ポケットから赤いバンダナを取り出した。そして慣れた手つきで前髪を掻き揚げて額に巻く。
「……近衛隊の規定違反だろ」
 彼の向かいの椅子を引きながらアルフェス。静かに引いたつもりだが、それでも図書館中に椅子の地面を擦る音が響いてアルフェスは顔をしかめた。
「だってこれしてないと調子だして戦えないし、前髪邪魔だし。そんな睨まないでちょーだいよ」
 顔をしかめたのは別に彼を睨んだのではなく椅子が煩かったからなのだが、いちいち訂正する必要もないだろう。変わりにアルフェスは大きく息を吐いた。
「成る程な…………どうでもいいが、お前いつまで副隊長なんかに収まってるつもりだ?」
「何よ急に〜? どうでもいい話ならどうでもいいっしょ」
 パラパラと書物をめくりながらヒューバートが珍しく苦笑する。
「性格に難はあるが腕もいいし機転も利く。あんまり言いたくないが近衛隊長としての視点から見ればお前は有能だよ、ヒュー。肩書きだけの副隊長に収まるより、一個部隊を統率してみる気はないか?」
「ははっ、それって誉めてんのけなしてんの?」
 頁をめくる手を止めて、ヒューバートは笑みから苦味を消すと心底面白そうに笑った。だがすぐに書物へと視線を戻して独白のように呟く。
「いいよ、正直めんどー。肩書きだけなんて正にオレにピッタリじゃん? ……と。あったあった、やっぱりあった〜」
 ヒューバートは嬉しそうに言うと、パンッと両手を叩き合せた。
「ランドエバー王家の歴代家名覚えてるなんてオレ凄ェ〜」
 自画自賛しながら、問題の頁をアルフェスの方へと押しやる。
 歴代のランドエバー王には、大概もうひとつ家名がある。生まれた家の名だ。歴代ランドエバー王はその多くが直系ではない。というのも、何の因果かランドエバー王家に生まれるのは女で、しかも一子という場合が非常に多いからだ。その為王女が元老院の決めた家柄の良い男子を夫に迎え、王とするのがランドエバーの通例だった。
「これであのレガシスってのの素性が知れたね〜」
「馬鹿、これが知れたって言えるか」
 頭の後ろで手を組んで椅子によりかかり、気楽な声を出すヒューバートだったが、
「確かにこの代のランドエバー王の家名はウォーハイドだが、二百年以上も前じゃないか!」
 彼に指し示された頁を指差して、アルフェスはくぐもった声で叫んだ。
「そーだねー。これでとりあえず“レガシスさま”がランドエバー王家とはかんけーないってのははっきりしたよ」
 レガシスさま、のところにわざとらしいアクセントをおきながらヒューバート。椅子に体重を傾けてぎしぎしと危険な音をさせながら、彼は鳶色の瞳を危険に光らせた。
「まーウォーハイド家の末裔だったとして、ランドエバーゆかりのものと言えなくはないけど血統としては関係ないしさ。オレ素性調べに来たんだけど、元老院が彼を王家の者だってゆーなら、素性なんて知らなくてもこれつきつけてやれば何かの糸口にはなるんじゃない〜?」
 口調こそ呑気で表情も笑みをかたどってはいるが、目は少しも笑っていない。そんな彼の言葉にアルフェスは考え込むように額に手を当てた。
「……エレンの言うとおり、キナ臭くなってきたな。しかし、調べればすぐに解るようなことをレゼクトラ卿は何故……? そもそも姫が王家最後の生き残りというのは周知の事実なのに……」
 目を閉じる。
 そこに生まれる闇は、あの青年の瞳の色と同じで、すぐにアルフェスは双眸を開いた。

 引きずり込まれるような漆黒。

 その髪と目の色を見ても、彼をランドエバーの民とすることさえも困難に思える。
「やはり、元老院を探ってみるか」
 呟いた彼の言葉に、ヒューバートは傾けた椅子ごと後にひっくり返りそうになって、慌てて手足をばたつかせた。
「あ、ああ!? やめろって、お前元老院から無茶苦茶嫌われてるじゃん! 探れねぇって!!」
 どうにかバランスを取り直し、倒れることを免れたヒューバートが叫ぶ。その安堵からかすっかり言葉遣いが素に戻っている彼にアルフェスが苦笑する。今は部下という形になっているが、元は同期の友人だ。別に今更気にもならないが。
「はあ、人徳なくて済みませんね」
 珍しく茶化すように言って肩を竦めた彼をヒューバートは鼻で笑った。
「じょーだん。人徳なくて隊長なんかやれるわけねぇじゃん。あんなジジイ共なんかには好かれなくてけっこーだよ」
 椅子を傾けるのをやめて、皮肉を込めてそう言い、おもむろに立ち上がる。
「で、どーやって探るの? まさかレゼクトラ卿に直接ぶち当たるつもり?」
「……それでもいいけど。あまり成果はなさそうだし、とりあえずエルフィーナ様に当たってみるさ」  書物の表紙を閉じながら、アルフェスもまた立ち上がった。「な〜る♪」と、ヒューバートが気楽な返答を返す。
 エルフィーナはレゼクトラ卿の妻だが、同時にミルディンの乳母でもあった。元老院では数少ないミルディンの良き理解者だ。
「そんなわけだ、ヒュー。後を頼む」
「めんどーだけど、元老院にいくよかめんどーじゃないかな。はいはい、りょーかいですよ」
 足早に立ち去っていくアルフェスに向かってひらひらと手を振る。アルフェスの姿が図書館から消えて、いよいよ人気がなくなったその場所で。

「まあそんな訳だから、ここでオレと遊んでってよ」

 ふいにヒューバートは誰にともなく言葉を発した。その声が、静かな図書館に響き渡る。答えるものは誰もいない。
「無視するなら先に仕掛けちゃうし〜」
 間延びした声が響いたかと思うと、次の瞬間彼の姿は掻き消えていた。
 傍目から見れば、本当に消えたかと思うくらいの速さ。きっと“盗聴者”も消えたと思ったことだろう。自分の真後ろに気配を感じるまでは。
「えっと〜、見覚えあるね。とくにその軍服さ〜」
 彼らがいたところからは死角だった本棚の後ろに、人影が現れる。金髪碧眼。ランドエバー人としては大した特徴もないその男は、だが近衛隊の軍服を纏っている。
「名前思い出せないな」
 呑気に首を傾げるヒューバートを、蔑むような冷たい瞳で見ながら男が呟く。
「第五部隊長のフヴェル・リヒア。部隊長の顔と名前くらい覚えたらどうだ」
 吐き捨てるような語調を気にした様子もなく、ヒューバートはカラカラと笑う。
「ごめんごめん。そんなバレバレの監視してたヤツがまさか部隊長だなんて思わなくてさー」
 彼のいかにも悪気がなさそうな揶揄に男――フヴェルの表情が凍る。
「……口の聞き方を知らないようだな」
「元老院のジジイみたいなこと言うなよー。だってさ〜、あんなみえみえの見張り方しててさ〜実力もたいして無さそうだし、アルフェス隊長も噛ませ犬だって判断してオレにおしつけて行っちゃったくらいの奴にはこれくらいの口の聞き方でじゅーぶんだと思うんだよね」
 にこにこしながら次々に毒舌を披露するヒューバートに、フヴェルの手が腰の剣にかかる。
「あ、抜いちゃうんだ? ところでさ、オレ賢くも思い出したんだけど。第五部隊って確かレアノルトの警護だったよね〜」
 ヘラっと笑う彼の喉元めがけて――フヴェルの剣が唐突に閃く。充分に素晴らしいといえるその瞬発力を、だがものともせずにヒューバートは難なくかわした。
「姫の勅令を無視してこんなところで何してるのさ?」
 喋る間にも休みなく繰り出されるフヴェルの連撃を軽いステップで交わしながら、それでもヒューバートは問いかけた。それに対して、フヴェルから端的な答えが返って来る。

「……近衛隊長、アルフェス・レーシェルの監視だ」

 キィン!!

 返答が終わるや否や、澄んだ金属音が高い図書館の天井にこだました。
 少なからず、フヴェルの顔に驚愕が走る。ヒューバートの剣が自分の剣を受け止めている。起きたのはそれだけのこと。
 ただ驚嘆するのは、フヴェルにはヒューバートがいつ剣を抜いたのかが“見えなかった”。
 それでも動揺は表に出さずに、冷静にヒューバートの剣を流す。腐っても部隊長か、嘆息しながらヒューバートは剣を構えなおした。
「どけ、ヒュー。私はこれでも多忙だ」
「気安く呼ぶなよ」
 うそぶくフヴェルを一蹴する。
「姫と隊長に対する裏切り――このオレが死を以って償わせてやる」
 ヒューバートは笑みを消すと、氷点下の声で囁いた。