12.破滅と救済
歪んでゆく空間に眩暈がする。リダに入った時と同じ感覚。膨大な力の流れと共に視界が一変し、既に今までのリダの風景は辺りにはない。
その強大な力、そしてそれをこともなげに操る少女に、驚きというよりは最早呆れに近い感情を覚えながら、エスティは辺りを一望した。薄暗くだだっ広い石室。
足元は大理石、天井は見えないが少なくとも屋外でないことは確かだ。その視界に止まるものは、金と銀の輝きだけ。それは今この空間に在るもの――即ち自分と、イリュアと、ラルフィリエル。
それだけ。
※
「で、どうやってその真実ってのを見せてくれるんだ?」
椅子にふんぞり返って腕を組みながら言うエスティに、だがイリュアの笑みに苦みは混じらない。ようやくエスティもいつもの調子に戻ってきたようだ――そのことに周囲もほっとしていた。
「この“エルダナ”の依になれば見れるわ」
笑ったままイリュアがさらりと答える。訳がわからず顔をしかめたエスティの側まで歩み寄り、彼女は座る彼と目線を合わせるように自らもまた腰を落とした。同時に音もなくその場に椅子が表れる。
「“聖域”にエインシェンティアがあるのではなく、この聖域自体がエインシェンティアみたいなモノなのよ。依といっても一時的なものだし、私も外から制御を手伝うから暴発するなんてことはないから安心して」
椅子に身を預けながら補足するイリュアに、エスティは頭を抑えた。
「途方もねぇ話だな。ルオじゃねぇがオレも頭痛くなってきたぜ。じゃあオレたちは今エインシェンティアの中にいるのかよ」
「んー、違うけどそんなようなものね。深く考えなくていいわよ。巨大な映写施設だとでも思って」
イリュアが肩をすくめる。
「でも、じゃあ、誰でも見れるというわけではないんですね……?」
依、制御といった言葉を聞いてミルディンが声をあげ、イリュアは頷いた。
「誰でも見れるわけじゃない、真実を映す映写施設、てか。大層な映画だ」
皮肉を言いながらエスティが立ち上がる。
「見てやるよ。どうすればいい」
「ちょっと待って。……多分、かなり時間がかかると思うわ。その間私も制御に掛かりきりになるし、その間他の皆はどうする?」
今すぐ見せろといわんばかりの勢いのエスティを制し、イリュアが他の面子を気にかける。
「どうするって、待つしかねぇんじゃねぇのか?」
ルオが欠伸交じりに言うと、イリュアは少し考えるように上を向いた。
「そうでもないわよ。ここで待つのならそれでもいいけど、もし行きたい場所があるのなら、私の力で送ってあげるわ。こっちの用事が済んだら迎えに行ってあげることもできるし」 「ほんとうですか?」
真っ先に反応したのはミルディンだった。旅を止めるつもりはなくなったが、国のことは心配だった。だからイリュアの言葉は、ミルディンにとっては願ってもないことだった。
「だったら、その間だけ――私とアルフェスをランドエバーまで送ってくれますか?」 「もちろん構わないわ」
ミルディンの申し出をイリュアは快諾した。
「じゃあ俺もスティンへ帰るかな……ここにいても役に立ちそうもねぇし」
二人のやりとりに、退屈そうに椅子に寄りかかっていたルオも頭を掻きながら身を起こす。イリュアは二つ返事で快諾したが、エスティは慌てたように声を挟んだ。
「ルオ……スティンへ行くなら」
「嬢ちゃんのことか?」
表情を硬くしたエスティの言わんとすることを、ルオは見透かしていた。先回りされて、エスティが頷く。
「シレアに会っても、リューンのことは言わないでくれ」
懇願に近い言葉にミルディンの表情は陰り、ルオは複雑な表情をした。
「……でもいつかわかっちまうことだぜ」
「それでも」
あまりに真っ当なルオの台詞を、だが強い調子でエスティが切り裂く。
「……それでもだ。生きる気力を失ったあいつを救ったのはリューンだ。もしシレアがあのことを知っちまったら、またあいつは何もかも失くしちまう」
俯き、拳を握り締める。
「だから、今は」
ラルフィリエルが何か言いたげにこちらを見ていることに気付き言葉を止める。リューンの名を出してしまったことをエスティは少し後悔した。その名は彼女の心を抉る。ルオもまたそれ以上は何も言わずに頷いた。
「お前はここで待つか?」
ラルフィリエルがそのことについて何か触れる前に、それを遮るようにエスティは彼女に尋ねた。話題をはぐらかされたと解ってはいるのだろう。だが彼の問いにははっきり答える。
「私も行く」
「え」
エスティから視線を外してラルフィリエルはイリュアの金色の瞳を見つめた。
「私にも真実とやらを見る権利はある筈だ」
「……ええ。貴方の言うとおりだわ……」
イリュアは笑みを消すと、真っ直ぐに彼女を見つめ返す。その銀色の髪とアメジストの瞳に、イリュアは体が震えそうになった。
(私、過ちを繰り返すところだったのかもしれないわ)
胸の中で呟く。そんなイリュアの思いなど知る由もなく、エスティはラルフィリエルを見つめていた。だが今度は彼が何かを言う前に、ラルフィリエルが問いを発する。
「エスティ。シレアというのは誰だ?」
完璧に不意をつかれた質問にエスティは返答に窮した。
「……シレアは……」
リューンの妹。それはラルフィリエル自身だ。エスティは頭を軽く振ると、その言葉を飲み込んだ。
「オレ達の仲間だ」
翳る真紅の瞳に、ラルフィリエルはそうか、と頷いただけだった。
※
冷えた空気の漂う石室で、イリュアはエスティとラルフィリエルを交互に見た。もうその表情に笑みは浮かんでいない。
彼女が白い手を胸の前にかざすと、白銀のロッドが姿を現す。目を伏せてそれを取ると、イリュアは静かに告げた。
「エスティ。あなたがアルティメット・エインシェンティアを消去しなかったことは、デリート・システムにとっては大きな誤算だった。あなたが真実を見てどんな答えを出しても、多分もう古代人が描いた救済への筋書きは壊れ始めているの」
彼女の言葉に、エスティが応える。
「オレがどう動くかはオレが決める」
イリュアは金色の瞳を見開いた。
(ええ、その為に私はあなたに真実を見せることを決めたのよ)
銀のロッドで空を叩く。まるで水面を叩いたかのように、その場所から光の波紋が広がった。同時に凄まじい力の奔流を感じ、エスティはラルフィリエルの手を取った。その力に呑まれないように。流されないように。離れないように――
光の紋様が床を、壁を這い、見えなかった天井をかたどるように頭上にも広がっていく。閃光がスパークし、光が視界を満たす。視界と共に意識まで光に呑まれていく中で、エスティは強くラルフィリエルの手を握り締めた。
――膨大な力の制御に神経を注ぎ、イリュアは荒い息をついた。二人の姿が消えても、光の波紋と紋様は石室に濃く浮かび上がっている。
救済への筋書き。
その最も大きな誤算は、彼が彼女を愛したこと――
「汝、愛によって救われんことを、か」
呟いたその瞬間。
「…………ッ!!?」
急激な力の抵抗と、凄まじい威圧に全身があわ立つ。刹那、中央に立っていた彼女は、広い石室の壁に背を叩きつけるまで吹き飛ばされた。
「うッ!」
衝撃に咳き込む。それで制御を誤ることは流石にしないが、ロッドに細やかなヒビが走っているのを見て、彼女は戦慄した。
「いけない。これは……この感じは……」
いつになく深刻な顔でイリュアが呻く。
崩れ始めた筋書きは破滅に向かうのか。筋書きを外れた答えの見えない暗闇が、彼女を支配していた。