4.親友

 リューンの剣撃を紙一重でかわし、エスティは大きく息をついた。
 さすがに名の知れたセルティの傭兵だっただけあって、彼の剣の腕は並ではない。だが、エスティとて伊達に戦場を渡ってきた訳ではないのだ。反撃の機会くらいは窺える。だが、
(反撃――できるかよ!!)
 胸の中でエスティは思い切り叫んだ。
「ぼくを攻撃できないの?」
 見透かされて舌打ちする。
「故郷の人は見殺しにできるのに?」
「見殺しになどしていない!!」
 リューンの言葉に、挑発だとわかっていても思わずエスティは声を荒げた。だがそれに構うことなくリューンは尚も言葉を投げかける。
「でも君がエインシェンティアを求めて旅に出ている間に君の故郷は滅ぼされた。それも、君が探していたものによって、だよ? 君は一体何をしてたのさ? 何ができたと言うの? その力で」
 容赦なくたたみかけられるリューンの言葉が、エスティの心を抉り取る。それはエスティにとって、物理的に受ける傷など比較にならぬ程の、耐え難い苦痛だ。だが、そのお蔭で気付いた。
(――試す。確かラルフィはそう言っていたな)
 休みなく繰り出されるリューンの剣を捌きながら、思考をめぐらす。
(だとしたら、これは――そう、オレの弱みだ)
 故郷、仲間、親友――全て自分が護れなかったものだ。
 エスティは唇を噛みしめた。リューンの剣を思い切り跳ね上げると、飛びのいて間合いを取り、そして、  剣を捨てる。
「……どういうこと?」
 リューンが笑みを消して、こちらに怪訝そうな声を投げかける。「負けを認めたの?」、嘲るように冷たく言い放たれても、エスティは手放した剣を拾おうとはしなかった。
「そうだな。もしこれが……オレを試すための何か……だとしたら、オレはこの試練を越えられない」
「弱気なんだね。残念だよ、君はもう少し骨のある男だと思ってた」
 リューンは見下したような目をエスティに向けると、剣を構えなおした。そこから繰り出されるリューンの剣は、確実にこちらの心臓を捉えて来るだろう。それを知りながらエスティは動じなかった。
「ああ……お前にそう言われても無理はないな。オレは故郷を救えなかった。その結果ラルフィに殺戮を繰り返させ、そして……お前を助けることができなかった。自分の無力を、いや存在すら呪ったさ。だけど、オレは――今を生きて、お前やシレア、そしてミラやアルフェスやルオに……色んな人に出会えて良かったと、今はそう思う……」
 目の前の友に、エスティは優しく微笑みかけた。
「この弱みを無くしてしまったら、オレは人の痛みを忘れてしまう。そんなのは御免だから……お前になら殺されてもいいよ」
 隻眼の少年は、剣をつきつけたまま呆気に取られたようにエスティを見つめた。だが、彼が穏やかな微笑を崩さないのを見ると、リューンもまた――微笑んだ。途端、あれほどまでの突き刺さるような殺気が嘘のように掻き消える。
「リューン……?」
 そこにいるのは、まさしく友であり、相棒であったリューンだった。真実がどうあれ、少なくともエスティにはそう思えた。
 我知らず手を伸ばしたエスティを、少し哀しげな微笑みで見つめながら、リューンの唇が何か言葉を紡ごうと僅か震える。だが、それが叶うことはなかった。エスティの手が触れる前に、周囲が闇に溶けて、リューンの姿もまた、闇へと掻き消えていく。
「リューン!!」
 慌ててエスティは声の限り叫んだ。

「行くなよ!! 幻でもなんでもいいんだ!! 行くな――――ッ!!」


「エスティ!!」
 強く名を呼ばれて、我に返る。
 いつの間にか周囲の闇は晴れ、見慣れない景色の中に、見慣れた仲間達の顔があった。
「あ……オレ」
 未だはっきりと状況が飲み込めずに、曖昧な言葉を発する。そんな彼をミラが心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫……ですか?」
 前にも同じ様なことを言われた――、それで、ようやくエスティは自分が泣いていることに気付いた。慌てて乱暴に目を擦る。たぶん、今も前彼女に同じことを言われたときも、考えていることと心に引っかかっていることは同じだ。そんな自分が情けなくなって、どうにかエスティは表情だけでも取り繕おうと努めた。だが改めて仲間を見回してみると、皆もその表情は似たようなものだった。それで、もしかしてと思う。
「エスティ、今のは……何だったんでしょうか」
 問いかけてくるミルディンが、エスティの推測を裏付けた。恐らく他の皆も何かを見たのだろう。どこか浮かない表情で問う彼女が何を見たのかは知る由もないが、それが彼女にとって辛いものだったということは表情で知れた。
「確信はないけど……恐らく、オレ達を試してたんじゃないか? この聖域に立ち入れる資格が、あるかどうかを」
「ふん、成る程な。悪趣味なことしやがる。……だが、懐かしいことを思い出したぜ」
 ルオが苦い顔をする。が、そこにあるのは苦味だけではなかった。その理由はルオ自身にしか知れないが、それを聞くのも憚れて、エスティは成るべく明るい声を上げた。
「だけど、皆が無事で良かった」
「当たり前さ」
 心から安堵するエスティに、ルオは軽く応えてラルフィリエルの方を向いた。
「おい、姉ちゃん。あんたは大丈夫なのか?」
 急に声をかけられ、ラルフィリエルは一瞬ぽかんとしたような表情をした。まさか自分の安否を気遣われるとは思っていなかった。だがすぐに取り繕い、それは曖昧な笑みに変わった。
「ああ……少し、こたえたがな」
 困ったように呟き、前髪をかきあげる。それからラルフィリエルはその表情の余韻を全て綺麗に消し、思考を切り替えた。
「それより。ここは……?」
 彼女の言葉に、四人が改めて周囲を見渡す。
 見たこともない植物に溢れ、見たこともない材質でできた瓦礫が散乱しているこの場所こそがサリステル大陸であると気付くのには、少しの時間を要した。
「ここが、サリステル……なのか?」
 エスティの言葉は問いかけではあったが、それが答えでもあった。ここからも、あの海から見えた崖が遠くに見える。
「でも何で……」
 ラルフィリエルの方を見るが、彼女は「私ではない」という風に首を左右に振った。そしてミルディンを指し示すようにそちらへ視線を投げかける。
「そういえば、ミラ。大丈夫なのか?」
 ラルフィのその視線を追って、あのときミラが正気を失って召喚のスペルを詠んだことを思い出す。問いかけに、ミラは肯いたが、不可解な表情をした。
「ええ……よく覚えていないのだけれど……あのとき、何かが……」
 わたしの中に。どう表現していいか解らず口を噤んだが、胸の中で続けた言葉以外にうまい言葉が見つからない。そんな、どう説明したら良いのかわからないその感覚を、だが何と表現することもできなかった。

 それは、唐突。そして、突然だった。

 四人の間に銀色の風が吹き抜けて、ラルフィリエルは戦慄した。
(やはり、さっきの力は――!!)
 彼女の中の忘れかけていた恐怖が、一気に膨らみあがる。銀の風が、ラルフィリエルと同じ、銀の髪に紫の瞳を持つ青年を模る。
「ガルヴァリエル……!」
 噛み締めるようにラルフィリエルが名を呼んだとき、その場にいた者たちの動きは、凍りついた。
 そう、彼らの前に現れたのは セルティ帝国皇帝ガルヴァリエル――その人であった。