10.月夜のセルリアン・ブルー

「びっくりしたよぉ。エス達、捕まっちゃってるんだもん」
 王都の郊外にあるスラム街――セルティ兵からの追随を逃れた民は、だいたいそこに集いつつあった。ルクテを始めとする作戦の主要人物もまた投獄されていたのだが、こちらもまたシレアによって解放され、ここにいる。
 思いの他、アミルフィルドは深追いはして来ず、民の被害は思うほど深刻ではなかった。怪我人もいたが、アルフェスとミルディンが診ている為こちらも大事には至らないだろう。そんな状況を確認してエスティは安堵の息を吐いた。だが、これで終わった訳では無い。
「明日、もう一度王城へ行くわ。今度は殺されても退かない」
 投獄されて尚、ルクテはきっぱりと言い切った。他のスティンの民も、彼女と気持ちは同じのようだ。誰一人止める者も離脱する者もいない。
 エスティは座り込むと、両手で顔を覆った。そんな彼を、シレアが不安げに見下ろす。その表情は、彼女にしては珍しく陰鬱だ。
「どうするの、エス」
「エインシェンティアが関わっているとなったら……これは、スティンだけの戦いじゃない」
 顔から手を離すと、エスティはその深紅の瞳で己の掌を見つめた。本来、これはスティンの民の戦いだ。部外者である自分が介入すべきものではない。だが、エインシェンティアによって、スティンが滅ぶようなことがあってはいけない――なんとしても、それだけは防がねばならない。そしてそれは、自分の使命だ。
「これ以上、暴発を繰り返しちゃいけない」
 顔を上げ、エスティが小さく、だがはっきりと呟き、シレアもまた深く頷いた。それはそれとして、とエスティは重くなった空気を払うように声のトーンを上げた。
「……それにしても、シレア。何で王女を連れてきたりしたんだ? 相当怒ってるぞ、アルフェスの奴」
 王城を脱出してから、アルフェスは誰とも口を聞こうとしない。負傷した者に、淡々とリザレクト・スペルをかけて回っているが、それを手伝うミルディンとさえ、必要以上の会話はしようとしなかった。それというのも、ミルディンがランドエバー城を出て、このような危険な場所へ出てきてしまったから――シレアがミルディンを連れてきてしまったからだと、エスティは思っていた。
 だが、当のシレアはケロっとしている。
「怒ってる……かなあ? あたしには、ほっとしているように見えるけど」


 ひと通り怪我人の治療を終え、アルフェスは怪我人の収容されている廃屋から出た。今まで人が密集しているところにいたため、夜風が至極心地良い。ルオとリューンが交代で見張りをしている筈だが、なんの警告もなく、セルティ兵の気配もなかった。これで終わる筈もないだろうが、とりあえず夜明けまでは安全だろう。
 瓦礫に体を預け、目を伏せる――が、気配を感じて、彼はすぐに目を開けた。現れた人物を見て、直立不動の姿勢を取る。
「どうかなさいましたか? 姫」
 その淡々とした物言いに、ミルディンは少し怯んだ。だが、恐る恐る口を開く。
「怒って……いますか?」
「……当たり前です」
 嘆息し、直立不動の姿勢を崩すと、アルフェスは短い前髪をクシャリとかきあげた。
「どうしてこんな所に来たんですか? 姫は、この国の者にお命を狙われたのですよ? わかっているんですか?! あれほど城から出ないようにと申し上げたのに……」
「約束を破ったことは、謝ります」
 ひとまず頭を下げたミルディンだったが、それで引き下がる彼女ではない。それくらいなら、エレフォの反対を押し切り、シレアに無理を言ってまでこの場に来たりなど、最初からしないのだ。
「でも、わたし、城でじっとなんてしていられません! 貴方が戦っているのに……! わたしだって……わたしだって、何か役に立てる筈です! もう、護られているだけなのは、嫌なんです!!」
 有無を言わさぬ口調でミルディンが叫ぶ。その目に涙が浮かんでいるのを見、アルフェスは何度目だかわからない溜め息をついた。
「……何かあったらどうなさるつもりなのですか」
「解って……います。わたしには、王家最後の生き残りの責任があるということは」
「そういう意味じゃないッ」
 ミルディンの言葉を、アルフェスの鋭い叫びが遮る。驚いたようにびくっと肩を震わせた彼女を見、アルフェスは慌てて声を潜めた。
「……申し訳ありません」
「いえ。ごめんなさい……」
 詫びるアルフェスを見て、ミルディンの熱が下がる。冷静になったら、勢いづいていた心をほんの少し罪悪感が侵蝕した。彼が心配してくれていることは、痛い程わかっているのだ。ミルディンは俯いた。
 だが――それでも。
 じっとしていることなど、できなかったのだ。思いがけずシレアと再会し、そして彼女の話では、アルフェスがエスティらと共に、 スティン王都の民の反乱に巻き込まれたと言う。
(皆が戦っている。わたしは……?)
 ランドエバーの民の命運が自分の双肩にかかっていることも、ランドエバーを統治していかねばならないことも解っている。軽はずみな行動もなるべく慎んで来たし、アルフェスやエレフォに、なるべく心配をかけないようにしてきたつもりだ。だが――
 俯いた彼女の瞳からは、ぽろぽろと涙が零れた。皆と共に行けないことが、哀しく、悔しかった。だが、ふと頬に何かが触れて、ミルディンは顔を上げた。
「……アルフェ」
 アルフェスの手が頬に触れ、涙を拭っている。その表情はよくわからないが、まだ少し怒っているように見えた。
「無茶と、軽はずみな行動はしないこと。そして、私の傍を離れないこと。これだけは、守ってもらいますからね」
「……え……?」
 一瞬、何を言われたのかわからずに、ミルディンはぽかんとした表情で彼を見た。だがやがてその言葉の意味を解して、ぱあっと顔を輝かせる。まるで大輪の花が開いたような笑顔だった。
「じゃあ……いいんですか? わたし、ここに居て、いいんですね?!」
 そんな彼女の笑顔に、こらえきれずにアルフェスも笑みをこぼした。本当は、あの牢獄で彼女を見たとき、怒りよりも何よりも無事な彼女の姿に、安堵の方が先に立った。
「姫が無事で良かった」
「……。勝手なことをして、ごめんなさい」
 微笑むアルフェスに、ミルディンは素直に謝った。