8.白髪の王と少女の涙

 いつもなら、静かな昼下がりの時刻。少し昔なら、活気に溢れた、賑やかな王都。
 だがもうその声を聞くことはないだろう。多分、ずっと。
 華美な王室――ギラギラしてどうも落ち着かない――の、柔らかいソファに腰を下ろし、王は深い溜め息をついた。長い髪が邪魔で、無造作に後に払いのける。その色は、真っ白だ。何時の間にこのように白くなってしまったのかと、王は訝しんだ。確か、前は輝くような金色をしていたはずだ。
「……報い、か。無理もない……」
 端正な顔に疲労がよぎる。――声が聞きたかった。
 店の呼び込み。
 人々の談笑。
 喧騒。
 荷馬車の音。
 大好きだった賑やかな王都――だから、彼は一瞬間違えた。
 その騒ぎを、昔に返ったのだと思った――
「アミルフィルド王」
 扉の外で、声がするまでは。
 誰だ、などとは問わなかった。騎士団は、自らの命令により自害させた。姉も弟も。他に、この城に誰がいよう――
 ――セルティ兵だけだ。
「……なんだ」
 立ち上がらずに、声だけ返す。
 名目上は、自分の方が立場は上だ。皇帝より、この城を任されているのだから。自分は、この国の王なのだ。だから、差し支えは無いはずだ。声の主も、そんな彼の尊大な態度にさして構う風もなく、言葉を続けてきた。
「王都の方で、暴動が起きているようです。恐らく反乱かと」
「……なんだと」
 呟き、立ち上がる。
 瞬間、別の声が、彼の耳元で囁いた。
<聞いたか、アミルフィルド。愚かなものよ、敵わぬものと知りながら……な>
 スティン王アミルフィルドの中を、戦慄が駆け抜けた。同時に肌が粟立つ。冷や汗が、背中と頬を伝った。
「ガル……ヴァリエル、皇帝陛下」
 畏怖と、恐怖が籠った震える声で、彼は呟いた。
<本当だったら、“妹”を送り込むところなのだがな。……取り込み中だ。そこにいる兵共とお前とで一掃しろ。そうそう、城にも何匹か鼠が入り込んでいるぞ、そっちも忘れぬようにな>
「な……ッ!!」
 絶句する。
「殺せと……仰るのですか! この私に! 王都の人間を……!!」
 ――それでは、なんのために、私はこの手を血に染めたのだ。
 畏怖の前に、憤りは呑み込まれてしまう。そしてそれ以上、皇帝の声は聞こえてこなかった。ただ、彼の笑い声だけは、頭に残って響き渡っていた。
 何度も、何度も。


 陽動で果たしてどれ程時間が稼げるものか、とルクテは危惧していた。おまけに、城を警護する兵の数も、いつもとさほど変わらないように見える。
(これじゃ、城に入る前に殺されるか、陽動に気付かれてしまう……ッ)
 だが、彼女の心配は現実にはならなかった。むしろ、陽動からそこそこ時間が経過しているのに、暴動を起こした者達がつかまるどころか城の兵達の動きが慌ただしくなったようだ。そして、次々に兵が街へと出て行く。
 実際のところは暴動で駆けつけた兵を、次から次へとアルフェスとルオが片付けているためなのだが、ルクテ達には知る由もない。
(どういうこと……? でも……これなら、いけるかも。いえ、今しかないッ)
 ルクテは覚悟を決めると、仲間を振り返った。
「今よッ」
 騒ぎの合間を縫って、ルクテが鋭く合図を出す。同時に詠唱が始まる。
 
『“万物を背負いし基盤よ!其の怒りを我が前に示せ!!”』

 そのスペルに、ごく微弱な地震が起こり、砂煙が舞い上がる。――そのとき、エスティはかすかな魔力の揺れを感じた。
(この、感じは……!)
 全身が総毛立つ。リューンへと鋭い視線を送ると、彼も頷きを返した。彼も“(よりしろ)”ならわかる筈だ。
「いくわよ!!」
 彼らの胸のうちを知る訳もなく、駆け出すルクテと、武器を振りかざしてそれに続く数十人の民。セルティ兵の混乱には拍車がかかったが、それでも黙って民にやられるほどセルティ軍は甘くない。砂煙もスペルも、一瞬の虚を作り出したにすぎなかった。突入した次の瞬間には、目の前にセルティ兵の剣が迫りくる。
「……ッ!!」
 思わずルクテは目を閉じた。それしか、彼女が取れる行動はなかった。
「全く、無茶するぜ!」
 だが、覚悟した衝撃や痛みはなく、代わりに聞き覚えのある声が聞こえて目を開ける。そこに映ったのは、昨日ルオと共に宿を訪ねてきた漆黒の髪の少年が、自分に向けて振り下ろされた剣を受け止めている姿だった。

『“精神破壊(ソウル・クラッシュ)”!!』

 たたみかけるように、リューンの精神魔法のスペルが続き、ばたばたとセルティ兵が倒れていく。
「さあ、今のうちだよ」
 にっこり笑ったリューンに、ルクテは疑問の眼差しを向けた。
「……貴方たちは」
「今は問答を交わしてる場合じゃない。オレ達だけじゃどこまでもつかわからない、王に会いたいなら、急ぐんだ」
 エスティがルクテの問いを早口に遮る。ルクテもまた、すぐに表情を引き締めると、頷いた。
 元は王城で働いていたという、ルクテの仲間の案内で、城の中をひた走る。陽動で多くのセルティ兵をひきつけているとはいえ、城の中にはまだけっこうな数の兵がいた。
 エスティがセルティ兵の剣を受け、弾き、その胴を薙ぐ。
 リューンの精神魔法が、多くの兵を支配して、その戦闘能力を奪う。
 そして、やがて彼らは、荘厳な扉に辿りついた。謁見の間に相違ないその扉を、迷うことなくルクテが開く。
「――陛下ッッ!!!」
 叫ぶ。
 そこには、長い髪をした、端正な顔の男が立っていた。その髪は見事なまでに白いが、歳の頃は、まだ30半ばぐらいに見受けられる。彼が、スティン王であることは、ルクテの様子から、間違いないだろう。
「陛下!」
「王様!!」
 次々に民が駆け込んでくる。傷を負った者も多いが、構うことなく彼らは跪いた。
「どうか、どうかご再考を! セルティと戦ってください!」
「どうか、我らをお導きください!!」
 口々に叫ぶ。
「アミルフィルド陛下! 陛下は……我々をお見捨てになったのですか!?」
 涙ながらに叫ぶ、ルクテの声が、謁見の間に響き渡った。だが、王は表情を動かさなかった。静寂――それを裂いて、何かが動いた。
「リューン!」
 エスティが叫びを上げる頃には、彼はエスティの剣を奪い、王との間合いを一気につめて彼に剣先をつきつけていた。突然のリューンの行動に驚いたのは、ルクテ達だけではない。むしろエスティの方が驚愕に息を呑んだ。ただアミルフィルドだけが、変わらず無表情な瞳をリューンに向けていた。
「シレア・ラティ・ヴェルニッシを、覚えているか」
「……!」
 そこで初めて、王の瞳に感情が動いた。
「シレア……姉上の娘。もしかして、君は……彼女を助け、逃げたという」
「……そうだ」
 彼がそのことを覚えていたのが意外で、リューンは少し戸惑った後、肯定した。
「シレア・ラティ・ヴェルニッシだと……」
 ふいに後で呻き声が聞こえてエスティが振り向く。いつの間にかルオとアルフェスが立っており、こちらの様子を窺っていた。
「……そうか、あの嬢ちゃんは……」
 ルオが呟く。入り口の一番傍にいた、エスティにしか聞こえないような小さな声だったが――
 そして王もまた、小さな声で、問うてきた。
「シレアは、どうしている? 元気なのか?」
「何を今更! 元気か、だと!?」
 だが、リューンの瞳には動揺が走った。
(この男は、本気でシレアのことを案じている……!)
 それはマインドソーサラーである自分だからこそ一番わかる事実の筈なのに、信じられなくて剣先が震える。そうでなければ、本当にただのセルティの傀儡に成り下がっていなのなら、このままシレアの仇を討てたろうに、どうしても動けない。
 王とリューンが膠着し、沈黙が訪れる。その合間を縫って口を開いたのは、アルフェスだった。
「……国王陛下、私もお伺いしたいことがございます」
 王へと歩み寄り、背負っていた、スティンの家紋が入った剣を差し出す。
「私は、ランドエバーの騎士、アルフェスと申します。これは先日我が主君、ミルディン王女に対し狼藉を働いた者が残していった剣……スティンの家紋が入っています。これは、どういうことですか?」
 冷たい翠色の双眸が、鋭く王を射抜く。だが王は、アルフェスを一瞥しただけで、何も応えはしなかった。そして、目の前のリューンを見、民を見、最後に一言、彼は呟いた。
「私の……答えは、こうだ」
 滑らかな動きで、王は何かに触れた。と同時に、剣をつきつけていたリューンと、傍にいたアルフェスが、何かに弾かれたように吹き飛ばされる。
「!?」
「きゃあぁッ」
 その衝撃の余波に、ルクテが悲鳴を上げる。リューンとアルフェスは、咄嗟にとった受け身のお蔭で怪我はなかったが、彼らが起き上がる前――そして、エスティが詰めよる前に、王はそれを抜き放ってしまっていた。
「……!!」
 エスティが息を呑む。やはり、さっき感じた魔力の波動は、気の所為ではなかった。
 それは、美しくも艶かしい、一振りの剣。その刀身は、血のように――実際、血、そのものなのかも知れない――赤い。
「エインシェンティア……!」
 エスティが呟き、リューン達の表情が凍る。意志なきエインシェンティアのようではあるが、制御が極めて不安定だ――微弱な魔法に反応し、魔力の波動にぶれが起こる程に。ただの人間にすぎないアミルフィルドが所持しているのだから、無理もない。
 反射的にエスティは、デリート・スペルを詠む為に印を切った。意志なき者ならば自分の力で消せるだろう。だがそれと知らないアミルフィルドは、エスティの動きを牽制した。
「やめておけ。このエインシェンティアは間もなく暴発する。魔法など使えば、魔力干渉によってすぐにでも暴発は引き起こるだろう。そうすればお前たちなど骨も残らず吹き飛んでしまう。だが私にはそれを止める術がある」
 止める術。そのようなものなどある筈がないとエスティは疑ってかかっていたが、ハッタリだとしても、妙な動きをすれば今すぐ制御の均衡を崩して、暴発を起こされかねない。彼の雰囲気からそれを悟り、エスティ達は動けずにいた。
「この国を、そしてお前達を活かすも殺すも、私の手の中にある。わかったなら……私に従うことだな」
「陛下!」
 状況を全て飲み込めてはいないのだろうが、王に再考の余地がないことだけは、解っただろう。ルクテが、涙を零して叫ぶ。が、それで最後だった。
 王の合図で謁見の間になだれ込んだセルティ兵に、王が囁く。
「…………捉えよ」
 身動きひとつできずにいるエスティ達を、セルティ兵が次々に拘束して行った。