16.錯綜する心

 今日もいい天気の昼下がり。
 シレアはボードを片手に街を散歩していた。といっても、ただ散歩しているだけではない。情報を集めているのだ。
 いつもだったらボードに乗って飛ぶのだが、つい先日までシレアも静養していたため、なまった体を動かす軽い運動のつもりでもあった。そんなわけでゆっくり歩くシレアの瞳に、ふいに最近見知った人物の姿がうつる。
「よう、嬢ちゃん。喉はもういいのか?」
「あ、おじさん。ヒマなら手伝ってよ、情報収集!」
 向こうから歩いてくるルオの姿を見とめ、シレアは叫びながら手を振った。「全快だな」、確信してルオが苦笑する。
「おじさんってねー。俺はまだ20台だぜ?」
「28歳はおじさんです。そっちこそあたしを子供扱いしないでよね!」
「17歳は子供だぜ」
 あっさりと返され、うっ、とシレアは口をつぐんだ。口げんかでシレアが負けるのは珍しいことだ。悔しいのでシレアはさっさと話題を変えた。
「で、おじさんは結局何者? あたし、どっかで見たことあるのよね〜」
「何者もなにも、俺はただの、強くてナイスな傭兵さ」
「ウソくさ」
 呆れ顔でシレアが肩を竦めて見せる。
「エスに聞いたよ。あたしたちについてくるんでしょ? そーゆー物好きは“ただの”とは言わないの」
 少し前、ルオはエスティに同行を申し出ていた。もちろんエスティは断ったのだが、シレアに勝る話術に丸め込まれてしまったのだ。やむなく事情を話したエスティだったが、「ますます楽しそうだ」と余計に彼を喜ばせただけだった。
「……まあ、そうだなあ……」
 シレアの言葉を曖昧に認め、ルオは空をあおいだ。目にしみるくらい、本当に今日は良い天気だ。


 珍しく、疲労を感じた。
 直接自室に転移し、ラルフィリエルはベッドへと倒れこんだ。重い溜め息をつきながら、必死に疲労とそれに伴う睡魔に耐える。報告をすませるまで任務は終わらない。
(……今日は色々なことがありすぎた……)
 今まで生きてきた時間より、遥かに長い一日に感じた。
 今まで生きてきた時間より――
(私の記憶は、初めて戦場に立ったあの日から)
 これも彼女にとってはごく珍しいことであったが――
 ラルフィリエルは回想していた。自分の記憶が始まったあの日から、今までを。自分の記憶など全て地獄絵図でしかない。気が付いたら、剣を振るっていた。それより前の記憶などない。
(それより前を――あの人は、知っている?)
 亜麻色の髪と、深い碧の隻眼が脳裏にフラッシュバックする。自分の過去など、気にしたことはない。否、気にする暇も余裕もなく、それに意味もなかった。だが、今初めて彼女は、自分の過去へと想いを馳せた。もちろん、そうしたところで答えをくれる者はいない。答えを知る者もいない。だから、意味などない。
(……いや、皇帝なら……あるいは)
 だが、彼にそんなことを聞く勇気などラルフィリエルにはなかった。のろのろと立ち上がる。報告に行く為だ。
 自室の扉に手をかけ――ふと気付いて、頭へと手を伸ばす。そして、そこに巻かれた布を彼女は両手でそっとほどいた。エスティが止血の為に施した、彼のショールだ。自分の血に染められたそれを、ラルフィリエルはそっと抱きしめた。
 エスティ・フィスト。
 多分、彼にとって自分は仇だ。きっと自分が、全てを奪ってしまったのであろう少年。そして、自分にとっても敵にしかなり得ない存在。

 ――いつか、殺さねばならない、存在――

(だけど、この気持ちは、何)
 いままで経験したことのない自分の知らない感情に、ラルフィリエルは戸惑った。
 だが、それがなんなのか、彼女に知る術はなかった。