16.神の夢の終わり

 カーン……カーン……

 遠く、遠くで鐘が鳴っている。

 少女ははっと顔を上げた。
 澄み切った青空。彼方まで広がる草原。だけど、自分が立っているそこには、瓦礫の山が続いている。
 これは夢か、それとも今までが夢か。
 ふと、少女は激しくかぶりを振った。今までが夢のわけはない。
「――お兄ちゃん? エスティ?」
 オーシャングリーンの瞳が不安に曇った。あたりを見回す為に首を動かす都度、フラックスの髪はサラリと揺れた。
 少女の視界には瓦礫しか映らず、いてもたってもいられなくなって、やがて彼女は歩き出した。だが、瓦礫に足をとられ、思うように動けない。
「お兄ちゃん……もう、どこにもいかないって……、エスティ、ずっと傍にいるって…………」
 呟きを風が流し、何処かへと運んで行ってしまう。
 歩いても歩いても一向に景色は変わらずに、瓦礫が足を傷つけるだけ。
 やがて疲れと痛みに少女はうずくまり、涙が頬を伝っていった。

「――大丈夫」

 ふいに落ちてきた優しい声に、少女が顔を上げる。すると、視界いっぱいに銀の輝きが広がった。
「ありがとう。そしてごめんなさい。私はまたあなたの中で眠るけれど、もう会うことはないでしょう。でも、神などいなくても、人は温かく強く、自らで道を切り拓くと、私は信じています」
 その美貌に笑みを讃えて、彼女はさぁっと青空に溶けた。
 呆然とする少女の大きな瞳に、やがて小さな光がおちる。


「なんだこりゃ? 雪か?」
 肩で激しく息をつきながら、ルオは素っ頓狂な声を上げた。だが彼でなくてもそんな声を上げてしまうというもので、空から無数の小さな光の粒が舞い降りてくるのだ。
 戦場のど真ん中だというのに、あんぐりと口を開けて呑気に空を見上げるルオを、ファウラは慌てて叱咤した。
「王弟殿下、今は戦の最中です! そのように無防備な姿を晒してどうするんですか!」
「だってよぉ」
 ルオの大きな手が光を掴まえるが、確かにつかんだそれは手を開くと消えていた。
「あったけぇ」
「ルオ隊長!」
 叫ぶ彼女に、ルオは思わずその手で耳を塞ぐ。
「そんな心配しなくても見なよ。みんなあの光を見て戦っちゃいねえじゃねぇか」
 彼の言葉に、ファウラもようやく周囲を見回した。
 今まで剣を持って争い合っていた者たちの誰もが、ぼうっと光の降り注ぐ空を見上げている。中には剣を取り落としてしまった者までいた。そんな様子を見ているうち、だがファウラはあることに気付いた。
「……セルティ城がない?」
 遠くの方に見えていた漆黒の城が、忽然と姿を消している。
「終わった終わった!! 戦はもう終わりだ!!」
 大声をあげて、どすんとルオは地面に大の字で転がった。あまりの彼の無防備ぶりにファウラが呆れた顔をし、でも苦笑する。
 戦は終わった。

 彼の言葉はどこまでも駆け抜けて、誰もが剣を放り出して座り込んだ。ある者は笑い、ある者はむせび泣き。でも光は誰の上にも降り注いでぬくもりをもたらす。
 ファウラもまた、ルオの隣に座り込んだ。

 ――青空が眩しい。


「…………、蛍?」
 空を見上げて少女は呟いた。触れるとそれはすぐに消えた。だけど、ほんのりと暖かさが残る。
 しばし、少女は光を見つめて立ち尽くしていたが、すぐにまた歩き出した。
「エスティッ! お兄ちゃん! ……誰か!! 誰も……いないの……?」
 乾いた涙が再び溢れる。
 諦めかけたそのとき、足元でガラガラと音がして――びくり、と彼女は体を震わした。
「何、そんなにビビってんだよ。――ずっと傍にいるっていったろ?」
 瓦礫を跳ね除けながら、漆黒の髪の少年が立ち上がる。
「いてて――最後の衝撃で瓦礫をまともにくらっちまった。って、ラルフィ、その髪……」
 改めて真紅の瞳が捉えた彼女の姿は、今までと少し異なっていて。少し驚いたような顔をした彼に、だが――少女は迷わずその胸に飛び込んだ。
「うわッ」
 勢い余って再び瓦礫の上に引き戻される。
 頭を打った、と文句を言おうとしたのだが、目の前の笑顔を見たらそんなことはどうでも良くなった。
 しがみついてくる少女の華奢な体はまるで折れてしまいそうで、だから優しく抱きしめる――

「一件落着ってカンジだね」
 ようやく瓦礫から抜け出して、シレアは大きく伸びをしながら言った。
 最後の衝撃にはシールドを張る暇もなかったが、リューンが咄嗟に庇ってくれたお蔭でかすり傷程度で済んだし、そのリューンも大きな怪我はないようだ。
 ミルディンともすぐに合流できた。彼女はケイパポウとラトに護られていたため、傷一つなかった。最後までケイパポウの具現を続けていた為に衰弱は激しかったが、それでもシレアの姿を見つけると、彼女は晴れやかに笑った。
 ただイリュアの姿だけは最後まで見つけることはできなかった。しかし彼女があの程度の衝撃でどうにかなるとも思い難く、元々この時代の人間ではない彼女は、またリダに戻って静かに暮らしているのかもしれないと、そう思えた。
 最後にエスティとラルフィリエルを見つけたが、「……そっとしときましょ」、駆け寄ろうとしたシレアが顔を赤らめてそっと回れ右をして、ミルディンはくすりと笑い、リューンが仏頂面になる。それを見て、シレアとミルディンがまた笑った。
「これ、何かな。あったかくて、なんだか、やさしい気持ちになるね」
 まだ振り続けている光を掴まえようと手を振りながら、シレアがはしゃぐ。
 青空も、風も、日差しも、春の陽気で心地が良い。だけど、その季節はまだ少し先――
 眩しさに、シレアは額に手をかざしながら空を見上げた。

「神さまからの、贈り物かな?」