14.最後の戦 2

 ドオォ……ン!!!

 黒い獣が動かなくなったのを確認し、安堵の息をついたのも束の間――激しい横揺れに、とっさにリューンはシレアを庇って伏せた。そしてシレアもまた、反射的にシールドを張る。漆黒の城が大破したのはその直後だった。
「きゃあああ!!」
「くッ」
 シレアの悲鳴と共に、またあの空間の歪みに投げ出される。大破した城の破片や瓦礫、そしてあの黒い獣の死骸までもが、砂のようにさらさらと細かく砕けて消えた。
「……大丈夫か、シレア?」
 ぐにゃりと周りは歪み、様々な感覚が曖昧になっていくが、さきほどのように五感全てがやられてはいないようだ。それでも気を抜けばいつそうなってもおかしくはない。掴んだシレアの腕の感覚を頼りに神経を研ぎ澄ましながら、リューンが安否を問うと、
「うん。それよりもお兄ちゃんが」
 シレアもどうにか体制を立て直しながら、逆にリューンの安否を気遣った。さっきの戦いで、リューンは傷を負っていた。
「ぼくは大丈夫だけど。でもどうしよう? これじゃあエスのところに行けない」
 傷を抑えながら、リューンが途方にくれたその時。
「リューン! シレア!」
 聞き覚えのある声に呼ばれる。同時に周囲に金の輝きが奔り、先ほどのようなはっきりとした道が具現したわけではないが、平衡感覚が戻ってくる。
「ミラ!! イリュアさんも」
 声の主と、彼女と一緒に現れた者の名を呼んで、シレアが応じる。
「もう大丈夫なの?」
「ええ。早くエスティのところへ行きましょう――」
 言いながらリューンの傷に気付き、ミルディンはリザレクトスペルを紡いだ。小さな光が浮かんでリューンの傷を癒していく。
「でも、どうやって? ていうかどうやってここまで?」
 ミルディンが城内の作りを知っている筈はなかったし、城も大破してしまった。今回はさっきの様な“道”が示されているわけでもなかったので気になってリューンは訊いてみた。すると先ほどより大分良くなった顔色で、ミルディンはにこっと笑った。
「ケパちゃんが皆の波動を読んで、居場所を教えてくれているの。ガルヴァリエル皇帝がどこにいるのかは、この空間ではわからないから、エスティ達と接触しているのかどうかはわからないけれど。どっちにしても、先にエスティと合流できた方がいいでしょ? ――どう、リューン。傷の具合」
 治癒の光が消えて、リューンもにっこりと笑う。
「ああ、もう痛くない。ありがとう、ミラ」
 礼を述べると、隻眼からは穏やかな光が消えて、そのまま彼は彼方の方角を見つめた。
「さあ――行こう。エスとシェラが心配だ」


 とっさに何が起こったのか、解らなかった。だが衝撃で気がついて、一瞬気絶していたらしいことは理解する。慌てて起き上がろうとして、エスティは何かが自分に覆いかぶさっていることに気付いた。
「ラルフィ!」
 シルバーブロンドが視界に入って、それが何なのかに気付き。叫びながら起き上ると、エスティは彼女を抱き起こした。細かな傷や血の跡が、彼女の白く綺麗な肌をあちこち汚していて、痛ましい。だが大きな傷や致命傷は見受けられず、とりあえずほっとする。
「馬鹿。お前がオレを庇ってどうするんだ」
 呟くと、それに呼応したかのようにラルフィリエルが瞳を開く。
「――私には、精霊の攻撃は効かないから。私は大丈夫」
 微笑みを浮かべる彼女はすぐに身を起こし、立ち上がった。そのしっかりとした動作に、言うとおりほぼダメージはなかったようだ。もう一度安堵の息をついて、エスティもまた立ち上がった。
 ラルフィリエルのお蔭で、あれだけの攻撃だったというのに、こちらにもほとんどダメージはないようだ。だが、それを喜んでいる場合ではない。
「くそ……まるでヤツの居場所がわからない」
 歪んだ周りの空間を忌々しそうに眺めて、エスティが吐き捨てる。
「神の空間だから」
「お前には、わからないのか?」
 答えるラルフィリエルにも焦燥が見えて、その表情を見れば答えは知れているのだが、“神”を宿す彼女にエスティは僅かな期待を寄せた。しかし思ったとおり、ラルフィリエルは首を横に振る。
「いや、私にも……」
 途中でラルフィリエルは言葉を途切らせた。その理由はエスティにも解っている。同時に二人はその場所を飛び退り、その耳にヒュッ、と風を切る音が届く。何かが、二人の間をかすめていった。様子を窺うラルフィリエルの真横を、再び何かが貫いていく。それが何かまでは解らないのだが、ガルヴァリエルの攻撃であることは間違いない。
「矢……? いや、精霊魔法か」
 呟いたラルフィリエルの、そしてそれを聞いたエスティの耳に、どこからともなく響く別の声が届く。
「――――貫け」
 その声と同時に、矢のような精霊の攻撃が、夕立の雨の如く二人の降り注いだ。
「エスティ!!」
 思わずラルフィリエルは叫んだ。
 “神”を宿しているラルフィリエルは、その力で精霊の攻撃を相殺することはできる。何より、精霊を統べるのは神だ。それに限りなく近い彼女には、精霊も滅多なことでは危害を加えようとはしないだろう。
 だが、エスティは違う。
 シールドで凌いではいるものの、圧倒的攻撃にすでに彼は無数の傷を負っている。
(このままでは……)
 ラルフィリエルは焦燥を増すと、不安定な空間を彼に向かって駆け出そうとした。だがなかなか上手くいかない。ガルヴァリエルに弄ばれているのだと解って、彼女は両手を握り締めた。
「精霊ッ!! 攻撃をやめて――!!」
 喉の奥から絞り出すように叫ぶ。そうしてラルフィリエルは、ガルヴァリエルの精霊の支配を打ち破ろうと試みた。僅かに精霊の攻撃は緩まったが、それは瞬間的なものでしかなかった。ガルヴァリエルの精霊支配には干渉できない。そう――
 ラルフィリエルは限りなく“神”に近いが、“神”ではない。
「畜生ッ……上手く体が動かないッ」
 その一方、満身創痍になりながもエスティは、なんとか致命傷だけは免れていた。しかしそれだけで、この空間、そして確実に蓄積されていく疲労に反撃の糸口が掴めず、エスティは苛立ちを募らせていた。汗と共に、剣を握り締める。
「――せめてこの空間さえ、何とかできれば――ッ!!」
 思わず、そう呻いたとき。

 彼の願いをまるで聞き入れてくれたように――歪みにひしめく闇は晴れた。