3.流浪の果て

 志願兵の指揮を執りながら、ルオは口の中である言葉を反芻していた。
(迷いねぇ……、)
 即断即決のルオに、そのような言葉は縁遠いものであった。
 迷いは死に繋がる。
 そんなことは戦場では常識だったし、闘い一筋に生きてきたルオには嫌というほど頭に染み付いている。だから迷いは即、排除してきた。それが癖になっていた。そして、身分にも常識にも何にも囚われず、迷わず自由に剣を振るい続けた、それこそがルオの強さの正体でもある。
 だが――即決できない思いが今ここにあった。
 これが悩むってことかと、28年生きてきてはじめてその単語について知ったなど、人が聞いたら驚嘆するのもいいところだろう。珍しく、非常に珍しく――ルオは考え込んでいた。

 流浪の傭兵として、エスティ達と共にガルヴァリエルと戦うか。
 それともスティン王弟として、セルティに攻め込むか。

 だが志願兵の中に、ある人物をとらえた瞬間、全ての考えは中断された。
 志願兵はほとんどスティン兵や騎士の生き残りで、見知った顔も多くあり、その生存をもう何度喜んだかわからない。だが、その中に探し人は見出せずにいた。その探し人の存在を、ルオは誰にも言っていない。兄にもエスティにも、誰にも言いだせずにいた。 それは、本当は探す必要などないからだ。おそらく相手は探されることなど望まない。それに、ラティンステル行きなぞ志願してくれなければその方が良いのだ。だからこの場では再会などしない方が良い。生きていないから来ないのではなく、どこぞの平和な国で平和に暮らしているのだと、強引に納得していたから誰にも言わなかった。
 だが、懐かしい顔の中に、我知らず“彼女”を探してしまっていた。そして現実に“彼女”は現れた。
 そのことを喜ぶべきか悲しむべきなのか、そんな出しても仕方ない答えに迷う前に、ルオはその名を叫びかける。そしてそれより前に、“彼女”は満面の笑みでルオに駆け寄ったのだった。
「ルオ隊長!!」
 目の前で彼女が息を弾ませる為に肩までの紅茶色の髪が揺れる。
 今度こそ名を呼ぼうとしたが、今度は咄嗟に声が出なかった。実際にはかすれた息が漏れただけ。おかしいな、と首を捻る。驚きすぎて声も出が出なかったのだが、それにも気付かないまま、今度はやっと声になる。
「ファウラ……!! 生きて、たのか!!!」
 ようやく声を絞り出すと、彼女――ファウラはにっこり笑って応えた。
「はい!! 隊長こそ、ご無事で何よりです」
 その目は僅かに潤んでいた。だがそのことよりも、彼女の格好にルオは溜め息をつく。
 それはほとんどの志願兵が身に纏っているものと同じ、スティン騎士団の軍服で、腰には帯剣している。それ自体は別に不思議はない――彼女も元はスティンの騎士隊に属していたのだから。
 問題は、そんな格好をして彼女がここに現れた、ということだ。
「お前その格好……まさかラティンステル行きに志願するつもりじゃないだろうな!?」
 やめろという空気を存分に含んだ怒鳴りも意に介さず、笑みそのままにファウラは深く頷いた。
「はい、もちろんです! 家族を説得するのに手間取り、遅くなってしまってすみません」
「すみませんじゃない!」
 周辺の無関係な者ですらぎょっとし、あるいはびくりと首を竦める声にも彼女は動じない。慣れたものと涼しい顔をするファウラにルオは軽い頭痛を覚えた。
「あのな。お前はスティンがセルティに占領される前に騎士をやめただろ。今生きてるのもそのお蔭じゃねぇか。それをむざむざまたも死地に」
「――あのときは、後悔しました。隊長が……死んだと、伝え聞きましたから」
 その時を思い出してか、ファウラの顔から初めて笑みが消え、神妙な顔で彼女は目を伏せた。だがすぐに目を開け、首をいっぱいに上げて長身のルオをしっかと見据える。
「だからもうあのときのような後悔はしたくありません! どうか共に戦わせてください!!」
 迷いのない真っ直ぐな彼女の瞳に、ルオの脳裏に今まで考えていたことが一気によみがえり、

 ――そして一気に吹き飛んだ。

「は……はははッ!!!」
 笑い出したルオをファウラは訝しげに見たが、構わず彼は豪快に笑い続ける。

 ――俺の、剣を振るうちっぽけな理由が、共に戦うことを望んでくれたから。
 俺はもう流浪の傭兵ルオじゃなく、スティン王弟、騎士団長ルオフォンデルスだから――

 その瞳にもう一片の迷いもない。
 悩むという単語は、また再び彼のどこか奥の方に封印されることだろう。