14.背徳国の王子と王女

 カツン、と靴音を響かせて、レガシスが一歩踏み出す。
 それを合図にしたように張り詰めた空気が3人の間を満たし、アルフェスは反射的に肩に刺さる剣に 左手をかけた。
「そんな体でまだボクと戦う気なの?」
 レガシスの嘲るような言葉にミルディンがはっとして彼を振り仰ぎ、そしてキッと睨みつける。
「……あなたが? あなたがこんな酷いことを……!」
「彼が望んだからだよ」
 憤るミルディンを意にも介さず微笑む。
「望んだですって?」
「そう。彼が消えたいと望んだから」
 思わぬ彼の言葉に、再びミルディンはアルフェスへと視線を向けた。
 だがその視線は交わらない。
 そんな2人の様子を見、目を細めながら――レガシスはゆっくり2人へと歩み寄る。
「それは――誰の所為だと思う? ミラ」
 ミルディンの表情が凍る。
 その彼女の目の前で立ち止まり、レガシスが彼女へと手を伸ばす――
「ミラ、ボクはキミ達を苦しみから解放したいだけなんだ。キミ達だけじゃない、(けが)れたこの国 そのものを――ボクが導いてあげる」
「穢れた、とはどういう意味ですか」
 彼の手を避けるようにあとずさりながら問うミルディンに、レガシスはくくっと笑いを漏らした。行き場のなくなった手を自らの胸の前に戻し、そこに視線を落とす。その一瞬だけ、彼の顔から笑みが消える。
「……ボクはこの国に殺された。この髪と、目の色と、そして下らない迷信の為に、陽の光すら知ることもなく――」
 俯く彼にミルディンが息を呑む。彼女にとっては初めて知る聖王国の裏側に彼女が動揺する間もなくレガシスは顔を上げると再び微笑みを戻して言葉を継ぐ。
「だけど、わかっているよ。それはこの国を思うあまりの彼らの"優しさ"なんだよね。だったら――」
 胸の前で手を握り締め、レガシスがもう一歩、距離をつめる。
「"優しさ"なんていらない。悲劇を生む感情も、苦しみも哀しみもない闇の中で眠らせてあげるよ」
 端正な顔に浮かぶ妖艶な笑みは、引きずり込まれるような魅力がある。そこにあるのは復讐でも恨みでもないことにミルディンは気付いていた。
 それでも、譲れない。
 頷くことはできない。
 真っ直ぐに彼を見つめ、もうあとずさりはしない。
「――それがあなたの優しさで、その為にあなたが望む通りにこの国を動かすというのなら、あなたとあなたを死に追いやったものたちとはどう違うと言うのですか」
 淡々と告げるミルディンに、再びレガシスの笑みが消える。
 そんなレガシスを哀しそうに見つめ、今度はミルディンが手を伸ばす。白く細い手が頬に触れ、レガシスが一瞬震える。
「過ちは繰り返しません。あなたのようにはもう誰も死なせはしません。だから――もう眠りなさい」
 嘲笑的な笑みが消えたレガシスの顔に、初めて感情らしき感情が宿る。
 優しく微笑むミルディンが眩しく、彼は目を細めた。温かく心地良い光――
 ――だが。
「そんなことはどうでもいい」
 その手を振り払う。
「ボクを殺した王家も元老院もどうでもいいし、ボクと彼らの、或いはキミの、誰が正しいかなど、そんなものもどうでもいい。ただ出した答えが違うだけ。答えは通した者の勝ちだ」
 ピリ、と肌に突き刺さるような感覚に、ミルディンは身震いした。――殺気。
「キミのその瞳、好きだよ。強くて真っ直ぐで、純粋だ――ボクのものにしたかった」
 彼女へと手を伸ばす。そこにある死にも彼女は動じない。そんな愚かな儚さは愛しくすらあったけれど、相容れることない答えを持つならば――
「哀しいかな王女様、貴女には力がない。力なく理想を語るのは愚かだよ、ミラ。
 勝つことができなければどんな正義も土に埋もれるだけ――」

 セルリアンブルーの瞳が見開かれる。
 そこにあるのは死の受け入れでも絶望でもなく。

 キンッ――

 レガシスの手に生まれた剣は、だが彼女の命を抉る前に、弧を描いて飛んでいく――

「ア……」
 名を呼ぼうとしたが声がかすれた。
 むせ返るような血の匂いに気が遠くなる。

 刹那の間に肩から剣を引き抜き、その剣でアルフェスはレガシスの剣を弾いていた。
「守護神、キミには答がないよ。……力を伴わない答も、答を伴わない力も脆いだけだ」
 その出血と怪我からはおよそ考えられないような動きと速さで迫る彼アルフェスの剣を、だがレガシスが正確にかわしていく。そしてその手にナイフを生み出すと、振り下ろされた剣を懐にとびこんでやり過ごし、アルフェスの首筋にナイフを沿わせた。
「何度やっても結果は同じ。キミの剣でボクは倒せない」
「……ッ!!」
 膠着する。
 そのままレガシスはミルディンを振り返る。
「力がないことは哀しいね? この状況でもまだキミは答えを貫ける?」
 愉しげに問うレガシスにミルディンが動きを止め――
 だが2人がそれ以上の会話を交わすことはなかった。
 手に伝わった微かな力にレガシスがそちらへと目を向けると、アルフェスがその刃先を素手で掴んでいた。
「ッ」
 至近距離で彼の剣が動き、さすがにレガシスが飛びのく。それにアルフェスが追随し、斬撃を放つ――
 「ははっ、流石は守護神! だけど、いいの? ランドエバーの守護神が、王家の者に剣を向けて」
 鋭いアイスグリーンの瞳が放つ眼光が刃のように突き刺さり、レガシスが言葉を止める。
 その形相は彼をもぞくりとさせるのに充分なものだった――
「俺が護りたいのはミラだけだ!」
 アルフェスの剣先がレガシスの心臓の位置を捉える。
 それを叩き落し、だがそれでもレガシスは嘲笑した。
「――だからキミは守護神じゃない!!」
 レガシスが突き出した正掌が、恐ろしい力でアルフェスを突き飛ばす。先ほどと全く同じように壁に背をうちつけるが、痛みは先ほどの比ではない――激しくこみあげるその咳が、また耐え難い痛みをもたらすが、倒れることは許されない。
「アルフェス! もうやめて……!」
立ち上がり続けるアルフェスに、いてもたってもいられずミルディンが叫ぶ。だが彼の視線がこちらに向くことはなく声が届いているかどうかすら疑われた。
ただ真っ直ぐにレガシスを射るその瞳にミルディンでさえ畏怖し、言葉を失くす。
それでも懸命に駆け寄り彼の軍服を引くが、それも虚しく再びアルフェスが地を蹴る――
その彼を遮ったのは、だが、レガシスではなかった。

「頭を冷やせ、馬鹿」

辛辣な言葉とともに彼を弾き飛ばし、そしてレガシスと対峙する。

それは、ライラックの瞳をした美しき戦神――