「なんだったんだろう、あの子……」
湯気の立つ鍋をかき混ぜながら、ティラが独り言を言う。だが、服の裾を引っ張られているのに気付いて、ティラは考え事を止めた。どうせ考えたところで、答えが出るというものでもない。ティラはあの少年に見覚えもなければ、心当たりもなかったからだ。ただ、髪と目の色から同郷かもしれないとは思ったが、その程度だ。金髪碧眼などさして珍しいものでもない。
「おねえちゃん。おねえちゃんが言ってたはっぱって、これ?」
「ええ。よくわかったわね」
「おにわにたくさんあったよ!」
勢い込んで尋ねてくるメリルにそう答えると、彼女は嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。
「そう、良かった。割とどこにでも自生してるものだから、あるとは思ったけど」
「ねえねえ、これを食べたらなおるの?」
「そのままじゃダメよ。お薬にするから貸して。メリルはこのお鍋混ぜててね」
「うん!」
だが、メリルに踏み台を譲ると、今度はティラが調理台に届かない。
「うーん、お湯を沸かしたいんだけど……」
一生懸命背伸びをするが、水がめの水を掬うことすらままならない。リゼルはヘイルと一緒にでかけてしまったし、ティラが途方に暮れていると、突然手桶が手から離れた。
「お湯を沸かせば良いのかしら?」
振り向くと、ヘイル達の母が微笑んでこちらを見下ろしていた。水を救う彼女を見て、慌ててティラは彼女を諌めた。
「動いてはダメですよ!」
「はいはい、お医者様」
くすくすと笑いながら、彼女は水を手鍋に移して火にかける。メリルが「ダメー」と頬をふくらませ、母がそちらにも困ったように笑いかける。
「あとはやりますから」
「じゃあ、お願いするわ。でもあなた、まだ小さいのに、お料理もできてお薬も作れるなんて凄いわね」
「全部父上から教えてもらっただけで、上手くはできないんですよ」
「……お料理やお薬を? お母さんではなくて?」
そんな風に返され、ティラは口ごもった。それは、普通は母から習うものらしい。何と言おうか言葉を迷っていると、ヘイル達の母はきまずそうに口元に手を当てた。
「あ、ごめんなさい。聞いてはいけないことだったかしら?」
「いえ、母は健在ですよ。でも、なんというか……家庭的でないというか……」
慌てて手をひらひらと振って答える。だがこれでは家庭に問題があるようだ。やはり怪訝な顔をされ、ティラはうーんと唸った。
「えっと、でも母上のことは大好きですよ。小さいとき、兄さんとでかけて賊に襲われたときとか、母上が一撃で蹴散らしてくれましたし」
「あら……そう……。逞しいお母様ね」
「私は父上から魔法や学問を教わりましたけど、兄さんは母上から剣を教わっていました。だから、兄さんは強いですよ。だからもしまた変な人が来ても、兄さんが守ってくれるから大丈夫です」
ヘイルの母が納得したようには見えなかったが、ティラは強引に話を変えて終わらせた。それでようやく彼女の表情からも疑問符が取れて、元の笑顔に戻る。
「ティラちゃんはお兄さんが好きなのね。メリルもそうなのよ。凄くお兄ちゃんっ子で」
「あ、いえ、うちの兄はその……何かと手がかかって大変ですけど……」
真っ赤になってもごもごと呟きながら、ティラは鍋の方に注意を戻した。煮立っているのを確認してから料理の方の火を消し、メリルから踏み台を借りる。丁度そのとき、玄関の扉が開いて、リゼルとヘイルが勢いよく飛び込んできた。
「ただいまー!」
「わあ、おにいちゃんー!」
元気に叫んだのはリゼルだったが、ヘイルも一緒なのを確認するやいなや、メリルが一目散にヘイルに駆けよっていく。
「ただいま、メリル」
抱きついてくるメリルを、ヘイルが抱え上げる。といってもヘイルもまだ小さいから、そう体格に違いがあるわけでもない。本当は無理をしているのだろう、現に手は震えているが、ヘイルは笑顔でメリルを抱っこしたまま部屋の中に歩いていく。
「……何やってるの、兄さん」
それを微笑ましく見守ったあとにリゼルに目を戻すと、彼はまだ玄関で突っ立っていた。何故か両手を広げて。
「ティラは来てくんないの?」
「行きません。今忙しいから」
「……昔はティラもああだったのに」
「いつまでも子供じゃないの!」
おたまを向けて怒鳴ると、いつものように兄がめそめそと泣く。それはそれで微笑ましく、ヘイルの母がくすくすと笑った。気付いてティラがまた赤面するが、それを誤魔化すように咳払いする。
「で、何をしてたの?」
「ヘイルと一緒に、朝から配達とかの仕事手伝ってた。これお土産」
包み紙を差し出され、ティラがそれを受け取って開く。
「あ、鶏肉」
「俺の取り分で買った。ほら、育ち盛りだし肉も食べないと」
「そうね……、もう少し早ければスープに入れたんだけど……。今から入れるより焼いた方がいいかな。確か庭に香草があったと思うから、見てくる。あ、兄さん、その葉お湯の中に入れといて」
「ん。あ、ティラ」
裏口の方へ歩いていくティラを、リゼルは思い出したように薬草を持ったまま追いかけ、呼びとめた。
「何?」
「一応、配達がてら見周ってみたんだけど。あいつもいなかったし、変なやつもいなかった。大丈夫だと思うけど、気をつけろよ」
小声で囁く兄に、ティラが頷く。
「うん。でも……、なんだか気になるの。あの子が最後に言ったこと」
「禁忌の魔法が云々って?」
「ええ。あの子が使ってた魔法、変だった。同じ光の魔法だったけど、あんな呪文、私知らない。……怖い」
俯くと、ティラは自分を抱くようにして震えた。リゼルは魔法を使えないので、ティラが使う魔法とユリスのそれとがどう違うのかは解らない。だが、あの少年はあのときティラを殺そうとしていた。突き刺さるような殺気を思い出すと、リゼルだってあの少年には薄恐ろしいものを感じる。野放しにしておいて良いとも思えない。
「……街でさ。少しキナ臭い話聞いた。この町の近くで遺跡が見つかったらしいんだ。でも、魔法で封印(されてて入れないらしい」
「それって」
「ああ、ユリスが言ってたことと関係してるかもしれない」
だとしたら、きっと兄は行くだろう。一般家庭で破壊魔法を使うような――何より、妹を殺そうとした相手を、兄が放っておくとは思えない。訪れた沈黙の合間に家族の談笑が聞こえてきて、ティラは我に帰った。裏口の扉に手をかけながら、だがふと違和感を感じて、それをそのまま口にする。
「今回は、黙って行かないのね」
「だって、黙って行ってもティラ、追いかけてくるもん」
苦笑混じりの声に、改めてリゼルを見上げる。声の通り、彼は苦笑していた。
「……ティラのことは、絶対に俺が守るから」
力強い声も、髪を撫でる手も心地よい。兄は酷く女顔だし線も細いが、どうしてかこういうときは逞しく、誰よりかっこよく見えてしまう。
それが少しだけ悔しくて、ティラは苦笑を隠しながら裏口の戸をあけた。