ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 8


 それからティラは、丁寧に髪を梳かれて上質なドレスを着せられ、イリヤの部屋に残された。
 その間にあれこれ先のことを考えてみたりして、自分に強がってみせたりしても、部屋で一人になると途端に落ち着かなくなった。それは、体のどこかが欠けたような、胸に穴があいていてひゅうひゅうと風が吹き抜けていくような、どこか何かが足りない、そんな気持ちの悪い感覚だった。
 何か足りないかなどは始めからわかっている。だけど、わかっていて選んだのだからふっきらなければいけなかった。
 ベッドに投げ出していた身に活を入れてティラはそこから起き上がり、集中するように目を伏せて開ける。よし、と小さく気合を入れてから、ティラは真っ直ぐ部屋の扉に向かって歩き出すと、その扉を少し押し開けた。そして、そこに居るであろう青年の名前を呼ぶ。
「フリートさん」
 果たしてそこに立っていた黒髪の青年は、呼びかけに応じて漆黒の瞳をこちらに向けてきた。
「少し話をしたいんですが、大丈夫でしょうか」
 周囲に他に人気がないのを確認してから囁きかけると、フリートは一瞬怪訝な顔をしたがすぐに部屋へと入ってきた。それから相変わらずの無表情をこちらに向け、忠告するような鋭い声をこちらに向ける。
「用があるなら中から呼べば聞こえる。それから、俺のことは呼び捨てろ。この離れに無関係の者はそう来ないが、それくらいの用心はした方がいい」
 確かにそれはもっともだ。ティラにも分かっているのだが、あのイリヤの高飛車な態度や口調を演じるのは、ティラにはどうにも抵抗があった。
「わかりました、必要に迫られればそうします」
「普段から慣らしておいた方がいいのではないか?」
「そう長居するつもりはありませんから」
 続くフリートの忠言も、ティラは淡々と切り捨てた。その不穏な言葉に、無表情のままフリートがぴくりと片眉を上げる。
「約束をたがえる気か?」
「明確な約束などした覚えはないですが。それに、代わりを務める間、大人しくしているとも一言も言ってません」
 フリートから目を逸らさずに、こちらを射抜くような声に怯まずティラも同質の声を返していく。
「あなたはこの入れ代わりが、単なるイリヤ様の娯楽の為だと思っていますか? 違うでしょう? だったら教えて下さい。この入れ代わりを指示したのは誰ですか? 王位を狙っている人はどんな人ですか? イリヤ様は本当に命を狙われているのですか?」
 矢継ぎ早に問いかけると、次第にフリートの瞳から鋭さは消えていった。そしてここに至ってようやく互いに逸らすことのなかった視線を外し、フリートがふっと息を吐き出す。
「お前は見た目だけでなく、内側もイリヤ様と似ているのだな」
 再びこちらに戻ってきた視線は、さきほどとは別人のように柔らかく、慈しむような色さえあった。恐らくは、いつもイリヤに向けている顔なのだろうとなんとなくティラはそんなことを思った。それから、城の人間とは毛並みが違うこの青年とイリヤは一体どういう関係なのだろうという興味が沸く。だが今はそんな詮索をしている場合でないので黙っていると、黙り込んだティラにフリートは違うことを感じたようだった。
「お前にとっては心外かもしれないが……、イリヤ様を悪く思わないでくれ。あれでも精一杯強がっているだけなんだ」
「心外だなんて。それを言うなら、あなたこそ兄さんを悪く思わないで下さいね。兄さんは無茶苦茶な人ですが……」
 言いかけて、ティラははたと言葉を止めた。
 逆説で止めたはいいが、その先がなかなか浮かばない。
 無茶苦茶な人なんですが、事実無茶苦茶なんです。女癖が悪くて困ります。女装癖がありますけど決して変態じゃないんです。シスコンも度が過ぎてます。
「ああっ、どれも駄目だわ!!」
 突如頭を抱えてしゃがみこんだティラを、フリートは同情のような、憐れみのような、そんな様々な感情が入り混じった複雑な目で見下ろした。だがすぐにこほんと咳払いをすると、ぶつぶつと何事か呟き続けているティラに声をかけた。
「……確かにお前の兄は変だと思うが、別に無茶苦茶とは思わない。おれだって逆の立場だったら同じことをするだろう。昨日は強引に連れていこうとしたりして、済まなかった」
 思わぬ謝罪に、はっとしてティラは顔を上げた。フリートの薄い表情がそれでも精一杯の済まなさをたたえていて、ふとティラは微笑んだ。
「そのことは、もういいわ。でももし悪いと思っているなら、本当のことを教えて下さい」
 だが言葉の終わりには笑みを消して表情を引き締める。フリートもまたいつもの鉄面皮に戻り、淡々とした声を返してきた。
「本当のことをと言われても、おれに教えてやれることはない。おれはただのイリヤ様の護衛だ」
「なんでもいいんです。急がないと、もしこの入れ代わりを知っている者の中にイリヤ様を襲った人がいるなら、危険なのはイリヤ様の方に……」
「それは恐らくないだろう」
 今一番懸念していることをティラが口に出すと、フリートはあっさりとそれを切って捨てた。
「今回の件を知っているのは、昨日の面々の他ではヴァシリー様の忠臣だけだ。ヴァシリー様に取り入ろうとしている者がイリヤ様を狙ってもなんのメリットにもならない」
「でも、内通者がいたら……」
 フリートの落ち着きに、ティラは若干の違和感を感じていた。イリヤは命を狙われていたのだ。不測の事態を懸念して主を案じるのが普通だろう。
「……フリートさん、あなたはやけに落ち着いているんですね」
 疑念をそのまま口に乗せてみると、フリートはこちらに一瞥をくれ、それから無言のまま窓へと近づき、かけたままのカーテンを少し手で寄せた。
「そう見えないかもしれないが、おれは落ち着いてなどいない。こんなこと反対に決まっているし、心配もしているさ。だがイリヤ様が望んだことだから仕方が無い。今回の入れ替わりも、おれを置いていくことも」
「イリヤが……?」
 意外に思ってティラが思わず問い直すと、フリートはこちらを振り向いて頷いた。
「それに、今までイリヤ様を襲った者達のいずれも、本気でイリヤ様を殺そうとしているようには見えなかった。杜撰な侵入をするが引き上げが早く尻尾はつかめない。町でも殺気を放つにとどめている。恐らくはただの脅しだ」
 ティラもまた、窓の外に歩み寄るとフリートの横に立ち、カーテンを上げて窓越しに町を見下ろした。ここからイリヤと兄を見つけられるわけもないのだが、我知らずティラは通りを目で追っていた。
(イリヤは、何を考えているんだろう)
 そんなことを考えていると、ふと視線を感じて隣を向く。その正体など、この部屋にはひとりしかいない。
「……何?」
「何故引き受けた? 最初は気乗りしないように見えた」
 突然の問いかけに、ティラはぱちぱちと瞬きを繰り返した。それからふっと苦笑する。
「しないわ、今も。でも、似ていたから」
「?」
 わからない、という表情のフリートを見上げ、苦笑したままティラは答えた。
「無理して笑顔を作った鏡の向こうの私と、似ていたからです」
 すぐには解らなかったのだろう。フリートの薄い表情の向こうに感情が揺れるまでは時間がかかったが、そのあとでフリートは微かに笑った。だが、それに驚く暇もなく、その笑顔は一瞬にして消え失せる。
「――危ない!」
 何が危ないのか、理解する前に物凄い力で引き寄せられる。結局、何が起きたのかさえ理解できないまま、ティラは目の前の窓硝子が粉々に飛び散るのを呆然と見ているしかなかった。



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