ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 6


「まさか、引き受けるつもりなの? ティラ」
 与えられた部屋に入るなり、兄がそんなことを聞いてくる。
 その質問をひとまずは置いておいて、ティラは部屋の中を見回した。イリヤの部屋とそう大差はない、落ち着いた雰囲気のゲストルームは、手入れが行き届いていて小奇麗だ。ふかふかのベッドに腰掛けると睡魔に誘われ、そのまま倒れこみたい気分になったが、何か言いたげな兄に気付いてティラはその誘惑に逆らった。
「……兄さん、今日は変よ」
 溜息と共に吐き出す。だがその後は続かなかった。言葉にしたことはずっと引っかかっていたことではあるけれど、何が変なのかはっきりとは答えられないからだ。違和感は確かにここにわだかまっているのに。
「ティラだって変だ」
 隣のベッドに腰を下ろし、こちらと向かい合う形で、リゼルはそんな風に返してきた。驚きに、ティラが伏せていた目をリゼルに向ける。
「慎重派のティラが、他国の揉め事に首を突っ込みたがるなんてね」
 苦笑して肩を竦めるリゼルにティラの胸がざわついた。それで、違和感の正体を知る。
 正論なのだ。
 フリートと無茶苦茶な乱闘を繰り広げたまではともかく、それから後のリゼルはやけに大人しかった。いつも滅茶苦茶な兄が、城についてからも比較的まともなことしか言っていない。
「兄さん、何か悪いものでも食べた?」
「?」
「ううん、いいものを食べたのかしら……この場合」
 腕を組んで唸りだしたティラに、リゼルが怪訝な目を向ける。
「だって、兄さんが比較的まともなことしか言わないんだもの。あ、もしかして、フリートさんと戦ったときに頭でも打ったのかしら」
「ティラ……」
 本気で考え込むティラの独り言を聞いて、リゼルがめそめそと涙を流す。それを横目で見て、ティラは安堵したようにふっと息をついた。いい年した男がめそめそ泣くのはどうかと思うが、その方がずっとリゼルらしい。
 ティラは立ち上がると、兄の隣まで歩いていってその隣に腰を下ろした。涙のたまった大きな青い瞳がこちらを向く。晴れた空のような青は、いつも曇ることがない。その瞳に、ティラは問いかけた。
「兄さんは、正義の味方なんでしょう?」
 ふいをつかれたように、リゼルは大きな目をさらに見開いた。それによって零れそうになった涙を手の甲で拭って、それからいつになく真面目な顔をする。
「そうだけど。あのお姫様に似てたのが俺ならいくらでも代わりをするよ。でもティラが利用されるのは嫌だ。それに、俺が側についててやれないんじゃ話にならないでしょ」
「……利用されてるのは私じゃないわよ」
 床に視線を投げ、ティラが呟く。
 だがリゼルはそれを否定した。
「ティラ“だけ”じゃないっていうだけだ。ティラだって関われば利用される」
「だったら」
 リゼルのジャケットを掴み、ティラが強い調子でリゼルに詰め寄る。
「だったら、私とイリヤを守って、兄さん」
 取りすがるティラを、リゼルは少し驚いたように見ていたが――
 その表情を少し固くして――兄の顔になって、リゼルは妹を見つめ返した。
「ティラは、命を狙われるっていうのがどーゆうことか解ってる?」
 はっとしたようにティラはリゼルの服から手を離し、浮かした腰をおろしてまたリゼルの隣に居住まいを正した。床を睨んでしばらく逡巡して、それから小声で、だがはっきりとした言葉を落とす。
「哀しくて辛いことよ。だから助けてあげたいの」
「……そうだね」
 ティラと同じように床に視線を落とし、リゼルも呟いた。そこには赦免の色が込められていて、ティラはほっとした。
 本当は、面倒なことには関わりたくなかった筈だ。兄のせいで厄介続きと昼間嘆いたばかりなのに、今は自分から厄介ごとに首を突っ込もうとしている。おかしなことだと思う反面、そうしたい理由を挙げればきりがなかった。
「私、離れていても、兄さんは必ず守ってくれるって信じてる」
「無茶言うなよ」
「あら、正義の味方ってそういうものでしょ?」
 悪戯っぽい目をした妹に、苦笑を隠して兄は元気に返事をした。そして必ず守ることを心に誓って、苦味のない笑顔を妹に向ける。
「じゃー、ティラが今日も一緒に寝てくれるなら、いいよ」
 満面の笑みで抱きついてくる兄に、ティラは一瞬う、と呻いたが、どうせ嫌だと言って突き放したって昨日みたいに強引にベッドに侵入してくるのだろう。仕方ないわね、と精一杯妥協する振りをしながら、だがティラから零れる笑顔にも苦味はないのだった。

■ □ ■

 同刻、同ヴァニス城離れにて。
 有事に備え、イリヤの部屋の前で控えていたフリートだが、内から主に呼ばれて顔を上げた。
 入ります、と声を掛けて扉を押し開け、そしてその瞬間に、表情のないフリートの顔に明らかなる驚きが揺れた。
「イリヤ様……、」
「自分じゃ上手くできなくて。揃えて下さらないかしら?」
 椅子に座ったままこちらを向くイリヤの長いフェアブロンドは、肩から下が無くなっていた。乱雑に切り落とされて、彼女の足元にただの金糸となって積もっている。驚くフリートとは対照的に、イリヤは他愛無い世間話でもするように話しかけてきた。
「……おれに頼むのは人選ミスではないでしょうか」
「あら、他に頼める人がいて?」
 くす、と可笑しそうにイリヤが笑う。どこか自嘲的な笑みに、フリートは黙って頷いた。満足げにイリヤも頷き、手に持った小刀を置く。
「確かその辺に、鋏がありましたわ」
 イリヤが指し示した場所から鋏を取ると、フリートはイリヤの後ろに立ち、すっかり短くなってしまった金髪を手に取った。
 ――刃物を持った者を背後に立たせるなど、確かに誰にでも任せられることではなかった。しかも、命を狙われていて、それが誰なのかもわかっていない状況だ。本当は誰にだってやらせたくないだろう。小さな肩が少し震えているように見えた。
「おれの事は、信用して下さるのですか」
「今更何を言っているの」
 フリートが慎重に入れた鋏の先から、細かい毛が零れていく。ふわりと流れてきたそれを見て、イリヤは苦笑した。こんなに少しずつ切っていたのでは夜が明けてしまいそうだ。
「……では何故、おれを城に残すのですか」
「それを言ったのはお母様ですわ。でも、妥当だと思います。いきなり髪が短くなって、さらに貴方の姿まで城になかったら、さすがに誤魔化すのは難しいでしょうから」
 しゃきん、と耳元で刃物の合わさる音がする。少し空寒いが、不思議に恐怖はない。
 フリートがそれ以上追求しなかったのでイリヤも黙り込み、しばらく鋏の音だけが部屋に響いた。ふわふわと舞う雪のような金色に無感慨に視線を当てながら、ふとイリヤが呟きを漏らす。
「……信用しているのとは、少し違うかもしれませんわ。ただ、貴方になら殺されても構わないと思うだけです」
 髪と一緒に言葉が舞って落ちる。後ろ向きなのだか前向きなのだかわからない強がりに少し苦笑しながら、フリートはイリヤの後ろ髪を少しずつ丁寧に切りそろえていった。



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