スイート・スイート・パイ

うららかな昼下がり、アトリエの中にはノックの音が響き渡った。等間隔にきっちりと三度。ノックした者の几帳面さが表れている。ともあれその音を受けて、アトリエの扉が開いた。しかし来客は、その扉の向こうに現れた者を見て、しかめっ面に、ほんの少しだが驚きのようなものを見せた。それは恐らく、現れた者が想像していた者と違ったからだろう。出迎えた方は、冷静にそう分析する。
「マスターは今、外出しております」
 冗談かというほどフリルの施された服を着た、表情に乏しい少女が、抑揚のない声で事務的に告げる。それを聞いて、騎士の出で立ちをした青年――ステルクは、腕組みをして「ふむ」と首を捻った。
「今日、依頼の品を受け取りに行くと言ってあったはずだが、何か聞いていないか」
 ステルクの本来の訪ね人――少女が「マスター」と呼ぶ、このアトリエの店主ロロナであるが、彼女は無為に約束を反故にするような人柄ではない。彼女の師ならさもありなんだが。
 今、目の前で無表情に喋る少女は、そのロロナの師が作った人工生命体(ホムンクルス)であり、「ホム」と呼ばれアトリエで手伝いをしている。
「はい、マスターから言伝があります。『すぐに欲しい素材があるから、ちょっと買い物に行ってくるね。すぐに戻るからそう言っておいて』だそうです」
 ロロナの口調はそのままに、抑揚のない声のまま読み上げるのには違和感がある。
 それはともかく、事情はわかったのでステルクは頷いた。
「そういうことなら、私は先に昼食を済ませてくることにしよう。仕事の空き時間に来ているのでな」
「了承しました」
 にこりともせずホムは再び事務的に頷くと、アトリエの扉を閉めた。
 さて、とステルクは職人通りを西へと向かう。勤め先である王宮内にも食堂はあるが、城まで戻ることもないだろう。そう考え、ステルクは職人通りに連なる食堂へと足を向けていた。『サンライズ食堂』と言えばアーランド内でも有名な食事処であり、その美味な食事を求めて城の食堂を使わず、こちらへ通う騎士も少なくない。
 しかし、その扉に手を掛けて――だが、それを押し開けるのは思いとどまる。それは、硝子戸の向こうに見知った顔を見たからであった。
(あれは――)
 カウンターに向かい、店員の少年と楽しげに話しているのは、訪ね人であったロロナその人だった。少年の方とも面識がある。まだ見習いではあるものの、実質この食堂を一人で切り盛りしており、名前は確かイクセルと言ったか。彼はロロナの幼馴染であり、一緒に彼女を護衛したこともある。
 今入っていけば、ロロナは自分が催促に来たと思い、きっと慌てて話を切り上げてしまうだろう。
(……、無粋な真似はやめておくか)
 ロロナに気付かれる前にステルクは踵を返すと、城へと来た道を戻った。
 ――それにしても、イクセルと話すロロナは、本当にいきいきと楽しげな表情をしていた。自分の前では、未だ恐縮しているのかおどおどとしているロロナに、あのような表情を向けられた覚えはステルクにはない。
 それはそうだろう。自分とロロナの歳は一周りほど違う。それよりは、歳の近いイクセルとの方が話は合うに違いない。
 そこまで考えて、ステルクはふとあることに思い当たった。



「あら、ステルク君。浮かない顔してどうしたの」
 ステルクが王宮の食堂で食事をとっていると、不意に背後から声が掛かった。フォークを置いてそちらを振り返ると、明るい茶色の髪をした女性が食事のトレイを手に、にこりと勝気な笑みを見せる。
「エスティ先輩」
「あー、雑務がかさんで昼休み取るのがすっかり遅れちゃった。昼、一緒にいいかしら?」
 答える前に、女性はステルクの向かいに腰を下ろした。彼女はステルクの先輩に当たる王宮騎士で、エスティと言う。
 彼女はトレイを机に移すと、空いた手でだるそうに自分の肩を叩いた。その様子を見て、ステルクが口を開く。
「お疲れ様です。そろそろ互いに無茶できる歳でもなくなってきましたね」
「あのね、ステルク君。女性と口を聞くときの十の規則を今日叩きこんであげるから、職務が終わっても帰らないでね」
「……?」
 口元は笑っているのに、目が全く笑っていないという不思議な笑顔で突然そんなことを言われ、ステルクは顔に疑問符を浮かべた。なぜ彼女がそんなことを言い出したのか、ステルクには皆目見当もつかない。だが、先ほど考えていたことを思い出すと、ステルクは神妙な顔で頷いた。
「……そうですね。ご教授頂くべきかもしれません」
「ん? ずいぶん殊勝なことを言うわね。さてはロロナちゃんと何かあったわね!?」
 スプーンを握り締め、エスティがずいと身を乗り出してくる。先輩に当たる人物に失礼なことは言いたくないが、ステルクにはこの女性の挙動というものがまるで予想もつかず、そして理解できない。
「何故そこで彼女の名が出るんです」
「あら、違うの?」
 しかしそう言われてしまうと、実際ロロナのことであったので、ステルクには何とも返事がしづらい。そんな彼の様子を見て、一度は腰を下ろしたエスティが再び弾かれたようにさっきよりも深く身を乗り出した。
「なーーーーんだ、やっぱりロロナちゃんのことなんじゃない! 何があったの? この先輩に言ってごらんなさい、ほらほら」
 何故そんなにも楽しそうなのか、やはりステルクには理解ができない。しかしながら、他に相談する相手もいないことに思い当たり、ステルクは重い口を開いた。
「いえ。ただ、私はこの通りの朴念仁ゆえ、彼女に対して配慮が足りなかった点が多々あるなと」
「あら、偉いじゃない。自覚することっていいことよ」
 エスティが席に座り、スペシャルミートにフォークを付きたてる。あっさりと肯定されてしまい、ステルクはまだ残っている食事に手をつけられぬまま、深いため息をついた。
「何か手伝えればと考えていたのだが……彼女も年頃だ、私のような者があまり傍にいては、やはり迷惑になるか……」
 それはどちらかといえばエスティに言ったのではなく、ただの独白だったのだが、当然エスティが聞き逃す筈もない。しっかりと聞き届けた後、一瞬の間を置いて――爆笑する。
「せ、先輩? 何故笑うんですか!」
「あっはははははは!! だって!! あはははははは!!! あー駄目だお腹いたいわ」
「人が真剣に悩んでいるというのに、その態度は何ですか!」
「いやいや、だって……うん、ごめん。参考までに、なんでそう考えるに至ったのか聞かせてよ」
 大声で笑うのはやめたにせよ、必死で押さえた口元は笑いを堪えて震えている。そんな彼女の態度は中々に癇に障るが、こうなるとエスティは梃子でも口を割ろうとするだろう。再び込み上げたため息を噛みしめて、自棄気味に食事を再開しつつ、ステルクが再び口を開く。
「……知り合ってそろそろ一年も経とうというのに、未だに彼女はおどおどしてろくに視線も合わせてくれない有様ですし。歳の近い者と一緒の方が彼女も楽かと」
 神妙な顔を装って話を聞いていたエスティだが、その時点で堪え切れずに「ぶーーーっ」と噴き出した。
「ちょっ先輩! ……もういいです! 私は仕事に戻りますから」
 しかめっ面をさらに険しくして、ステルクは皿に残っていたものを全て口に詰め込むと強引にそれを水で流し込み、トレイを持って立ち上がった。
 それを見送りながら、エスティがまだ笑いながら、ミートを頬張る。
「いや~。うんうん、見事に自覚してないのねー。まあそれはロロナちゃんも同じか……。でも、ぷぷぷ、ロロナちゃんのあのおどおどは、明らかに意識してるって感じなのになー、うん。ステルク君、顔も身長も悪くないスペックなのに、そのあたりも自覚ないからなぁ」
 がつがつと見る間にミートを全て平らげると、エスティもトレイを持って立ち上がる。
「あー面白かった。これからしばらくは退屈しないわー。よっし、仕事頑張るか!!」
 ステルクをからかうネタができたと思うと、疲れも吹き飛ぶエスティであった。
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