王国際の次の日は

 12月19日の早朝。
 完成した樽を荷車に積み、ロロナはアーランドの王宮を訪れていた。
「こんな早くから済まない。この時期はなかなか時間が取れなくて」
「いえ、大丈夫です! ちょうどついさっき調合が終わったところですし」
 そう言うロロナの言葉は、寝ていないことを示していた。それに気付き、ステルクが眉を顰める。
「私が言えた義理ではないが、あまり根を詰め過ぎるな。体を壊しては元も子もないぞ」
「そうですよ。ステルクさんに言われたくないです!」
 突如ロロナがぷうっと頬をふくらませる。予想していなかった答えに、ステルクは一瞬たじろいだが、慌てて謝罪を口にした。
「す、済まない。本意でないとは言え、結果として君にこのような過酷な課題を強いている私が君の心配をするなど――」
「ステルクさんこそ、いつものお仕事に王国祭の準備に、わたしの護衛までしてくれて。ちゃんと自分のことも考えなくちゃだめですよ!」
 もごもごと言い訳のようなことを口にするステルクに構わず、ロロナが口を尖らせてそう告げる。その内容にステルクは一瞬きょとんとしたが、すぐに自身の早とちりに気付いた。
 ロロナに王国依頼をやらせていることに引け目のあるステルクは、「言えた義理ではない」ことについてロロナが不快感を抱くのではと危惧していた。しかし、ロロナが気にしたのは専ら「根を詰めるな」という言葉の方だったのである。
 それが分かって、ステルクはふっと頬をゆるめた。
「まさか、君に説教されてしまうとは思わなかった。これではいつもと逆だな」
「そ、そんな、お説教だなんて。私はただ……ステルクさん、大事なこと忘れてるんじゃないかって心配で」
「大事なこと?」
 ロロナの指摘に、ステルクは首を捻った。確かに王国祭の準備にばかり追われていて、その他のことを考える暇がまるでなかった。とはいえ、考えても思い当たる節がステルクにはなかった。護衛の約束でも忘れているのかと思ったが、記憶を辿ってもここしばらく引き受けた覚えはない。
「……やっぱり忘れてるんですね」
 はあ、とロロナがため息をつく。
 しかし、罪悪感にかられたステルクが再び謝罪を口にする前に、ロロナは満面の笑みを浮かべていた。

「ステルクさん、お誕生日、おめでとうございます!!」

 唐突に告げられた祝いの言葉に。
 ステルクは今度こそ、ぽかんとしてロロナを見下ろした。
「……え」
「あ、あれ? 師匠が、ステルクさんのお誕生日は12月19日だって……。はっ、わたし、もしかして騙されました!?」
 常日頃アストリッドに騙され続けているロロナである。
 もしかして師匠のイタズラだったのではと危惧するロロナに、ステルクは慌てて首を横に振った。
「いや、確かに私は12月19日生まれだが」
「な、なあんだ……びっくりした」
「そうか、すっかり忘れていた」
 既に誕生日を祝うような歳でもなければ、祝ってくれるような者もおらず、また毎年この時期はそのようなことに意識を割くような暇もなかった。そのため、ステルクの頭には「誕生日」という概念自体がなかったのである。そのため、一瞬ロロナが何を言っているのかわからなかったのだ。
「わたし、ステルクさんに心配かけないようにしっかりやらなくちゃって思ってたけど……それって結局自分のことばっかりで、いつもわたしの心配してくれてるステルクさんに何もできてなかったなって……。だから、ちゃんとお祝い言いたくて」
「何もできていないなどと、そんなことはない。君がこうして滞りなく課題をこなしてくれるから、私の仕事も随分楽だ」
「だったらわたしも嬉しいです。でも、お仕事でだけじゃなくて……その、えっと、」
 急にしどろもどろになって、ロロナが俯く。そんなロロナをステルクはしばらく不思議そうに見ていたが、城から騎士達が慌ただしく走っていくのを見て、言い難そうに声を上げた。
「済まないが、そろそろ仕事に戻らなければ――」
「あああああの、これ! た、誕生日プレゼントですっ!」
 ロロナの言葉に、ステルクは返しかけた踵を戻した。俯いたままロロナが差し出した包みからは、甘い匂いが漂ってくる。
「お、お店とか見たり何にしようかすごく迷ったんですけど、何なら喜んでくれるかわからなくて、それで、その、パイを作ったんですけど、パイなんて依頼でいつも渡してるだろうって師匠に呆れられちゃったんですけど……! ご、ごめんなさい、ステルクさん忙しいのに!」
 受け取った包みは、この寒空にも関わらず、まだほんのりと温かかった。
 ついさっきまで、寝ないで調合していたのは、恐らくこのパイだったのだろう。
「……ありがとう。おかげで、朝食抜きで仕事せずに済みそうだ」
 振ってきた声に、ロロナが顔を上げる。ステルクの優しい笑顔に、ロロナの不安な表情が溶けていく。
「――はい!」
 満面の笑みで、そう答えた、次の瞬間。
 ロロナの体が、大きく傾いだ。
「――ッ!? おいっ、しっかり――」
 ステルクのそんな声を最後に、ロロナの意識は途絶えた。

 ※

 ロロナが目を覚ましたのは、いい香りがするシーツのかかった、ふわふわのベッドの上だった。
 その寝心地の良さに、思わず二度寝の誘惑に駆られそうになる――が。
「こ、ここどこ――!?」
 寝慣れたソファとはかけ離れた感触に、ロロナはガバリと跳ね起きた。その途端頭に激痛が走る。誰かとぶつかったのに気付いたのは、相手のうめき声が聞こえてきたからだった。
「す、ステルクさん!?」
 自分と同じようにおでこを押さえる相手を見て、ロロナが素っ頓狂な声を上げる。混乱するロロナの目の前で、やがてステルクが顔を上げた。
「……気分はどうだ?」
「え? ええと……おでこが痛い以外は、特に」
「なら、私と同じだな」
 皮肉めいた声に、ロロナが慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! あ、あの……わたし、一体」
「覚えてないのか? 突然倒れたんだぞ」
「あ……」
 ようやく、ロロナは理解した。パイを渡した後、急に気が遠くなったのだ。そして、それからの記憶がない。
 無事王国依頼の品を納品できたことや、悩みぬいたプレゼントでステルクが笑ってくれたこと、それで気が抜けてしまったのだ。
 改めて周囲を見回す。大きなベッドに、上質そうな絨毯。見覚えはないが、恐らく城の一室だろう。そして、窓の外に高く登った太陽を見た瞬間、さーっとロロナの顔から血の気が引いた。
 あの陽の高さを見るに、もうすぐ昼だ。
「あっ……ステルクさん、お仕事……」
「あの状況で、君を置いて仕事に行けるわけがないだろう」
 ベッドの脇にある椅子に腰かけ、ステルクが渋面になって腕組みする。
「全く……依頼で寝てないならまだしも、関係ないものを作って倒れてどうするんだ!」
「は……はい! ごめんなさい!!」
 ステルクのためにと思ってやったことが、結局迷惑をかけてしまった――
 じわりと、ロロナの目に涙がこみあげてくる。
「――だが、お蔭で思わぬ休息を得ることができた。君が倒れていなければ、私が倒れていたかもしれんな。このところ私も不眠不休だったんだ」
 だが、振ってきた言葉に、涙が止まる。
 恐る恐る顔を上げると、ステルクは照れくさそうに視線を逸らし、「オホン」と咳払いをした。
「その……よければ、少し遅いが一緒に朝食でもどうだ? ちょうど、最高級品のパイを貰ったところなんだ」
 涙の滲んだロロナの顔に、みるみるうちに笑顔が広がる

「――はい!」

 窓の外からは、祭の準備で賑わう声が聞こえてくる。
 ――明日は、王国祭だ。
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