王国際の次の日は

 開けっ放しのカーテンから、容赦なく朝日が差し込んでくる。眩しさに目を開けたそのとき、焦げ臭さが鼻をついた。
 途端に、寝ぼけた頭が猛スピードで覚醒する。
「だっ……だめぇー!!」
 床で寝こけていた少女が情けない悲鳴を上げたその瞬間。
 ドンッ! 
 っという、派手な爆発音が、アーランドの職人通りに響き渡った。
 

「うわーん!! あとちょっとで完成だったのにー!!」
「マスターがあとちょっとで寝るからです」
 ススだらけの顔で泣き叫ぶロロナに、ホムが淡々と突っ込みを入れる。
「ひどいよホムちゃん……起こしてくれたって……」
「すみません。もう完成まで間もなく、ホムが手伝うこともありませんでしたので、こなーに餌をあげにいっておりました。グランドマスターも、『あとは猿でもできるから大丈夫だ。行って来い』と許可を」
「ううっ、もういい、もういいよぉ」
 ひっこみかけていたロロナの涙が、再び溢れだす。
 ホムは事実を述べているだけで、皮肉を言っているわけでも責めているわけでもない。そんなことはロロナにもわかっているのだが、わかっているだけに辛かったりする。
 だからといって、いつまでも泣いていたところで仕方がない。
 ロロナは重い腰を上げると、そこらじゅうに散乱したアイテムの破片を集め始めた。ホムも黙ってそれを手伝い始める。
「あーあ、黒こげだよぉ。残ってるアイヒェ、これで全部だったのに」
「しかし、マスター。これだけあれば、もう充分ではないでしょうか?」
 集めた破片をゴミ箱に捨てながら、ホムがアトリエの中を見回した。あまり広くないアトリエの中に、所狭しと樽が転がっている。今期の王国依頼――王国祭を盛り上げるアイテム、である。先月は祝砲を上げるための大砲もいくつか納品していた。
「うん……そうなんだけど、何もしてないのは不安なんだもん」
 素材もまだ残っていたために、あるだけ調合してしまおうとした矢先のことだった。
「だからといって、休息を取らないと、今回のように余計なロスが出ます」
「うぅー……それはそうなんだけど」
 ホムの言はまったくもって正論なのだが、やはり期限が近付くと焦るのである。
 本当にこれで大丈夫なのだろうか? もしかしたら不合格になるのではないか? 結果を聞くまでは、常にそんな懸念が付きまとって、ゆっくり眠れないのである。
 だからといって、調合してうたた寝して失敗しているのでは意味がないのだが。
「失敗しちゃったけど仮眠は取れたし、無駄にしちゃった素材、ティファナさんのお店で買えないかちょっと見てくるね」
 いつもなら自分で採取に行くところだが、もう期限は3日後に迫っている。遠出はできない。かといって、何もせずに過ごすには3日は長い。
 カゴを持ってアトリエを出るロロナを見送り、ホムはまるで人間のようにため息をついた。
「ホムは、しっかり休んで次の依頼に備えた方がいいと思いますが……」
 呟きは、どうやら主には届かなかったようだ。パタンとアトリエの扉が閉まる音に、ホムは箒を手に取ると掃除を再開した。

 ※

 外の空気は、ケープだけでは少し肌寒い。吐き出した息が白く凍り、冬の訪れを告げている。
 しかし、街の様子は寒さなど跳ね飛ばすように活気づいている。王国祭が近いからだろう。あちこちで町民や騎士が走りまわっており、通りは喧騒に包まれていた。まるでもう祭が始まっているようだ。
「みんな忙しそうだなぁ……あ」
 その見慣れた騎士服の中に、見慣れた顔を見つけて、ロロナは小さく声を上げた。声を張り上げて騎士達に指示を飛ばしているのは、ステルクだ。声を掛けようとそちらに足を向けたロロナだが、途中で思いとどまり、踵を返した。
「忙しそうだし、邪魔しちゃダメだよね……。そういえば、去年も忙しそうだったなぁ、ステルクさん」
 あの几帳面なステルクが、課題の結果発表に遅れてくるほどだった。国をあげての祭となると、やはり想像を絶するほど忙しいのだろう。
「……ステルクさんて、騎士の仕事もあるのに、わたしの護衛もしてくれたりするんだよね」
 再び雑貨屋への道を辿りながら、ロロナはステルクのことについて思いを巡らせていた。
 思えば、不甲斐ない自分がちゃんと依頼をこなせるのも、ステルクのお蔭である。最初は満足に課題もこなせず叱られることもあったが、ただ叱るのではなく、どうすればいいかをちゃんと指し示してくれる。ある意味師匠のアストリッドよりよほど師匠らしい。なのでついつい甘えてしまっていたが、ステルクにも自分の仕事があるはずだ。
「うん。やっぱり、ギリギリまで頑張ろう。いつまでもステルクさんに心配かけてちゃダメだしね」
 よしっ、と両手を握って気合いを入れ直し、ロロナは雑貨屋の扉を開けた。

 ※

 どすっ!
 ロロナが下ろしたカゴがそんな重苦しい音を立てる。
 掃除を終えてお茶を入れていたホムと、お茶が入るのを待っていたアストリッドは、一斉に彼女の方を振り返った。
「おいおい、ロロナ。王国依頼の期限までもうそんなに日数ないだろう? そんなにたくさんのアイヒェをどうする気だ」
「期限までまだ3日あります! 3日あればたる7個は作れます!」
「いい心がけだが……急にどうしたんだ」
 釜の上で、ロロナがカゴを勢いよくひっくり返す。買い占めてきたのではと思うほどのアイヒェが、次々に釜に吸い込まれ、水面が青い輝きを放ち始めた。ロロナは答えなかったが、アストリッドは「ニヤッ」とした笑みを浮かべて、口を開く。
「ふむ……ステルケンブルクにいいところを見せようと?」
 井戸水を運んでいたロロナが、がたーんと派手な音を立ててすっ転んだ。水しぶきがかからないよう、アストリッドがマントで顔を覆う。
「な、なな、なななな……」
「図星のリアクションがわかりやすくていいなぁ」
 ホムが無言のまま、雑巾を取りに行く。
「ちちち……違いますよ?! ステルクさん忙しそうだから、心配かけちゃいけないなって思って……!」
「ふむ……それで、あいつの為に依頼をしっかりやろうと思ったわけか」
「そうですよ。だから、邪魔しないで下さいねっ!」
 話している間に、ロロナがぶちまけた水は、ホムが綺麗に掃除していた。ホムに礼を言い、再び桶を手に取ったロロナの耳に、アストリッドのわざとらしいため息が届く。
「しかし、あいつも寂しい男だな……。身を粉にして働いて、贈られるのが樽とはね」
 肩をすくめてアストリッドがそんなことを言い、ロロナははたと動きを止めた。
 自分は、ステルクの為に何かしたいと思っていた筈だ。しかしこれではどうだろう。自分の依頼をしっかりすることでステルクに心配を掛けることはなくなるかもしれないが、自分の依頼をするのは自分の為にしかならない。
(うーん……何か、違うような……)
 考え込むロロナを見て、アストリッドもふと考え込む様相を見せた。しかしすぐにいつもの笑みを貼り付けると、ロロナにこう声を掛けた。
「ロロナ、王国際は何日からか知っているか?」
「え? ……っと、12月20日、ですよね」
 ロロナの答えに、アストリッドは満足そうにうなずいた。そしてそれから、少し勿体をつけるように、おもむろにこう口を開いた。

「では、その前日が何の日か知っているか?」
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