夜明け前 3

 今日は早く起きたと思っていたのに、あっという間に陽は昇るものらしい。宿舎に戻ろうとしていたキュアンだったが、練習場に人が集い始めているのを見て、嘆息した。気がつけば、空もすっかり明るくなっている。
 欠伸をかみ殺しながら練習場へ足を向けると、そこで彼はもう1人の友の姿を見つけた。
「エルトシャン!」
 呼ぶとすぐに彼はこちらを振り返った。
 煌めくフェアゴールドの髪に、抜き身の刃を思わせる切れ長の瞳。世界中の女性の黄色い悲鳴を独り占めしそうな、文句なしの美青年である。
「キュアンか。シグルドは一緒じゃないのか?」
 表情を動かすことなく、あまり感情のこもっていない声で、エルトシャンは答えてきた。およそ愛想というものとは無縁の人物なので、ともすると尊大な態度にも取れてしまうその様は、よくよく争いの種にもなる。だが、本人はそんなものは歯牙にもかけていないので、改善されることもない。だが、シグルドもそうであろうが、キュアンにしても慣れているので改善を望んではいない。むしろ、それが彼らしいと思っている。――いや、シグルドは何も考えてないかもしれないが。
 ともあれ、キュアンはエルトシャンの言葉に言葉を返した。
「さっきまでは一緒だったんだけどね。バイロン卿からの言づてがあるとかで、さっきエスリンと宿舎の方へ」
「ほう、バイロン卿からの。するとやはり帰国するのか」
 エルトシャンの口から出た思ってもない単語を、キュアンは驚きとともに反芻した。
「帰国!? なんでまた……」
「グランベルがイザークに遠征するそうだ」
 初めて耳にする情報に、キュアンは再び驚きに息を呑んだ。だが、すぐに表情からはそれを消す。
「それにしても君は、やけにそういう情報が早いな」
 尊敬なのか揶揄しているのかわからないキュアンの言葉に――エルトシャンは前者と取ったらしかった――金の前髪をかきあげて不敵に笑う。
「ふん。こう見えても俺は一国の王だからな。貴様も王子なら俺を見習え」
 それこそ冗談だか本気だかわからないエルトシャンの言葉に――本人は後者のつもりのようだ――とりあえずキュアンは苦笑したが、その実内心は穏やかではなかった。
「それにしても……、シグルドが帰国かあ」
「貴様は"シグルドが帰国"よりも"エスリンが帰国"の方が一大事なんじゃないのか?」
「まあね」
 あっさりと認めたキュアンに、エルトシャンはフン、と鼻をならした。
「やれやれ。そうするとシグルドだけが永久にひとり者らしいな」
 なぜ"永久"になってしまうかは甚だ疑問だが、それについては触れなかった。シグルドには悪いがキュアンにもそれは解らなくもない。とにかくエルトシャンは、キュアンのことよりもシグルドのこの先の方に興味があるらしい。が。
「って、一応私もまだ独り者なんだがな」
「先が見えていることを考えるほど俺は暇じゃない」
「ほう。ということは、僕の相手は先が見えないということかい?」
 2人の会話に、ふと別の声が闖入する。
「御名答。よくわかったな、シグルド」
「それは少しひどいぞ、エルトシャン」
 苦笑と共に現れたシグルドに、エルトシャンが愉しそうに答える。シグルドは少しも愉しそうではなかった。当たり前だが。
「シグルド、話はもう終わったのか? ……いや、それよりも、帰国するって本当か?」
 そんなやりとりを綺麗に無視してキュアンが勢い込んで尋ねる。これから話そうとしていたことを先回りされて、シグルドは目を丸くした。
「ああ。でもなぜ……」
 わかったんだと聞きかけて、偉そうな態度のエルトシャンに気付く。聞かなくても答えはなんとなく見当がついた。
「エルトシャンに、グランベルがイザークへ遠征するって聞いて」
 やはりな、と胸中で呟く。
「そうだ。来週中にはシアルフィに戻ることになるだろう」
「それは随分と急だな」
 さしものエルトシャンも意外そうな表情になる。一方でキュアンは複雑そうだ。
「来週かあ……」
 ひとり呟くキュアンに、シグルドが声をかける。
「ああ、それで、キュアン。妹のことだけど」
 だがそこまで言いかけて、エルトシャンに頭をはたかれた。
「なんだ」
「鈍感な奴はこういうことに首を突っ込むな。野暮な奴だ」
 憮然と振り返るシグルドをエルトシャンが小声で一蹴する。そんな彼らに、キュアンは怪訝そうな視線を向けた。
「どうしたんだ? 2人共」
「何でもない」
 何か言いたげなシグルド、訝しげなキュアンの両方に対して、有無を言わさぬ口調でエルトシャン。共に釈然としないものが残りつつ、だがシグルドもキュアンもそれ以上は何も言わなかった。――というより、こういうときのエルトシャンに何を言っても無駄なのだ。説得で前言を翻すような男ではない。それがどんなに些細なことでもだ。
 不満げな2人に、エルトシャンは、フッと小さく笑みを零した。
「言ったろ、シグルド。俺は先の見えてることに介入するほど暇人じゃないって」
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