14.



 コツコツと暗闇に二種類の足音が響く。
「しかし、こんな古い遺跡が未だに出てくるとはな」
「しかも生きてたって話だしね。ライゼス君が言ってた魔法の仕掛け、見てみたかったなぁ〜」
 彼らの足元を魔法の光が照らしている。
 漆黒の髪と赤い瞳の男、そして亜麻色の髪と緑の隻眼の男が、軽口をたたきながら歩いていた。時折、合成獣(キメラ)が彼らに飛び掛かって行ったが、彼らはいずれも二人の姿を見ただけで震えて足を止め、飛び掛かっていったものは彼らに触れる前に塵になった。
「コイツらも増える一方だ。まだまだ引退できねーな」
「そうやって君が無茶をしている間は、ぼくも現役でいなくちゃね」
 隻眼の男が、クスッと笑った。酷く整った容貌は、笑うとまるで女性のようである。赤い瞳の男は「頼むぜ」とせせら笑った。
 やがて彼らは行き止まりに辿り着く。

 ――汝、力を望むか?

 どこからともなく聞こえてきた声に、赤い瞳の男は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「嫌なフレーズだな。生憎力は持ってるんだ。テメェを消し去るくらいのね」

 ――お前が……我に終焉を齎す者か。

「そんな大層な者じゃねーよ。ただのトレジャーハンターさ」

 そう言って、彼は慣れた手つきで複雑な印を切った。

『我が御名において命ず。冥界の深奥に住まう冥府の主よ、我が魂を喰らいて出でよ。汝の力で以って、彼の力を、死兆の星の彼方へと還さん。物質消去(ライフ・デリート)

 虚無の黒き霧が、声も、合成獣も、遺跡も、何もかもを飲み込んだ。

■ □ ■ □ ■

 目を開けると、そこはもう闇の中ではなかった。
 開いた窓の傍でカーテンが踊っている。眩しいほどの光に、顔を押さえようとしたが手が動かなかった。
「ティル?」
 呼ばれて視線を向けると、アイスグリーンの瞳をした少女が心配そうにこちらを覗いていた。アッシュブロンドが光を弾き、目を細める。
「よかった……目を覚まさないかと思った……」
 心底ほっとした顔で呟く少女の、名を必死に手繰り寄せる。
「……セラ……?」
 掠れた声で呟くと、彼女の表情は安堵から驚いたようなそれに変わった。
「……大丈夫か? 何があったか覚えてるか?」
 問われて、思考をめぐらそうとするがそれがひどくだるかった。
「なんとなく……俺何か変?」
「いや……いい。それよりラスに礼を言えよ。倒れるまでまでぶっ通しで回復魔法使い続けてたんだぞ」
「ラス……?」
 誰だっけ、とティルは重い頭で思考をめぐらせた。だが思い出そうとするとひどく不愉快な気分になってなかなかうまくいかなかった。
「本当に大丈夫か? 無理せずもう少し休め」
「う、うん……」
 セラが本気で心配そうな表情をして、ティルは再び目を閉じたが、なかなか意識を手放せない。することもなくおぼろげな記憶を引き寄せてみると、ついさっきまで夢を見ていたことを思い出した。
「なんかさっきまで、大きな川の向こうで、母上が手を振ってた気がする……」
「……ティルは、そっちに行きたかったのか?」
 どことなく不満げな声が聞こえてきて、ティルは目を開けるとセラを見上げ、その実際不満げな顔を見て二・三度瞬きをする。そして声を上げて笑った。
「ふっ……あははははは!! うっ傷いてぇ……」
「だ――大丈夫か!? っていうかなんで笑う!?」
「やっと頭はっきりしてきた。わかったよ。俺は公務よりも遺跡よりも母上よりもセラちゃんに興味がないと駄目なわけね」
「そ……そんなことは言ってないだろ!! いや……言ってるかもしれんがそうじゃなくてだな……」
 真っ赤になって否定したあと、ブツブツと言い訳を口にする。しばらくティルはそんなセラを眺めていたが、やがて視線を外すと息を吐いた。何をしようにも体がまるで動かなかった。
「言われなくても、俺はセラちゃんにしか興味ないけど」
「お前はちょっと極端だ……」
 赤い顔のまま、セラは呆れ混じりの声を口にした。
「でも、大丈夫そうで良かった。ほっとしたよ。なんていうかその……私のことがどうこうではなくだな、ティルがらしくないと調子が狂うんだ。私だけじゃなく、多分ラスもな。あ、わかるか? ライゼスのことだ」
「わかってるよ」
 そこはあまり思い出したくなかったけど――という言葉を飲み込んで、ティルは短く答えた。だが思い出してしまったせいで、さらに飲み込もうとしていたことが口を滑って出てしまう。
「でも――正直俺、あんまり自信ないんだよ。セラちゃんのコンヤクシャ」
 どこか遠くを見るような碧眼に、セラは口を開いたが言葉が出なかった。何と言えばいいかわからないでいるうちに時間が過ぎてしまう。結局口にしたのは、本心とは少し違うことだった。
「……私が我儘を言いまくってるんだ。ティルはティルの好きにすればいいよ」
「うん……でも、もうしばらくはここにいる。不愉快だけど、ボーヤに礼、言わなきゃな……」
 セラは微笑むと、手を伸ばしてティルの髪を撫でた。
「ありがとう」
 髪を通して伝わってくるぬくもりは、ティルが求めているものとは少し違う。子供扱いされているようで気恥ずかしさもある。だがそれ以上に心地よくて、安堵する。目を閉じると、そのまま眠りに落ちそうだった。
 ――のだが。
「あのう、二人の世界を邪魔してすみませんが……ティルちゃんの意識が戻ったこと、お医者さんに言わなくていいんですか?」
 不意に割り込んできた声に、ティルは目を開けた。視界にぴょこん、とツインテールが現れて、思い切り吹き出しそうになる。腹圧がかかって傷に響き、涙が出そうになるほどの痛みが体をかけめぐった。
「な……なんでリュナちゃんがいるの?」
「あぁ、忘れてた。遺跡の件でリュナの父上が調査に来ててな。一緒についてきたそうだ」
 セラが咳払いして補足すると、リュナはぷっと頬を膨らませた。
「お姉様に忘れられた……ショック」
「いや、ごめん。そうだ、医者を呼んでくる」
 そそくさと、逃げるようにセラは部屋を出ていった。リュナはそれからもしばらくグスグスといじけていたが、セラの足音が消えてしまうと立ち直り、ティルの方に向き直った。
「ティルちゃんが死にそうって聞いたから来たんですけど。元気そうですね」
「……そう見える?」
 半眼でティルはリュナを見た。指一本動かすこともできないこの状況を見て、どこが元気そうに見えると言うのか――そう言外に問いかけたのだが、リュナは前言を翻さなかった。
「さっきまでは死にそうでしたけど、今はとても元気そうですよ。お姉様はほんといい薬ですね」
「劇薬だけどね……」
「ふふ、それくらいお姉様ラブじゃないとティルちゃんらしくないですよ」
 にこ、とリュナが微笑む。
「あ、それからですね……」
 じっと目を覗き込まれて、ティルはその視線から目を背けた。リュナはマインドソーサラーだ。人の心を視る力に長けている。そんな彼女に見られると落ち着かないのである。
「……ティルちゃんは、ライゼスさんにならなくていいんですよ。ライゼスさんだって、ティルちゃんにはなれないんですから」
 やはり彼女は見透かしている。ティルは憮然として枕に顔をうずめた。
「ほんとリュナちゃんって、何でもお見通しだよね……」
「マインドソーサラーですからね。じゃあねティルちゃん。お大事に」
リュナが手を振り、ティルは枕突っ伏したまま、浅く笑った。