白き村の吸血鬼 3



 その頃、ティルは伯爵の居城の一室で苛立っていた。
 夜明け前に呼びつけられたというのに、夜が明けてもまだ伯爵に会えていないのである。会いたいわけではないが、急に呼んでおいて待たせるとは礼儀知らずも甚だしいと罵られずにはいられない。
 伯爵の城は、古いが手入れが行き届いていてなかなか趣のある城だった。吸血鬼城というとおどろおどろしいものを想像してしまうが、至って普通で貴族の別荘を思わせる。少なくとも、やたらメルヘンな祖国の城よりは好ける、などとティルは思った。
 ただ、出迎えたのが侍女風の女「身を清めてください」と浴室に案内されて、やはり悪趣味に感想を切り替えた。その意味を考えれば果てしなく無意味だと言わざるを得なかったし、そもそも考えたくもない。
「大体、理解に苦しむ。恋焦がれてた女に会うのに、よくそんだけ勿体つけれるよ。……俺なら、セラちゃんがどんだけ泥まみれだろーが血まみれだろーが汗まみれだろーが今すぐ抱き締めたいぞ」
 詮無い独り言を言いながらため息をつく。
凍り付くようなこの寒さの中、湯を用意できるのは凄いと思うし、温まりたいとも思うが、人に覗かれても困るので適当に時間を潰しておく。
 しばらくして人を呼ぶと、さっきとは違う女が出てきて部屋に通され、今に至る。女たちは無機質に要件をこなすだけで、話しかけてきたり、明らかに湯を浴びていないことをつっこんできたりもしない。ありがたいが不気味でもある。
「あー、もうどーでもいいから、さっさと終わらせてセラちゃんに会いたい」
 暇を持て余して、ティルは独り言を続けた。
「セラに会いたい……」
 口を開けばセラの名前ばかり零れる。ここまで依存しているとは正直ティル自身も思っていなかった。これから 黒幕と一線交えるかもしれないというのに、頭はセラのことばかり考えている。
「……ダメだ。狂いそう」
 壁を背にして、力なく床に腰を下ろすと、ティルは膝の上に組んだ両手に頭を埋めて目を閉じた。頭を蝕んでいく、甘く狂わしい思考を放棄するため、眠りに縋りたかった。なのに、それすらも許さないとでもいうように、無情に部屋の扉が叩かれた。
「お待たせしました。伯爵様がお呼びです」
 外から声がかけられて、ティルは仏頂面で顔を上げた。だが扉を開けたときには、笑顔を張り付けている。
「お支度はお済みでしたか?」
「はい。それで私はどちらにいけばよろしいんですの?」
 また違う女だ。さっきの女たちもそうだが、いずれも美女ばかりだった。それが侍女紛いのことをやっていることに、妙な違和感がある。
「ご案内致します」
 歩き出す女のあとに続くと、しばらくして大きな扉に行き当たった。大広間か謁見の間を思わせる、荘厳な扉だ。それを、侍女の細い腕が押し開け、扉を支えたままこちらを向いて頭を垂れた。入れ、ということだろう。
 中に入ると、やはり謁見の間のようだった。元は本当にどこかの王城だったのかもしれない。段の向こうには玉座も見えたが、誰も座っていなかった。入り口とその玉座の中ほどに、窓の方を向いて、男が一人。
「やっと、会いにきてくれたんだね――フィアラ」
 扉の開く気配を感じたのだろう、男がゆっくりとこちらを向く。ゆるく波打つフェアブロンドに青い瞳。二十歳半ばほどの、酷く整った顔をした若い男がこちらを見て笑った。カルヴァート伯爵に相違ないだろう。
(……。美しいかなぁ?)
 伯爵は美しく、歳を取らないという話だったが、ティルは心の中で首を捻った。そもそもティルには男が美しいという感覚がないから全く理解不能である。
 さてなんと答えようかとティルは逡巡した。ティルは母のことをあまり知らない。だからといってあまり焦がれたこともないのだが、母を知るという点においては、この男に興味がなくもなかった。だがフィアラに成りすますには、あまりにもこの男のことを知らない。
「――すみません。わたくし、昔の記憶がないんですの。貴方はわたくしのことをご存知なのですか?」
 自分でも白々しいと思いつつも、思いつく限りでは無難な手を使ってみる。すると、彼は大仰に手を広げ、目を見開いて近づいてきた。芝居がかった仕草が父親を彷彿とさせて、元々高くないテンションが余計に下がる。ちなみに、そのまま抱きつかれでもしたら容赦なく斬るつもりだった。
「おお……フィアラ。私を覚えていないというのか? 私はアレクシス・カルヴァート。君の夫だ」
(夫……? こいつ、母上にフラれたんじゃないのか?)
 ゆっくりと近づいてくる伯爵を、睨みにならないよう努力しながらまじまじと見る。だが良く考えれば、美女を生贄にするような狂った男だ。言うことに信憑性があるとも思えない。話を聞くだけ無駄かもしれないと思いつつ、距離を詰められる前にティルは質問を続けた。
「わたくしが記憶を無くしてから十年以上経ちます。貴方はわたくしの夫にしては若すぎますわ」
「君もだ、フィアラ。君もちっとも変わらない。だから、君に釣り合うようにしただけだ」
 カルヴァートのこちらへ歩み寄るスピードが、少し速まる。それに合わせて、ティルは少し後ずさった。すでに 扉は閉められている。入り口に立ったままだったティルの背が扉にあたるのはすぐだった。
「どうやって」
 最後の質問になるだろう。もうすぐそこまで伯爵が迫っている。ティルはいつでも刀を抜けるように身構えた。 「……すぐに知ることになるよ。だって、君は、フィアラじゃないから」
 一メートルとない距離で、だが伯爵は立ち止まると、ふいにそんなことを言った。その口調と表情は、かまをかけている風でも冗談を言っているようでもなく、彼が確信を得ていることがわかって――ティルは口の端を持ち上げた。
「……どうしてわかった?」
「愚かしい問いだ。私は愛する者を間違えたりしない」
「フン、まともなことも言うんだな」
 笑ったままカルヴァートを睨みつけ、ティルは吐き捨てた。
「……フィアラは俺の母だ。母上に代わって、貴様に引導渡してやるよ」