ティルの選択 4


 それが誰の叫びかわからずに、ティルは困惑した。
 ライゼスが剣を動かしたのと、それに合わせてセデルスが吹っ飛んだのを見て、ようやくそれが彼の声であったのだと気付いた。
「貴様ら全員、ブッッ殺ォォォスッ!!!」
 だが、ティルはその答えを疑いたくなった。疑いたいのは声だけではない。目の前の光景も、疑いたくなるものだった。
 血しぶきをあげながら、次々に黒覆面が薙ぎ倒されていく。その中央に、返り血を浴びながら剣を振り回している恐ろしい姿のライゼスがいた。
「つ……強ぇ〜」
 セラを抱えたまま、ティルが呟く。ぽかんと成り行きを見守っていると、腕の中でセラが微かに呻いた。
「あ、セラちゃん。気がついた?」
「……ティル」
 セラが薄く目を開ける。起き上がろうと彼女はもがいたが、ティルはやんわりとそれを止めた。
「あ、まだ起き上がらない方がいいよ。いろんな意味で」
 少し遠くでライゼスの雄叫びが聞こえる。寝起きの気つけとしては最適かもしれないが、いささか壮絶すぎるのは否めないだろう。止められて、セラは不思議そうにティルを見たが、 その後ほっとしたように微笑んだ。
「良かった……無事で」
「こっちの台詞だよ。もうあんなことしないで。身を挺するのは男の役目だよ」
 大真面目にティルがそう言うと、セラは「ふふっ」と声を上げて笑った。傷は心配なさそうである。
「それより、ティル。セデルス王子は? あの覆面達はどうなった?」
 最も困る質問をされて、ティルは「うーん」と唸った。隠すこともないかもしれないが、信じて貰えるのだろうか。全てを話すことはライゼスの名誉を守ることになるのか汚すことになるのか。
「……俺とボーヤの善戦によりなんとかなったかなーと」
 とりあえず曖昧に言っておく。多少声が白々しくなったし、目も明後日を向いていたが、セラのことだから気にしないだろう。案の定、セラは少し怪訝な顔をしただけで、問い詰めてはこなかった。
「そうか。……ラスは?」
「あー、うーん、えーと、エラルドが怪我したから介抱してるというか」
「うわああああ!!」
 二人の会話は、エラルドの悲鳴に中断された。よく聞けば、ティリオルの悲鳴も混じっている気がする。ティルがそうっと振り向くと、エラルドとティリオルが、剣を振りかざしたライゼスに追い掛け回されていた。周りには、累々と黒覆面たちが倒れ伏している。
(うーん、あの二人のことすっかり忘れてたよ)
 こめかみを軽く押さえながら、ティルは心の中で唸った。だがまあ、元気そうなので良しとする。
「なんだか悲鳴か聞こえるけど……」
「うん、ちょっと怪我が酷いんだよね。でも命に別状ないから大丈夫」
 しゃあしゃあとティルが笑顔で答える。
「そうか。大丈夫だ、じき夜が明ければ、ラスの魔法で治せるだろう」
 実際のところ、そのライゼスに怪我させられそうになっているのだが。
 ほっとこうかと思いつつ、ティリオルはともかくエラルドがあまりに不憫なので、そろそろライゼスの暴走を止めようかとも思う。だがどう止めればいいものやらと考えていると、ふいに悲鳴が止んだ。もう一度振り向くと、バタリとライゼスが倒れているのが見えた。どうやら力尽きたらしい。
「やれやれ」
 ふう、とため息をつく。だが、文字通りようやく一息ついたティルの耳に、馬の蹄の音といななきが聞こえてくる。
 息つく暇もないってか、とティルは誰にとも無く皮肉った。
「……セラちゃん、起きれる?」
 問いかけに頷いたセラに、ティルは手を貸して立たせてやった。
「馬が、こっちに向かっているな」
「ああ、わかってる」
 面倒そうに、ティルは前髪を掻きあげた。
「おそらく、ラディアスだろう」
 その推測は正しかったが、現れたのはラディアスだけではなかった。その後ろに馬車が一台、ラディアスの後を追っている。御者台には二人の男が乗っていた。
「アルシオス、それにセルヴィルス……?」
 空が白み始め、それが誰かを知るのにさほどの苦はなかった。驚きと共にティルが呟き、そのティルの隣でラディアスは馬を降りた。
「護衛隊を編成するつもりだったが、次兄殿が王家の恥を家臣に見せるのは如何かというのでな。身内だけで来ることにしたが、正解だったようだ」
 ラディアスの視線を追うと、倒れたままのセデルスが視界に入った。ついでに、疲労で座り込むエラルドと、気絶したティリオル、ライゼスの顔も見える。だがそれよりティルは、ラディアスの言葉の方が引っかかった。
「護衛隊……?」
 嫌な予感に、問いかけてもラディアスは答えない。読みが外れて欲しいと心底ティルは願ったが、願い空しく馬車の扉が開くと想像通りの人物が姿を現した。
「ち、父上……」
そこから転がるようにして、リルドシア王が姿を現す。
「ティルフィアァ!」
 情けない声を上げながら、彼はこちらに駆け寄ってきた。ティルが「げっ」と小さく呻きを漏らす。だがその他には何もできずに、ふくよかな体をぶよぶよと揺らしながら走ってきたリルドシア王に抱きしめられる。げんなりしながら、ティルは彼の向こうの馬車を見ると、リルドシア王に続き、ディルフレッドを始め、レイオス、フィーリアスと残りの兄弟が降りてきた。一族勢ぞろいである。
「ああ、儂のティルフィアや。無事で良かった。国から出た方が安全だろうと思ったのじゃが、わしが甘かったのじゃ。許しておくれ」
「父上。わかりましたから離して下さいませんか?」
 ティルはげっそりしながら懇願したが、王は聞かない。ひとしきりティルに頬ずりした後で、ようやく倒れているセデルスとエラルド、ティリオルの方へ視線を移した。
「ティリオル! それに、エラルド、セデルス! よくもわしの可愛いティルフィアに手を出してくれたな。我が子とて容赦はせんぞ!」
「あ、エドは……」
 エラルドも一味と勘違いしている王に、慌ててティルフィアが訂正しようとする。だが抗議の声を上げたのはティルだけではなかった。ティルの声に被さって、今まで気を失っていたはずのセデルスが跳ね起きる。
「私達だけではない! そこにいるディルフレッド兄上こそ、一番ティルフィアをつけ狙っていたではないか!!」
「何、誠か!!」
 ディルフレッドを指差してがなりたてるセデルスに、王は勢いよくディルフレッドを振り返った。当のディルフレッドはというと、心外だ、とでもいうように少し肩を竦めて両手を広げた。
「父上、狼藉者の言葉など信用なさらぬよう。どうして私が、可愛い妹であるティルフィアの命を狙わなければいけないのです」
「何を白々しいことを! 兄上が夜な夜な不審人物と会っているのは、周知の事実なんだぞ! 私でなくても、証言できるものはいくらでも居るはずだ!」
「ふむ、それはそうだな」
 セデルスが叫んでいる間は余裕の表情だったディルフレッドだが、レイオスが一言呟いた途端に顔色が変わる。
「ろ、狼藉者の肩を持つつもりか、レイオス!」
「私は誰の肩も持ちませんよ、兄上。私は真実しか述べません」
 それもまた白々しい――などと思いながら、ティルはレイオスを見ていた。成り行きを見守っていたレイオスが、ディルフレッドを切り捨てたのだ。何か算段があるのではないかと思ったところで、ティルの視線にレイオスのそれがぶつかる。
「そろそろ、潮時でしょう、兄上」
 視線をティルで止めたまま、レイオスがいつもの笑顔でそう告げる。
 ティルは兄弟達の観察をやめると俯いた。考え事をしたかったのだが、王が動いたので中断された。
「だ、誰が何をしようと、王位はティルフィアのものじゃ! 城も財産も皆ティルフィアのものじゃ!」
「――お父様。前から申し上げておりますが、わたくしは王位など要りません」
 耐えかねて口を挟んだティルに、リルドシア王は激高した。
「なにを言うのじゃ、ティルフィア!! お前以外に相応しいものなど、この国にはいないというのに!」
 まるで芝居のワンシーンのように大仰に、王が体を震わせて叫び声を上げる。今まで、それこそ幾度となく繰り返してきた会話。王のこの仕草。それは喜劇にも似て滑稽だ。
 ――私は苦痛に感じたことはないよ。
 ティルの頭の奥で、セラの言葉が蘇った。
(俺は苦痛だよ、セラちゃん)
 ティルは認めた。認めなかったのは生きていくため。この喜劇を演じ続けるためだった。
 確かに潮時だ。
 この、何も解っていない壊れた父親を思い切り殴ってやりたい衝動に駆られる。溺愛している娘、その娘も自分を慕っていると信じているのこの父を、張り倒してやったら彼はどんな顔をするだろう。衝動のまま、ティルが拳を握り締めたとき。
「恐れながら、申し上げます」
 セラがティルと王との間に割って入る。
「王、あなたが愛しているのは、姫ですか、それともティルフィア様ですか?」
「……?」
 質問の意図が解らず、ぽかんとする王に、セラは続ける。
「ティルフィア様という一人の人間と向き合ったことが、一度でもありますかと言っているのです。貴方はティルフィア様を、姫だからという理由で愛しているように見えます。だから、誰も彼女をティルフィア様としては見なくなった。そのことがわからないのですか!?」
 当初こそ冷静だったセラ声は、次第に熱を帯びていった。それに気付きながらも、セラ自身にももう止められなかった。感情と共に、言葉が水のように溢れ出していた。
「これが、家族の姿ですか! そんなのは、寂しすぎます!!」
 頬に何かを感じて、ティルは手を顔に当てた。指先が僅かに濡れて、びくりとする。
(俺、泣いてるのか)
 手の甲で、それを乱暴にぬぐうと、ティルは意を決してセラに近づいた。
「……ティル?」
 背中のぬくもりに、セラが首だけで振り返る。
「ありがとう。セラ」
 セラの背中を抱き締めて、ティルは呟いた。
 ずっとどこかで渇望していたことが満たされたから、もう思い残すことはない。――いや、ひとつできた。
 セラから体を離すと、ティルは歩き出した。しばらく歩いて立ち止まり、一同を振り返る。その手には抜き身の刀があった。優雅に一礼して、彼は刃を首にあてがう。
 意図を悟って、セラが、王が、そして見守る王子たちがそれぞれに表情を強張らせる中。

「さよなら」

 彼は一瞬もためらわなかった。当てがわれた刃が大きく引かれ、大輪の花のように血しぶきが舞う。人形のようにコトリと倒れた彼の、煌めく銀髪が見る間に紅へと染まる。
 あまりにあっけない幕引きに、誰もが、王さえも、反応できないままその場に佇んでいた。やがてレイオスがゆっくりと歩み寄り、倒れた姫を覗き込んで、脈を取り、首を横に振る。  ぽつり、と雨が落ちた。夜明けだというのに全く明るくならない空に、リルドシア王の慟哭が吸い込まれていった。