九人の王子 5


 グラリ、と三人の足元が大きく波打つ。
「地震!?」
「いや、これは……」
 セラの叫びを、ライゼスは否定しかけて、話をしている場合ではないことに気が付く。すでに立っていられないほど揺れは強まり、屋内は悲鳴であふれた。ミシミシと木のきしむ音が聞こえ、ライゼスは魔法で扉を吹き飛ばした。このままでは建物の崩壊に巻き込まれる。
「外へ!」
 ライゼスが壊した扉から、三人が転がり出る。その瞬間に、嘘のように揺れは収まった。だが危機は去っていなかった。
「ティル!」
 態勢を崩したまま、セラがティルの体を突き飛ばす。セラの腕をかすめてナイフが地面に突き立った。その間にもナイフは次々と襲い掛かってくる。襲撃者を止めないことにはキリがない。
「ラス、魔法で狙えないか!?」
「八……いや、七秒あれば!」
 その会話を聞いて、ティルが駆け出した。囮になるつもりだとわかって、セラが慌てて後を追う。
「ティル、無茶するな!」
 大通りでは人を巻き込むと判断したのだろう。ティルは人が少ない路地裏に駆け込んでいく。
 ライゼスは迷わずナイフが飛んでくる方向に手を翳していた。判断を迷っては、ティルが身を挺した意味がなくなる。
『光よ! 集いて敵を穿て!』
 きっかり七秒後、光の筋が襲撃者を撃ち抜いた。屋根の上で倒れる人影を目視で確認し、ライゼスもセラ達を追う。その彼の目に飛び込んできたのは、黒い覆面を纏った集団と、ティルを庇うようにしてそれに相対するセラの姿だった。
「誘い込まれましたね」
「すまない。読まれてた。おまけに抜刀できない」
 ティルは右手を押さえており、そこからは血が流れていた。ナイフが刺さったのだろう。
「ボーヤ」
「まだ少し、あなたの敵になるのには早いですね」
 ティルが何を言いたいのか察して、ライゼスは答えた。ティルの敵側だと述べたのは、本当にどうしようもなくなったときには、ライゼスはティルを見捨ててセラを助けるからだ。ティルもそれをわかっていて上等だと返した。
 しかし、それは決してセラの望むところではない。だから、本当に無理だと判断するそのときまでは、ライゼスも諦めるつもりはない。人のいないところに逃げたのは、この際都合が良かった。
「セラ、十三秒稼いで下さい!」
「任せろ!」
 ライゼスが魔法を放つための印を切り始め、セラが黒覆面に向けて足を踏み出す。だがそのとき、激しい蹄の音が聞こえてセラは足を止めた。一台の荷馬車が、裏路地に入る道の手前で急停止する。
「ティア!」
馬車から聞こえた呼び声に、ティルははっとして叫んだ。
「エラルド!?」
聞き覚えのある名に、セラとライゼスがそちらを振り仰ぐ。御者台から銀髪の少年がこちらに向かって手招きしていた。
「早く、こっち! 逃げるから乗って!」
リルドシア王国第八王子エラルド。
今しがたティルが叫んだ名から推察できる人物は、ティルの言では唯一信用できる者のはずだ。
「ティル、行け!」
 ティルはためらったが、怪我をしている以上、ここでまごまごしていては足手まといになる。意を決して走り出したティルを追いかけて黒覆面が動くが、セラの剣がそれを許さない。 「セリエス様、早く!」
身内がいるからだろう、口調は違うが、背後からティルの声がかかる。無事馬車に乗れたことがわかり、セラはほっとした。だがすぐに切り替えて、剣を構える。覆面達の個々の力は御せないほどではない。だがいかんせん数が多すぎる。長期戦になればなるほど分が悪い。
一方馬車に逃れたティルは、別の戦いを繰り広げることとなった。
「エラルド、馬車を出せ!」
「待ってセディ! セリエス様を見捨てる気ですの!?」
「もたついていては、あの覆面達にも馬車に乗り込まれてしまう。彼らは護衛だろう? お前の身の安全が一番の筈だ」
 馬車に乗っていたのはエラルドだけではなかった。第九王子、セデルス。彼はなんでもかんでも理詰めで行動するため、時に冷酷である。一刻も早く馬車を出そうとする彼を、ティルは必死に止めていた。
(アホセデルス。セラちゃんを置いていけるわけねーだろうがっ!)
 そう毒づけないことに苛立ちを感じながら、ティルは傷を押さえていた手を放し、エラルドが馬車を出せないよう彼の腕を押さえた。
「ティア、血が! 早く手当しないと……」
 動転して叫ぶエラルドを、ティルが一喝する。
「いいから、あと二秒待ちなさい!」
「え?」
 その、きっかり二秒後。
『光よ! 我が前に集いて濁濁なるもの焼き祓え!!』
ライゼスの声が高らかに響き、辺り一帯が、凄まじい光の渦に飲み込まれた。

 ごとごとと、野原を横切り馬車が行く。
 フルスピードで通りを駆け抜け、襲撃者たちをやり過ごし、王都を抜けて、ようやく一息ついたところである。ライゼスの魔法でかく乱できたおかげで、その隙にセラとライゼスが馬車へ乗り込むことも、追撃を交わすことも容易にできた。
 その間に、ティルの右手の傷も、ライゼスの回復魔法によって治癒されていた。
「それにしても、君の魔法は凄いね!」
一段落ついたところで、セデルスが感嘆の声をあげる。だが、慌てて咳払いをすると、恥じ入ったように赤面した。
「ああ、不躾にすまない。私はセデルス・レフ=リルドシア。ティア……ティルフィアの一つ上の兄だ。それにしても、ティアの護衛は騎士が一人と思っていたけど。君は?」
 問われて、ライゼスは返答に窮した。だがセデルスがそれを訝しむ前に、ティルが助け舟を出していた。
「彼は護衛ではないの、セディ。護衛の騎士は、そちらのセリエス様。こちらの方はただの旅の方ですわ。昨日も襲われたのですけど、そのときにたまたま通りかかって助けて頂き、それからご厚意で力を貸して下さってますの。――ええと、お名前はなんと言いましたかしら」
 にこり、とティルフィアに笑顔を向けられ、ライゼスは嘆息した。
 フォローを入れてくれたのは有難いが、宿屋の家具を壊したとき然り、よくも次から次へとよどみなく嘘八百並べられるものだ。これは頭が切れるというより才能だろう。
「ラスと言います」
 本当に名前忘れていそうだ――などと思いながら、ライゼスは適当に名乗った。ランドエバー騎士団に籍のある名を使っては、何の拍子に正体がばれるかわからない。ティルが単にこちらの名前を覚えてなかっただけにしろ、本名を紹介されなかったのはこの際有難かった。
ライゼスの自己紹介に継いで、セラもまた頭を下げる。
「今しがた姫君よりご紹介に預かりました、セリエス・ファーストと申します。……私がついていながら姫に傷を負わせてしまい、面目次第もございません」
「そんなかしこまらないで。あの数相手じゃ仕方ないよ。ラスのお蔭で傷も大事なかったんだし、気にすることないさ」
 セラの謝罪に対して軽い声をあげたのは、セデルスではなく御者台にいたエラルドだった。同時にガタンと馬車が止まる。タン、と御者台を降りる音がして間もなく幌が上げられ、短い銀髪の少年が顔を出した。
「この辺で少し休もうよ。自己紹介するならオレも入れて欲しいしね!」
 荷台に手をついて、よっ、と声を上げながら上ってきた彼は、ティルと同じ碧眼に人懐こい笑顔を浮かべた。エラルドが荷台に上がったのを見て、ティルが「まあ」とわざとらしい声を響かせる。
「エド、ごめんなさい。貴方のこと忘れてましたわ」
 エラルドの顔を見るなり、ティルフィアが詫びる。ライゼスなどはどうしてもティルの姫演技が白々しくてならないのだが、ティルの正体を知らないはずのエラルドもまた、似たような感想を持ったようだ。
「白々しいぞ、ティア。ああ、カッコイイ騎士様がいるから猫被ってるんだな?」
 エラルドが茶化す。ティルが女でないことまでは知らないにしても、性格は熟知しているらしい。
「ええと、セリエス、だっけ? こいつの見た目に騙されちゃダメだよ。中身は見た目ほど可愛くないからね」
「まあ、失礼。それに、セリエス様に対して馴れ馴れしいですわ」
 アンタに言われたら終わりだろう、とライゼスは胸中で毒づいた。
「妬くなよ、ティア。ええと君は、ラス……だったよね? 話は大体聞こえていたんだ」
 ティルの恨みがましい声はさらりと流して、エラルドはライゼスにも目を向けた。本当に気さくな人だと思いながら、はい、とライゼスが返事を返す。
「オレのことはエドでいいよ」
「――いい加減にしろ、エラルド」
 にこやかに言うエラルドを、ふいにセデルスの固い声が遮った。
「たかが騎士やどこの馬の骨とも知らぬ旅人に愛称で呼ばせるなど、お前は良くともリルドシア王家の名を貶めることになる」
 セデルスの言葉に、和んでいた空気が一変する。
 知らぬとはいえ、同じ王家の人間であるセラを『たかが騎士』呼ばわりされるのはライゼスにしてみればあまりいい気はしないし、セラは王家以外の人間を見下しているような言い方が気になった。ティルにしても似たようなものだ。
「あんま細かいこというなよ。オヤジみたいに禿げちまうぞ」
 エラルドだけがさほど気に留めた風でもなく、茶化して話を流した。
「それよりも、エド。この馬車はどうしたんですの? それに、貴方が馬車を扱えるなんて。そもそもどうしてわたくしの居場所が?」
 そのまま完全に話を流してしまうべく、ティルフィアは話を変えた。それを知ってか知らずか、エラルドもすぐに答えを返してくる。
「馬車はね、アルス兄と親しくしてる商人のおっさんから借りたんだ。前に二人でおっさんから馬の扱いを教えてもらったことがあったんだ。今朝になってお前が留学するって話聞いてさ。そのあとすぐ港の封鎖だろ。色々よくない噂も聞くし、こいつでお前を送ってやろうと思って探してたんだよ」
 ティルの質問に、エラルドは順を追って答えた。なるほど、というように、ティルが頷いてみせる。そして、
「アルスというのは、アルシオス兄様のことですわ。三番目の兄で、エドみたいにとても気さくな方ですの」
 セラとライゼスに対して補足した。が、その後すぐに気になることを思い出して、ティルは笑みを消した。
「そういえば、さっきの地震。あれ、変でしたわよね?」
「地震? 地震なんてあったっけ?」
 そうと知っていたわけではないだろうが、ティルの違和感を裏付けるような言葉をエラルドが言う。
「……あれは魔法です」
 本当はあまり目立ちたくないライゼスだったが、他にあの地震の正体を暴けるものはいないだろう。思ったとおり皆の視線が自分に集中して、ライゼスは胸の中だけで嘆息した。
「魔法? では、敵に魔法を使う者がいるというのか?」
「そうだとすると一つ懸念すべき点があります」
 気になっていたことを言うべく、ライゼスはそう続けた。自分の考えが正しければ、一刻も早くそれを伝える必要があった。
「これはあくまで仮説ですが。人は皆大なり小なり魔力を持っていて、魔法に精通する者はそれを感知することができます。この魔力の質というのは人によってそう差のあるものではないので、それによって個人を識別することは本来ならできないんですが、稀に特徴的な魔力を持つ者がいるんです。多分……ティルフィア姫もそうじゃないかと」
 聞き覚えのある話に、セラがはっとしてライゼスの方を見る。ライゼスも察したらしく、頷きを返してみせた。リルドシアに向かう船の中で、ライゼスはセラの居場所の見当がつくと言っていたが、それと同じ原理なのだろう。
「だが、何故仮説になる? ティアの魔力が特異なものかどうか、君なら断定できるんじゃないか?」
 声を上げたのはセデルスだが、他の面々も大体同じ疑問を持ったらしい。再び視線が集まって、仕方なくライゼスは口を開いた。
「残念ながら、私は光の魔法しか使えません。恐らく姫の魔力とは属性が異なるのでしょう、私には関知できないのです。しかし敵が親族なら、同じ可能性は高いでしょう」
 極力簡単に説明して、今度こそライゼスは口を噤んだ。もう最後まで言わずとも、何を懸念しているのか彼ならばわかっているだろう。
「つまり、一族に魔法を使う者がいれば――わたくしの居場所は筒抜けということですわね」
 的確な答えを返したティルにライゼスが頷き、一同の面持ちに緊張が走った。