1.



「お呼びでしょうか、父上?」
 呼び付けた娘が謁見の間に現れたのを見て、ランドエバー国王アルフェスは、思わず額に手を当てると重い息を吐いた。
 一人娘であるセリエラは、今年十八になる。本来なら嫁いでいておかしくない年頃だ。だのに、このセリエラといえば、未だ王城内でも少年のような軽装をし、暇さえあれば兵士を相手に剣を振りまわしている。
 そんなことは今に始まったことでなく、気にするのは酷く今更ではあったが、今から言わんとしていることの内容を考えれば不安がつきまとって、思わずため息が零れたのであった。
「……セラ。ドレスを着ろとまでは言わないけれど、そろそろ少しは身なりを気にしないか?」
「まるで母上や元老院のようなことを言うのですね。どうかされたのですか、父上」
 意にも介さない様子で応えてくるところを見ると、改める気はなさそうである。彼女に気取られぬようもう一度ため息をついてから、彼は謁見の間の入り口の方へと視線を伸ばした。呼び付けているのは彼女だけではない。
 それからすぐに扉が開く音がして、セラもそちらを振り返る。現れたのは金色の髪にリラの花弁のような紫の瞳をした、どこか幼さを残す少年と、眩い銀髪をした、世にも美しい美少女だ。金髪の少年は、セラが幼い頃から彼女の側近を務めるライゼス・レゼクトラ。そして銀髪の方は、どこからどう見ても美少女であるが、実際の性別は男である。国の事情で十七年姫として育てられた遠国の王子、ティルフィアである。尤も、姫としての身分を捨てた今、現在はティルと名を改めている。
 その二人が入室して膝を折ったのを見、セラは嬉々として父王の方に向き直った。この面子で呼ばれるということは――、その事象からセラがある期待をしていることを見透かして、アルフェスは苦笑しながら口を開いた。
「残念ながら、任務ではないよ」
 セラは姫でありながら、騎士となることが幼い頃よりの夢だった。とはいえ王家の一人娘であるセラが危険を冒すことに周囲が良い顔をするわけもない。それでもセラは諦めず、ライゼスの取りなしもあって、当時八つの部隊にて構成されていたランドエバー騎士団に第九部隊という事実上セラを隔離するだけの異色部隊ができた。この第九部隊に任務はないが、ごく稀に他の部隊ではこなすことのできない依頼が舞い込むことがある。この部隊の面子がセラ、ライゼス、ティルの三名、そしてその三名が国王に呼び付けられたことにより、セラは任務を期待したのである。
 だがあっさりと否定されて、セラが肩を落としたのは言うまでもない。そのあまりの落胆っぷりに、思わずアルフェスは補足を加えた。
「いや、厳密には任務でないが、頼みたいことがあるのは同じだ。だからまあ、任務と取って貰っても――」
「陛下」
 慌てるアルフェスに、ライゼスが聞えよがしに咳払いをする。任務に出ては厄介事に巻き込まれたこれまでを振り返ると、任務であろうがなかろうが、セラには大人しくしていてもらいたいというのが、側近であるライゼスの本音である。
 それも重々承知しているアルフェスは、乗り出しかけた身を玉座に鎮め、困り顔をした。
「恐れながら、その頼みごとというのは、何なのでしょう」
 見かねてティルが助け舟を出し、ようやくアルフェスは本題に入った。
「うん……、今や、このリルステル大陸のほとんどを我が国が占めているのは皆も知っていることだと思う。その弊害でもあるが、私が全てに目を行きとどかせる、というのは事実上不可能だ」
 肘かけに手を掛け、思案するように指先をとんとんと打ちつけながら、実際アルフェスは思案顔になった。
 今現在、ランドエバーがあるリルステル大陸は、ランドエバーとスティン王国でほぼ二分されている状態だ。少し前までは、自由都市レアノルトをはじめ、国に属さない自治都市軍や、小さいながらも他に国家は存在した。だが十八年前、南方の小国ブレイズベルクが起こした戦乱により、二大強国以外の国は全て滅んでしまった。そのブレイズベルグをランドエバーが制したことにより、思わぬ領地拡大を招いたのである。
「それもあり、基本的にはそれぞれの統治は、その土地の者に任せているのが現状だが。なかなかここを動けない私に代わり、普段はミラが視察に行ってくれたり、茶会を開いてくれたり、彼らとの関係を友好に保つためこまごまと補佐をしてくれていた。その関係で、明日も旧ブレイズベルク領の領主に招かれていていたのだがな――」
 そこでふとアルフェスの表情が沈む。ミラとは彼の妻で、ひいてはランドエバー王妃、つまるところセラの母である。父の表情に不穏なものを感じて、セラが言葉を挟む。
「母上に何か?」
「いや……本人は大したことがないと言い張るんだが、昨夜から体調が優れなくてね」
「それは……存じませんでした」
「すまない、お前達に心配を掛けたくないからと口止めされていたんだ。実際、安静にさえしていれば大事には至らないと思うんだが……」
 珍しくセラが動揺を浮かべ、ライゼスやティルの表情も心配そうに翳ったのを見て、慌ててアルフェスはそう付け足した。だがその表情はほとほと困り果てた、という風で、それを見てライゼスが口を挟んだ。
「妃殿下なら、梃子でもお出かけになるでしょうね」
 ランドエバー王妃ミルディンは、おっとりしているようでいて、酷く頑固なところがある。セラの鉄砲玉も彼女譲りと囁かれるのは、当然ライゼスの耳にも入っている。
 そんなライゼスの言に、アルフェスは困り顔のまま深く頷いた。
「そうなんだ。それで相談なんだが……」
「私が母上の代理として、ブレイズベルクに向かえばよいのですね?」
 事情を飲み込んだセラが、今にも謁見の間を飛び出して行きそうなのを見て、慌ててアルフェスは声を上げた。
「ちょっと待て、セラ」
「はい、ちゃんと母上を見舞って、説得してから行きます」
「そうじゃない。だから言っただろう、これは任務ではないと。公務なのだから、正装に決まっているだろう」
 頭を抱えながらアルフェスが呻くと、セラはとても嫌そうな顔をした。
「ラス、ティル、頼む、セラをフォローしてやってくれ」
 だがそう振られれば、正直ライゼスも嫌な顔の一つもしたくなった。セラのフォローをするのは構わないが、だとしたらティルには同行を遠慮して頂きたいのがライゼスの本音である。何しろセラにべた惚れしているティルは、暇さえあればセラにまとわりついて、うっとうしいことこの上ないのだ。だがアルフェスはティルのそんな一面を知らないし、自分の我儘でこれ以上心労をかけるのは気が引けた。
 そんな内情は、セラもアルフェスも知る由もないだろう。それを一番知っているのはおそらく、当人のティルだ。ちらりと彼に一瞥され余計に苛立ったが、仕方なくライゼスは了承の返事をすべく口を開いた。
 だが、そんな彼の気遣いは、次の瞬間木端微塵と化すのだった。
「お待ち下さい、陛下!」
 扉の開く音、そして場に響いた声に、ライゼスは胃痛と共に返事を飲み込むしかなかった。
 振り向いた面々の前にずかずかと歩み寄ってきたのは、親衛隊プリンセスガード隊長、リーゼア・レゼクトラ――、現騎士隊長の娘であり、ライゼスの妹である。