1 セラとライゼス


 昼下がりの市場は、ちょっとした祭りのような賑わいを見せていた。昨日まで続いた長雨が、今朝上がったのである。大通りにはずらりと出店が立ち並び、たちまち人々が群がった。その様子をきょろきょろと見回しながら、石畳を歩く者の姿があった。頭からすっぽりとフードつきのマントを被っていて、歳も性別もはっきりしないが、腰から覗く立派な剣と補強された頑丈なブーツは、旅の冒険者を思わせる。
「ちょっと、兄ちゃん! そこ行く冒険者の兄ちゃん!」
喧噪の中でもよく通る大きな声に、マント姿の旅人が立ち止まる。
「私のことか?」
「他に誰がいるんだね」
 声を掛けてきたのは、刀剣類の出店の主人だ。彼が呆れたような声で答えたのは、辺りには女性客しかいないからである。旅人が足を止めたのも、それに気が付いたからだった。
 女性しかいないのは、この辺一帯が装飾具の出店に偏っているからだろう。
「どうして、こんな装飾具店ばかりのところで武器を?」
 旅人の声は揶揄する色を含んでいなかったが、主人は「皮肉かい?」と苦笑した。
「出遅れちまってね。場所が取れただけでもよしさ」
 若い女のキャアキャアという姦しい声が終始耐えず耳につく。この雰囲気に近づこうと思う旅人や冒険者は少ないだろう。
「どうだい兄ちゃん。これも縁だ。何か買っていかないか?」
「生憎だが、剣は間に合ってるんだ」
 旅人が腰の剣に触れる。主人はそれをちらりと眺め、そして目を細めた。人のよい主人から、一瞬で商売人の顔つきになった主人に、旅人も笑みを消す。
「よく使い込んでるね。それよりもアンタの手に合う業物は、確かにウチにはなさそうだ」
「……どうも」
 こちらの得物の価値と力量を見抜いた風な口調に気圧されそうになりながら、旅人が短い謝辞を口にする。
「それはそうと、ナイフはどうだい? 旅には何かと役立つ。リンゴの皮もこの通りだ」
 ガラッと口調を変え、主人はどこからともなく取り出したリンゴを、これまたいつの間にか手にしたナイフでシュルシュルと剥いてみせた。
「今ならリンゴもおまけにつけるよ」
「ナイフも足りてる」
「ならリンゴはどうだい。このためにわざわざ仕入れた新鮮なリンゴさ」
 主人は諦めない。麻袋からリンゴを覗かせた彼に、ついに旅人は折れた。
「負けたよ。じゃあリンゴをひとつもらおうかな」
「毎度あり!」
 商売人の声かけに、迂闊に答えるものではない。そんな教訓を得てフードの下で苦笑しながら、旅人はリンゴを受け取った。

 精鋭の騎士団で知られる、軍事大国ランドエバー。
 市場が立ち並ぶこの通りは、その城下町である。しかし戦乱の時代が明けて平和が訪れた今となっては、軍事大国という物々しい肩書きもそぐわなくなっていた。
騎士団は専ら自衛と治安維持にその力を発揮し、治安が良く住みやすいと言われるこの国は、広い領土に余すこと無い人口も有している。それだけに、城下町の賑わいもひとしおだ。
 それでも市場を抜けると、人の波は次第に引いていった。
 人ごみを抜けると、旅人はフードを払った。尻尾のように束ねたアッシュブロンドがばさりと落ちる。翠の瞳は切れ長で凛々しい風貌をしている。歳はまだ若い。
「そういえば、昼食べてなかったな」
 先ほど買ったリンゴに目を向け、若者は呟いた。
成り行きで買ったものではあるが、大振りで実に旨そうである。早速皮を服で擦って思い切りかじりつくと、程よい酸味と甘味が口に広がった。
だがふと気配を感じて、二口目をためらう。
(やはり、尾行されている――か)
ため息を噛み殺して、何事もなかったかのように再びリンゴをかじる。市場に入った辺りから視線は感じていたのだが、あまりに人が多かったために断定はできなかったのである。
リンゴを食べ終えて芯を放ると、彼はくるりと踵を返して路地裏へ入った。