クリスマス編

(2011年12月掲載)



 12月24日。
 この16年、俺に何の関係もなかった日だ。何の日かと聞かれれば、俺は終業式だと答えていた。
 だが、今年は違う。聞かれたなら、俺は胸を張って答えようじゃないか。

 クリスマス・イヴだと。

 ……と、12月に入ってから、俺は妙に燃えていた。毎年耳触りなクリスマスソングも、今年は聞いてて全く飽きない。
 いや別に、彼女がいないからって僻んでいるわけではないが、毎年この時期はケーキを売るバイトをしているので、一日聞いてりゃ耳にも触る。
 だけどそもそも、今年はバイトをする必要がない。
 一緒にいたい人と一緒にいられるから。
 そんなわけで今月入って浮かれ続けていた俺は、友人全員から「うざい」と殴られる洗礼を受けつつも、そんなことも全くと言っていいほど気にならなかった。
 そうやって、少し浮かれ過ぎたのか。
 24日、終業式の朝、俺は39度越えの熱で苦しんでいた。
 高熱で粥すらマトモに食えない俺にケーキなどは縁遠い食物で、眠ることもままならずに唸りながら寝がえりを繰り返す。
 けれど、頭にひやりとした感触を感じて、俺は朦朧としながら重いまぶたを開けた。
「大丈夫か、咲良?」
 はっきりしない視界に、おぼろげな人影が映り込む。
 病院に行って、寝たり起きたりを繰り返している間に、すっかり部屋の中は暗くなってしまっていた。そんな暗闇に溶けてしまいそうな、長い黒髪と黒一色の服。深い青の瞳さえ、今は闇色にしか見えない。でもそれが誰かは声で解る。
「……ありがと……」
 掠れ切った声で礼を言うと、彼女が微笑んだのが気配で解った。
 6時間連続冷却なんて嘘だろうっていう貼るタイプのアレは既に温くなっていて、冷えたタオルは気持ちいい。それで顔を拭うと、少しだけ苦しさが遠のいたので、俺は半日ぶりに体を起こした。
「起き上がらない方がいい」
「大丈夫。多少楽だから。寝っぱなしで体痛いし」
 そう言って、目の前に下がった紐を引いて電気をつける。横着な俺は、寝転がったままで電気が消せるように、超長い紐を結んでいるのである。
 暗闇に慣れていた目がちかちかするが、それが落ちつくと心配そうなエドワードの顔が視界に入った。……めちゃくちゃ、至近距離で。
「まだだいぶ熱い。無理をするな」
 俺の額に自分のそれを触れさせて、エドワードが囁く。
「…………余計上がるよ」
 事実頭が爆発しそうだ。電気を点けたのだって、顔が見たかったから――というのは言えそうにないけど。
 熱いのは病気の所為だけではないと正直に告げると、エドワードはくすりと笑った。
「なら、離れていた方がいいな」
 けれど、いざそう言われて彼女の頭が離れると、それはそれでちょっとがっかりする。
「…………それは嫌かも」
「我儘だな」
 自覚しています。
 熱でだいぶ頭がおかしくなっているようだ。恥ずかしくなって、もう一度タオルを顔に当てる。けれどそれは次の瞬間ぼとりと落ちた。
「……覚えているか? 君がヴァルグランドに来たばかりのときも、今みたいに熱を出した」
 俺を両手で抱きしめながら、エドワードが耳元でそんなことを言う。
 ……もちろん覚えている。ヴァルグランドには暖房器具がなくて、毛布一枚で寒気に震えていた俺を、今みたいに……傍で温めてくれた。
「う――うん。でも、その、やっぱ、うつるから。あんまり近づかない方が」
「そんなにヤワじゃないと言った筈だが? あのときも一晩中傍にいたけど、うつらなかった」
 本当に。環境の違いは体にかなり負担がかかる筈だ。現に俺も、向こうにいってすぐ体調を崩したわけだし。
 なのに、エドワードはこちらに来ても一度も体調を崩さない。
 ……いや。ほんとうは不調なこともあったんじゃないかと思うけど。あったとしても、彼女はそれを表に出しはしないんだろう。それに比べ、俺は身も心もヤワヤワだ。
「……俺、幼稚園の頃からこうなんだよね。運動会とか遠足とかあると、楽しみにしすぎて熱出すっつーか……」
「……? よくわからないが、今日何かあったのか?」
 問われて俺は焦った。
 そりゃあ、異世界の住人であるエドワードがクリスマスを知っているわけもなく。
 いよいよ、一人で勝手に舞い上がっていただけの自分が本当に馬鹿みたいに思えてくる。
「そういえば、今日は外がなんだかキラキラしている。食事も豪華だったし、ケーキも食べた。やはり、何かの祭りだったのだな」
 耳を澄ましてみれば、リビングからは母さんと姉ちゃんの談笑が聞こえてくる。
 窓の外に目を向けると、いたるところでイルミネーションが輝いていた。
 きっと、今頃あのイルミネーションの周りは、カップルで溢れていることだろう。
「祭りというか……、まぁ、よその国の神様の誕生日で、本来この国にはあんまし関係ないことなんだけどね」
 しかし、宗教が強い意味を持つ国にいたエドワードには、この国のカオスっぷりは理解できないだろうな。何故、他の宗教の祝い事で恋人たちが盛り上がるのかと言われれば、俺だってさっぱりわからない。
 案の定、エドワードは驚きを隠せない顔で俺を見た。
「この国の者は、よその神が生まれた日を祝うのか?」
「うんまあ……、ここはちょっとこの世界でも変わってるっていうか……」
 こんだけ色んな宗教が混在してる国は、地球上でも珍しい気がする。
 エドワードは俺から離れると、立ち上がって窓の方へと歩み寄った。そして、開けっ放しのカーテンの向こうの、イルミネーションをじっと見つめる。
「……ここは、本当に豊かで素晴らしい国だな。ヴァルグランドでは、いやおそらく周辺諸国も、他の宗教の存在を肯定することは決してない。そんなことが明るみに出れば、異端裁判で罰せられるだろう」
「ん……まぁ、この国にもそんな時代はあったし、そんな素晴らしいことでもないような……。むしろ、そんな世界に生きていて、この国を素晴らしいと思えるエドワードの方が凄いと思うよ」
 素直な感想を述べると、エドワードは俺を振り返って、少し複雑そうな顔をした。
「私は、異端者だから」
「ここでは別に異端じゃないよ。俺が特別なわけじゃなくて、今のこの国の人なら大体の人がそれが異端だなんて思わない。逆に十七歳の女の子が戦争することの方が倫理的に許されないよ」
「……そうだとしても、それが通用しない世界で、倫理の為に命を懸けられる人間なんてそうそういないさ」
「いや、俺は別に……、倫理がどうとか考えてたわけじゃないし、あの世界の為にやったわけでもないし……」
 重ね重ね、向こうでも言っていたことだけど、俺はそんな立派な人間じゃない。
 あんな無謀なことを命懸けでやれたのは、全部――
「なら、何のために?」
 俺のすぐ傍まで戻って膝を付き、エドワードがそんなことを聞いてくる。
 そんなの分り切ってるけれど、俺は彼女を直視できなくて視線を外した。そんな俺を見て、エドワードがくすりと笑う。
「……聞かなくても、知ってるんじゃん……」
 そんな彼女の笑い方に、俺は思わず恨みがましい声で呟いてしまう。
 外した視線の先で、白いイルミネーションが連なって輝いていた。
 ……言わなくたって、すぐ顔に出る俺の気持ちなんてずっと前から彼女は解ってるんだろうけど。だからって言わなくていいっていうのは甘えだろう。
 正しい祝い方じゃなくても、日本中の恋人が幸せな気持ちになるなら、神様だって悪いようには思わないんじゃないだろうか。っていうのは、俺の勝手な考えだけど、俺もこの日に少しだけ勇気をわけて貰うことにする。
 彼女の群青色の瞳に視線を戻して、俺は大きく息を吸った。
「エドワードが……好きだから、だよ」
 その割にはぼそぼそとしか言えなかったが、それでも誤魔化さずにはっきり答える。
 エドワードは驚いたように二、三度瞬きをしてから、一瞬だけ俯いて、だけどすぐに俺を見てふっと微笑んだ。
「知ってる」
「…………あ、そう……」
 拍子抜けする俺を見てくすくすとエドワードが笑う。……結局からかわれただけかと気落ちする反面、なんだか俺も笑えてきてしまう。
 一緒にケーキも食べられなかったしデートもできなかったけど、なんだかもうそんなことはどうでもいいや。一緒にいたい人と一緒に居られた。それだけで充分だ。
「……だいぶ顔色が良くなったな。今日はゆっくり休め」
 そう言って、エドワードが電気の紐を引く。彼女の姿が闇に沈むと、楽になっていた呼吸がまた息苦しくなった気がした。
 けれど、ヴァルグランドにいたときみたいに、一緒に寝るってわけにもいかない。
「そんな寂しそうな顔をするな。行けなくなるじゃないか」
 ……そういう顔をした自覚はあるけど。なんで、この暗闇の中で、俺の表情が分かるんだ。
 そんな風に思った俺の心中までをも見透かしたように、エドワードはまた、くすくす笑った。
「……ケーキ、取っておくから。明日、一緒に食べよう」
「俺の分もエドワードが食べていいよ。明日までに治らなそうだし」
 不貞腐れた俺の声に、立ち上がったエドワードが、また座った気配がした。
「なら、早く治るまじないをしよう」
 両頬に、冷やりとした感覚が伝わる。その頃には暗闇に目もなれて、月明かりとイルミネーションだけで十分に、エドワードの顔が見える。その両手が、俺の両方に添えられているのも。
 そして、彼女がそっと、顔を近づけるのも。
「……ッ」
 俺がしようとすると、必ず邪魔が入るのに。
 不意打ちのキスは本当に、ほんの一瞬触れただけのものだったけど、俺の思考能力を奪うのには充分で。それだけで動作不能になった俺に、まだふとした表紙に唇が触れてしまいそうなほどの距離で、エドワードが囁きかける。
「明日治ったら、続きをしよう」
 そして、今度こそエドワードは立ち上がった。
「おやすみ」
 振り返ってそう一言微笑み、颯爽と彼女が出て行ってしまってからも、俺はぼうっと固まったまま動けなかった。
 例えどれだけ修行しようが、永遠に彼女に勝てる気がしない。あれよりどう男前になればいいんだ。
 そして何より……、あれの続きって…………何だ?
 なんて反則的なまじないだ。明日までには何が何でも治らないといけなくなったじゃないか。
 そんなわけで俺は固まったまま、ぼふりと仰向けに布団に倒れたのだった。