ホワイトデー(現代編)

(※エドワード視点 2012年3月掲載)



「どうかしたの? エドちゃん」
 キッチンに入ってきた楓さんがそんなことを言ったのは、私がボウルを睨みながら唸っていたからだろう。
 ちなみに楓さんが来る前から、かれこれ十分ほどそんな状態だ。
「もしかしてお菓子作ってるの? わぁ、エドちゃんお菓子作るの上手だから楽しみー」
「あ、これは……」
「そういえばこないだは代わりに作ってくれてありがとね! またよろしく!」
「でも、それは……」
 楓さんはにこにこと楽しそうに喋るが、私は歯切れの悪い言葉しか返せない。
 今作っているのは咲良に渡そうと思っていたものだし、私は作れと言われればいくらでも作るが、それも咲良に駄目と言われてしまったし。これを楓さんに渡したり、代わりに作ったりしたら、また怒られてしまう。いや、怒られはしないか。しょげられる。それはそれで可愛いんだが。
「何? もしかして迷惑だった?」
「いえ、そんなことは。ただ……」
「ただ?」
 ……本当のことを言ったら、咲良は多分嫌がるだろうな。
 適当にはぐらかしてみてもいいが、楓さんは多分納得しないだろう。そもそも咲良が作るなというから私も困っているのだ。それくらい暴露したっていいような気がしてきた。
「咲良が、他の男に渡すものは作るなと」
 しかし、言ってみたらこれでは何だか惚気のようだ。
 幸い楓さんはそうは取らなかったようで、一瞬きょとんとしてから、突然叫んだ。
「狭ッ! 心狭ーーッ!!」
 それから爆笑する。まあ確かにそう思わなくもないが、当事者としてはそう言われたら嬉しいような気も……、いかん、紛れもなく惚気だった。
「じゃあそれ咲良の?」
「はい」
「ふーん。で、何を悩んでたの?」
「酒を入れない方がいいのかと思って……、入れた方が味も香りも私は好きなのですが、咲良は酒に弱いから」
「確かにねぇ」
 酒に酔ったことのない私には冗談としか思えないほど、咲良は酒に弱い。先日も、ひとくち食べたチョコにほんの少し酒が入っていたというだけで酔った。あそこまで行くと特技だ。弱い、下戸だという兵は見てきたけれど、さすがにあれだけ弱い者はいなかった。
 いや、弱いのはいい。それですぐ吐くとかすぐ寝るとかならまだいいのだ。
 この前も、ヴァルグランドで酒を飲ませたときもそうだったが、咲良は……酔うと人が変わる。
「じゃあ入れなきゃいいんじゃない」
 楓さんが至極簡単に言ってのける。だが尤もだ。なのに何を私は迷っているのだろう。
 咲良は酒に酔うと、別人みたいな目をして、別人みたいな言葉を吐く。私はそれに、いつも――、
 ――いつも。
 途切れた思考の先は、迷いの答だ。私は……飲ませてみたい、のかもしれない。
 私はあんな風に酔えないから、酒の勢いでどうこうはできない。素直になりたくとも、できない。どんな手段を使っても今更可愛い女にはなれない。
 今の距離感は嫌ではない。じれったいけれど、じれったそうな咲良が可愛いのでそれで満足している。
 それだけに、あんな風に迫られると弱い。それもきっと嫌ではないのだ。
 酒の小瓶を持った右手が震える。
 ……入れて、しまおうか。
「ねえ、エドちゃんってさ……ホントのとこどうなの? 咲良のこと好きなの?」
「えっ!?」
 ――不覚にも動揺してしまった。肩が跳ねて、思わず瓶を傾けてしまう。
「……エドちゃん。今、めっちゃ入ったよ。すっごい零れたよ」
「あ……」
 並々と酒が入ってしまったボウルを見つめ、呆然とする。適量以上に入ってしまった。掬って捨てても、これは咲良が豹変して倒れるには充分だな……。
「今、もしかして動揺した? エドちゃんが動揺したの初めて見た」
「…………」
 赤面しているのを自覚しながらも、私は開き直って泡立て器を握り直した。


 その夜、夕飯の後に、私は完成したチョコレートケーキを持って、咲良の部屋を訪ねた。正直ちょっとわくわくしていたが、顔に出やすい咲良と違って、それを隠すことなど私には容易いことだ。
 何の疑いもなく、咲良が私からケーキを受け取って歓声を上げる。
「うわー、すげー旨そう! 食っていい?」
 子供みたいに喜ぶ咲良はやっぱり可愛い。その無邪気な笑顔を存分に堪能してから、私は一緒に持ってきていた皿とフォークを差し出した。
「いただきまーす」
 上機嫌でがっつくのをどきどきしつつ見守る。
「味、変ではないか?」
「とんでもない! 凄く旨いよ」
 多少酒がきついのではないかと危惧したが気がついていないようだ。けっこう強い香りなのに、気がつかないほど嬉しかったのか……と思うと私も顔が緩む。
 だがふいに咲良の手が止まって、私はどきりとした。
「エドワード」
 おもむろに呼ばれ、早まる鼓動を鎮めながら返事をする。真正面に座る私をいつになく真剣な目で真っ直ぐに見つめ、彼は――

「……眠い」
「は?」

 一言、そう口にした咲良に私が間の抜けた声を上げた頃には、咲良の体がぐらりと傾ぐ。
 カシャン、とフォークが皿に落ちて小さな音を立て、私の膝の上で、咲良は安らかな寝息を上げていた。
 拍子抜けすると同時に、何だか無償に苛立ってきた。けれどその寝顔を見ていると、苛立ちもすぐに溶けてしまう。
「また、私の負けだな」
 髪を撫でながら呟く。私はどうあがいても、酒の入った咲良には勝てぬようだ。
 ……しかし、この状態で気がついたら、咲良はさぞかし焦ることだろう。そんな悪戯心が芽生えて、私はこのまま咲良が気が付くのを待つことにしたのだった。