謝罪


 通常、瘴気の森は一日も歩けば抜けられる。そうでなくば、森の中で夜明かしするなど自殺行為に近いからだ。だが結局、ヴァイト達が森を出るには丸二日以上の時間を要した。それでも無事に抜けられたのは、アリーシアの魔法と結界術のお蔭だろう。
 街を出てから三日目の夕方近く、ようやく西側地帯の加護の範囲内へと辿りついて、ヴァイトは大きく息をついた。
「ありがとうございます、ヴァイ。お蔭でなんとか西まで来られました」
 アリーシアがぺこりと頭を下げる。肌や髪はすこし煤けていたが、旅向きとは思えない真っ白な衣服には、やはり汚れひとつついてはいなかった。地面に転がって寝たりしいていたことを思い出せば妙だったが、ふと面倒になってそれについて考えることはやめた。聞いたところで納得できる答が返ってくる気がしない。それに突きとめたところでどうということでもない。
 喉元まで出かかった言葉を飲み込むと、ヴァイトは持っていた剣をベルトに留めてから、改めてアリーシアの方へ向き直った。
「……いや。護衛すると言いながら、だいぶお前の力を借りてしまった。悪かったな」
 護衛の仕事にさほどプライドがあるわけではないが、剣の腕に関しては自信があっただけに、今回の護衛の行程には満足行かないものがあった。素直にそれを謝ると、アリーシアが珍しく恐縮したように首を振る。
「そんなこと。ヴァイ、凄く強かったです」
「フォローするな。余計情けなくなるだろ」
 ヴァイトは仏頂面になると、アリーシアの頭を拳で小突いた。アリーシアは抗うことなく黙って小突かれながら、ますます済まなそうな顔をする。それを見ていると、まるで苛めているようで、ヴァイトは嘆息して手を離した。
「まあ、ひとつだけ言い訳させて貰えるなら……、いつもはここの魔物なんかに引けは取らない。知能も力もずっと増していたような気がするな」
「……ごめんなさい」
「は?」
 予想外の謝辞に、思わずヴァイトは間の抜けた声を上げてしまった。会話がかみ合っていない。
 だがそれについて触れる前に、アリーシアの方が先に口を開いていた。
「加護に入るまでの約束でしたよね、ヴァイ」
 少し寂しそうに微笑んで、アリーシアがそんなことを言う。憂いを帯びると、幼い顔が少しだけ大人びた。
「ああ」
「ではこれでさようなら、ですね」
「……アリー」
 くるりと踵を返した少女の白い背に、ヴァイトは思わず声をかけていた。
 別に別れが寂しいわけではない。気になっているのは彼女のことではなく、もっと他のことだったのだが、振り向いたアリーシアが少し嬉しそうだったことにほんの少しだけ罪悪感を覚えた。
「本当にエタンセルへ行くのか?」
「はい。急がないと、もうあまり時間がないから」
「……エタンセルで、この前の予知をやるのか」
「はい。エタンセルの神子(ディーユ)に伝えて、『(ユイ)』を開いてもらいます」
「アリー」
 だが少女の言葉を聞いて、罪悪感はすぐに消えた。というより、他の考えの方が頭を占めていた。もう一度、低い声で名を呼ぶと、アリーシアは不思議そうに首を傾げる。
「なんですか?」
「いや……」
 問われて、言葉を濁す。言うことは決まっていた。だがそれを口にするのは憚られた。それは、今まで自分に封じてきたことだったから。忘れたいひとつの事象へと繋がることだったからだ。だが飲み込んだ筈の言葉はするりと零れ落ちてしまう。
「俺もエタンセルへ行く」
 え、とアリーシアが意外そうな声を上げたが、ヴァイトは彼女からは視線を逸らした。
「どうしてですか? あんなに嫌がっていたのに」
「行きたくはない、今も。だが……」
 改めて、ヴァイトはアリーシアを見た。
 その手でカードが光っていたのを、その小さな体が穿つ強力な魔法を思い出す。だからこそ、彼女をエ・タンセルへ行かせることがヴァイトには怖かった。
 それは酷く今更な理由で、自分が気にすることでもない。わかっているのに放っておけない。
 無邪気に喜ぶアリーシアの顔を見ていても気分は晴れず、またヴァイトは目を逸らすのだった。



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