大陸歴3025年。
リルステル大陸では、ひとつの国が慶び事に沸いていた。
「ミラ、すっごく綺麗だったね!!」
興奮冷めやらぬ声で少女が叫ぶ。
まるで月明かりの空を映したかのようなムーンライト・ブルーの瞳を持つ彼女は、白い頬にチークを載せて、唇にルージュを引いても幼さは消せない。
「ああ、キレイ、だったなぁ。シレア?」
少女の言葉に、彼女の隣を歩く少年が言葉を返す。
燃えるような真紅の瞳が意地悪に細まって、少女――シレアの方を向く。
「同じ歳なのに、オマエとはえらい違い…………ッ」
突如、言葉半ばで少年の言葉が止まる。
その原因は、彼の長い黒髪をシレアが思い切り引っ張った為だった。
「うるさいわねっ、エス!!」
化粧をしてもお世辞にも「綺麗」とは言えない、童顔の自分をからかわれたと解ってシレアが憤慨する。エスと呼ばれたその少年――本名はエスティと言う――は、あまりの痛みに目に涙を溜めてシレアを振り返った。
「てめぇっ、本気で引っ張りやがったな!!」
目には目を、とばかりに、シレアのピンクベージュの髪を引っ張り返そうと手を伸ばす。そうはさせまいと素早く身を翻す彼女に、エスティの手は宙を掻いて、いよいよ戦いが激化する――
「もうっ、やめなよ2人とも。せっかくのおめでたい日にさ」
呆れたような声に、2人の動きはピタリと止まった。
お互いに罰が悪そうに顔を見合わせ、そして仲裁の主の方を見る。隻眼だが、驚くほどの美貌の持ち主だ。
「――そうだな、今日のとこはミラとアルフェスに免じて勘弁してやるよ」
「こっちの台詞だけど、仕方ないわね、許してあげる。――ごめんね、リューンお兄ちゃん」
偉そうにこちらを見下ろして言ってくるエスティを、負けじとシレアも睨みつけながら、それでも2人はどうにか和解したようだ。
最後に、くるりと表情を一転させて、シレアは仲裁の声を入れた人物に詫びた。その美貌の人は、まるで女性のような外貌ながら、どうやら男らしい――少女に"兄"と呼ばれた少年は、だがにっこりと笑うその表情を見るにつけ、男とは疑わしい。
「さて、しばらくは何かとミラ達も大変だろうし。とりあえず城下町で宿でも探そうか?」
彼、リューンの提案に、エスティが頷く。「当分城下町もすごい騒ぎだろうけどな」、ぼやきながら、エスティの表情はまんざらでもなかった。
今彼らがいる場所――、軍事国として有名なランドエバーの王城、城門前であるのだが、ここにいて既に、城下町の喧騒が届いてくる。ゆっくりと落ち着きたい気持ちはあるが、この騒ぎの原因がおめでたいことであること、その渦中にいるのが自分の親しい人であることを考えると、国をあげてのお祭り騒ぎに混じって喜びたい気持ちの方が勝つのである。
彼らが言う「ミラ」という人物は、彼らの良き友、仲間にして、この国――ランドエバーの女王だった。今日はその彼女の、婚礼の儀が取り行われたのである。相手は、先の"聖戦"とその後リルステルで巻き起こった戦で、高い功績を上げ、大陸中にその雷名を響かせた英雄、"ランドエバーの守護神"。彼もまた、エスティ達のよく知った人物、仲間であった。
「――嬉しそうだね、エス」
ジェードグリーンの隻眼が、楽しそうにこちらを覗きこんでいるのに気付き、慌ててエスティは目を逸らした。
「……悪いかよ」
吐き捨てるような言い方は、照れたときの癖だ。シレアも解っているので、弾けるように彼女は笑った。
笑われ、エスティが憮然とする。その2人から目を背けて、彼はシレアでもリューンでもない、もうひとりの人物へと視線を向けた。
「……じゃあ、ラルフィ。当分はランドエバー領内にいるつもりだから」
語りかけられ、それまで沈黙を護り続けていた少女は初めて表情を動かす。
きっちりと編みこまれた亜麻色の長い髪と澄んだオーシャングリーンの瞳。
隻眼の少年と良く似た面差しの彼女は、紅い軍服に小柄な身体を包み、眩しそうにこちらを見た。
だが彼女は小さく「ああ」、とだけ応えて浅く微笑み、踵を返してしまう。
「……仕事だから」
視線だけこちらに向けてそう言い残し、城内へ掻け戻ってゆく彼女の姿は、あっという間に消えて行った。
「なんか……相変わらずあんまり元気ないね、ラルフィ」
それを見つめるシレアが、心配そうに呟く。そんな彼女に、少し哀しげな瞳を向けたリューンが何か言う前に、
「あーーーーーーーーーッ!!」
唐突なシレアの大声が、エスティの思考もリューンの言葉も遮断した。
「ど、どうしたのシレア」
びっくりして問いかけるリューンに答えるでもなく、シレアは自分の手元を覗き込む。そこには白い生花が束ねられた、可愛らしいブーケがあった。
「これ、ラルフィの預かってたんだ……ミラからもらったの」
「ああ……シェオリオが貰ったんだっけ」
忘れてた、とリューンもブーケを覗き込む。
「あたし、これラルフィに渡してくるね! 先行ってて!」
ダッシュの体勢に入るシレアに、何気なくエスティが呟く。
「でもなんで、お前が貰わなかったんだ?」
だが既にシレアは走り出していた。聞いてなかったかもしれないが、エスティも別に答えが聞きたかった訳ではない。ぼうっとその後姿を見ていると、一瞬だけシレアは振り返った。
「あたしは、お兄ちゃんがいればいいから!」
そして彼女の姿も見る間に城内へと消えてゆく。
「……だとよ」
曖昧に宙を見上げながら、話しかけるでもなく呟くエスティに、リューンは複雑な笑みだけ返した。